【ブログ紹介】
■大学芋はなんで「大学芋」という名前?「大学」+「芋」=「大学芋」と単純にはいえない。そう考えると、ことばには不思議がいっぱい。「大学芋」をきっかけにことばについて考えるブログです!
■はじめての方はこちらへ

2012年12月24日

マイク・タイソンの発言から考える英語のしくみ

I will take Lennox's title, his soul and smear his pompous brains all over the ring when I hit him.

1. はじめに
2002年、世界中のボクシングファンが待ち望んだヘビー級の頂上決戦が行われた。レノックス・ルイス対マイク・タイソン戦である。過激な発言が注目を集めるタイソンであったが、この試合の前にルイスに向けて言ったのが上記の一言である。今回は、この表現について考えてみたい。

考察にあたっては、タイソンの人間性や彼の生い立ちからアプローチすることも可能であろう。しかし、彼が英語話者であり、またその発言を理解するのも英語話者であるなら、この一言をタイソンという固有性を取り去った、ひとつの英文として捉えることも可能であるはずだ。そうであるなら、この一風変わった表現の意味から、英語話者に共有されている言語知識、英語のしくみの一端を考えるきっかけを得られるのではないかと思う。今回は、特にsmear his pompous brains all over the ringという部分に注目する。

2. 意味の多面性
I picked up the phone.(電話を取った)とThe phone rang.(電話が鳴った)におけるphoneはどちらも「電話(器)」に相当するが、前者では受話器、後者ではベル音に焦点が当たっており、その点では両者の指す意味は厳密に言えばずれている。しかし、両者は密接に結びついており、(1)のように言っても違和感がないように、同時に焦点が当たることもある。

(1) The phone kept ringing, but no one bothered to pick it up.(電話は鳴り続けたが、わざわざ電話を取る人はいなかった)

これと似た現象が上記でも起こっていると考えると、今回の表現からはどのような意味が読み取れるだろうか。

3. brainに着目して
まず、smear his pompous brains all over the ringという表現のうち、brainに着目しよう。brainは、焦点の当たる箇所により、物理的な臓器としての「脳、脳みそ」、またはその脳の活動に基づく「知力、知能」という意味をもつ。前者に焦点を当てた用法として(2)、後者に焦点を当てた用法として(3)などがある。

(2) The shot blew her brains out.(その一発が彼女の脳みそを吹き飛ばした)
(3) May I pick your brains?(知恵を貸してくれないか)

これを踏まえて、smear his pompous brains all over the ringを2段階に分けて考えたい。

3.1. his pompous brains
pompous「気取った、横柄な」は人間の態度・考えについて言及する語なので、この語に修飾されるbrainは臓器というより「知能」(というか「考え方」)に近い意味で用いられていると考えられる。

3.2. smear his brains all over the ring
smearは「塗りつける」という意味だが、 overと共に使われるときには、汚れたものを塗ることが多い(smear blood over the mirror 鏡を血まみれにする)。塗りつけるものが物理的なものであるとすると、このbrainは「脳、脳みそ」の意味であり、それは対戦相手を殴った(when I hit him)結果飛び散るもの(血のイメージとも重なる)であると考えられる。

3.3. 全体の意味
3.1と3.2を考えると、それぞれbrainの意味の別の部分に焦点が当たっており、それらが同時に活性化されていることがわかる。全体で「気取ったあいつの頭をかちわって、リングを血まみれにしてやろう」のような意味になるだろう。

4. 多面性と選択のプロセス
一見不思議に思えるsmear his pompous brains all over the ringという表現であったが、brainの意味を二段階に分けて考えれば、それが意味するところも判明する。このような二つの意味を同時に想起させる表現を用いた点にマイク・タイソンの独創性が見られる。しかし、今回説明したような語の意味に見られる多面性と、多面的な中からどの面が選択されるかが共に使われる語によって決まるプロセス自体は、例文(1)のphoneの用法でも確認したように、今回の例に特有のものではなく、様々な表現で見られる重要な英語のしくみの一部であり、英語話者の間で広く共有されているものだと考えられる。

学校の国語の授業で小説や俳句などを扱うときには、作者や登場人物がわかっていれば、できるだけその情報を考慮した上で作中の表現を扱うということが多いのかもしれないし、それがことばについて考える自然なアプローチだと思うかもしれない。しかし、そういった情報にできる限り依拠せず、当該言語にどのようなしくみが備わっているのかを考えることもできる。そいういったアプローチは、その表現そのものをより深く味わう上でも、その言語をよりよく理解する上でも重要だろう。

参考文献
(1)の例文およびその説明は、次の論文を参考にしている。ただし、言語学になじみのない人に伝えるという趣旨から、言語学の用語は基本的に使わずに説明した。

西村義樹. 2008. 換喩の認知言語学. 森雄一ほか(編). 『ことばのダイナミズム』 71-88. 東京: くろしお出版.
ラベル:英語 メトニミー
posted by ダイスケ at 23:08| Comment(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月23日

「ことば」と「言語」

「言語学」とは何かと問われれば、それは言語を扱う学問なのだが、「言語」という語がわかりづらいこともあって、言語学のイメージが湧かない、とっつきづらいという印象を受けるかもしれない。

「言語」と似ている語に「ことば(言葉)」がある。前者が音読みの漢字から成る漢語で、どこか堅苦しいイメージがあるのに対して、後者が訓読みで日常的にもよく使われる和語であるという違いはあるが、意味はだいたい同じように思われる。たとえば、次のような場合では、「ことば」と「言語」を入れ替えても問題ないだろう。

(1)
a. スイスで使われていることばは何ですか?
b. スイスで使われている言語は何ですか?

その一方で、(2)や(3)では、「ことば」と「言語」は入れ替えできない(*の記号は、例文が不自然であり、容認できないことを表す)。

(2)
a. 昨日、友達に励ましてもらいました。その温かいことばのおかげで、がんばれそうです。
b. 昨日、友達に励ましてもらいました。*その温かい言語のおかげで、がんばれそうです。

次の例はどうだろうか。「ことば」と「言語」のどちらを使っても、日本語の文としてはおかしくないと思われる。

(3)
a. 私のことばは、彼には通じなかった。
b. 私の言語は、彼には通じなかった。

(3a)は二通りの解釈が可能だと思う。ひとつは、「私は日本語で話しかけたけれど、外国人である彼には、私のことば(日本語)がわからなかった」といった解釈である。この場合、(3b)とほぼ同じ意味だと言ってよいだろう。もうひとつの解釈は、「通じない」を「冗談が通じない」における場合と同じような用法と考えて、「私の発言の意義を納得してもらえなかった」ような状況を指すものである。この場合、(3b)に置き換えることはできない。

このようなことを考えると、「ことば」と「言語」は常に同じように使えるわけではないことがわかる。(1)のように、ことばを使用する個々の人をいちいち思い浮かべないで、抽象的にことば全体を捉えるときには、「ことば」も「言語」も用いることができる。一方、(2)を見ると、「ことば」は特定の個人が特定の状況で言ったもの(ある友達が、励ますという目的のために、ある時間にある場所で言った具体的なセリフ)を指すときには、「ことば」は問題ないが「言語」は不向きである。つまり、「ことば」の方が使用範囲が広いのだと言える。(3a)の意味が二通りに解釈可能なのは、その反映である。

冒頭で言語学は言語を扱う学問であると言ったが、そこで扱われる「言語」とは、上記に述べたことを考慮するなら、次のようにまとめることができる。

(4)言語学は、ことばを使用する個々人の活動ではなく、ある共同体が共有している抽象的なものとしてのことばを扱う学問である

では、そのような言語学的な関心をもってことばを眺めると、どのような分析ができるのか。次回は実際に英語の分析をしてみることにする。

続編:マイク・タイソンの発言から考える英語のしくみ
ラベル:言語学
posted by ダイスケ at 22:49| Comment(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月20日

ワークショップをやりました

先日、ある学会でワークショップをやってきました。自分を含め4人の大学院生での発表です。ワークショップ全体のテーマは「評価的意味」。

人が何かを語るときには、多くの場合、ただ内容を語るというよりは、何らかの形で物事の評価が入り込みます。たとえば、「彼は誤植を見逃した」といった場合は、単に誤植に気づかなかったということを伝えているのではなく、それが本来気づくべきことなのに気づかなかったという否定的な評価まで伝えていると考えることができます。このような意味の評価的側面に注目して、各メンバーが英語の分析を行いました。

ワークショップ全体の大枠が個々の発表に生かされたところと、1人1人の発表から全体の方向性を決めていったところと両方あって、その相互作用がワークショップの醍醐味だなと思いました。4人の発表はそれぞれ異なる関心をもちつつも、全体でひとつのものを作り上げていくプロセスが楽しかったです。また、今回は自分自身の発表だけでなく、ワークショップ全体のイントロダクションも担当したので、自分の研究を俯瞰してとらえるきっかけにもなり、その意味でも得るものがありました。

このような大きなところで発表するのは、今年2回目です。前回の発表は、自分自身の発表の仕方にも反省点があったのですが、会場の反応はいまひとつで、今まで発表した中で一番盛り上がっていなかったと感じていました。そんな中よい評価をしてくださる方もいて、その方からは「おもしろかった」と言っていただいただけでなく、研究上のアドバイスや文献情報も教えていただき、とても勇気づけられたのでした。そのため、今回は前回の反省を生かし、その後の勉強の成果を発揮するという目標もありました。

当日は、ワークショップが6室同時進行だったこともあり、来場者は20人弱でしたが(どの部屋もそんなに人は多くなかった模様)、質疑応答も盛り上がり、ワークショップの趣旨も伝わったのではないかと思うので、目標はある程度達成できたかなと感じています。

後日、来場した先生方から「発表内容、態度ともによかった」「とても面白く、将来へ広がって行くような視点だった」というお言葉もいただいて、とても励みになりました。まだまだ課題も多く残っていますが、全体としてよいワークショップができたと思います。今後ともがんばります!
ラベル:日記
posted by ダイスケ at 22:37| Comment(0) | 日々の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月26日

とりあえず近況

最近ろくにブログの更新ができてませんが、とりあえず近況です。

大学院は9月末まで休みでしたが、非常勤先の高校は9月頭から授業開始だったので、結局夏休みは8月で終わりという感じでした。夏休みは、日本言語学会の夏期講座に参加したのが最大の思い出です。たくさん講義を受けて、関西など普段会えない方と交流できたりで、とても楽しかったです。そのとき出会った方々とは、その後も連絡を取ったり再会したりする機会があって、こういうつながりは大事だなあって感じています。

高校は、先週中間テストがあって、2学期始ったばかりなのにって思ってしまいました。どんどん時間は過ぎてゆきますね。

中間テストを採点していて思ったのですが、あるクラスの採点を一年間一貫して同じ基準で行うっていうのは、難しいことかもしれませんね。たとえば、中間テストではスペリングのミスを減点にしたのに、期末テストではおまけで丸にする、みたいに採点の基準を少し変えるということがあります。これは、採点する側からすると、赤点を出ないようにしたり平均点を上げるための手段だということがわかりました。

ただ、生徒からしてみれば、一貫性がなくて筋が通ってないと思うかもしれませんし、自分がどのように採点されるか試験中に必ずしもわからないならば、問題をどんな時間配分で解くかなどの戦略が立てにくいということにもなりますよね。予備校では赤点の問題もありませんし、もっと一貫したやり方をしているでしょうから、なんとなくそのへんを察知した上で予備校のほうが好きという生徒も実際にはいるんでしょう。

もっと生徒のことを把握した上で問題作りができれば、一貫性を保った採点ができるのかもしれませんが、なかなかそれも難しいですし、どんな問題を出すかも教師のメッセージのひとつであると考えれば、平均点だけを考えて問題を出すということにもなりませんし、悩ましいところではあります。現実的にはその都度できることをやるという感じかもしれませんが、少なくともそういうところは無頓着にならないようにしていきたいです。
ラベル:日記 高校講師
posted by ダイスケ at 02:03| Comment(0) | 日々の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月27日

Semantic prosody:現象と文献の紹介

コンピュータ技術の発達により、言語研究も大きな影響を受けている。その影響の一つがコーパスを利用した言語研究である。コーパス (corpus、複数形はcorpora) とは、コンピュータで読み込むことができる形態のテクストの集積からなるデータベースのことである。

たとえば、cleverとwiseという語は、どちらも「頭がよい」という日本語に相当することばだが、コーパスを用いれば、一度に複数のテクストからその次にどんな名詞が続くか(どんな名詞が生起しているか)を調べることができ、用いられる名詞の傾向の違いからその意味をより具体的に確かめることができる。

コーパスを用いる言語学の分野(コーパス言語学)で近年発達してきた概念にsemantic prosodyというものがある。Semantic prosodyとは、生起環境から明らかにされる語句や構文の評価的な意味のことである。

よく挙がる例のひとつが、causeという語である(Stubbs 1995)。Causeは、日本語の「原因、〜の原因となる」に当たる語であるが、動詞用法でも名詞用法でも、多くの場合、問題、被害、病気などの出来事を表す語と共に使われることが報告されている。

(1) East German restriction which caused today’s trouble
(2) considerable damage has been caused to buildings
(3) a certificate showing the cause of death (Stubbs 1995: 31)

したがって、cause には否定的な評価が伴うとされている(なお、このような意味的側面は、辞書にも記載されるようになってきていて、たとえば『ジーニアス英和辞典 第4版』のcauseの項目にも、「〔通例悪い出来事の〕原因」といった記述が見られる)。

ある語句が、何を指すかだけでなく、それをどのように捉えているかという評価的意味をも含む場合があるという発想自体は決して新しいものではない。大規模コーパスによって観察されるsemantic prosodyの貢献は、母語話者にも気づかれていなかった語句の評価的意味を発見したり、量的な証拠を提示することで、評価的意味が従来考えられていたほど不安定なものではなく、話者の間で広く共有されていることを示したことにあるだろう。また、そのような評価的意味が、問題の語句の前後に渡って広がり、テクスト全体の一貫性を保つ上で重要な役割を果たしているという指摘も、実際に使用されたテクストから構築されたコーパスを使っているからこそだと言える。

Semantic prosodyという用語は、Louw (1993) の論文において初めて用いられたが、もともとはSinclairが使い始めたとのこと(Louw 1993: 158)。その後、Sinclair本人をはじめ様々な研究者によって扱われてきたが、その概念は確立したものというよりは、まだまだ議論の最中といったほうがよいようだ(関連する論文のタイトルに、critique、revisited、re-examinedなどの語が使われていることにも、そのことが反映されている)。Stubbs (2001) のようにdiscourse prosodyという用語を用いる研究者もいる。

日本語の文献で、semantic prosodyを扱っているものは、まだ少ないと思う。斎藤ほか編 (2005)『英語コーパス言語学』では、「意味的プロソディ」という用語が当てられているが、「意味的韻律」としている研究も見かける。

もっと詳しくsemantic prosodyについて知りたい方のために、以下に文献リストを載せておくのでお役立てください。網羅的でないので、これからも文献を追加していく予定。

*はじめは文献リストには英語の研究をしているものだけを載せるつもりだったが、英語以外の言語を扱っているものや、語学教育への応用が中心のものも、知っているものは載せていくことにした。そのような文献については、(イタリア語、教育)などの形で明記する。英語を扱っている場合は特にそのことを記載しないが、複数の言語に言及があって英語がそのうちのひとつだった場合は、(英語、イタリア語)のように記載する。


■Blass, Anne-Katrin. 2012. Textual functions of extended lexical units: A case study of phrasal constructions built around by way of. ICAME Journal 36, 5-29.
■Bednarek, Monika. 2008. Semantic preference and semantic prosody re-examined. Corpus Linguistics and Linguistic Theory 4, 119-139.
■Channell, Joanna. 1999. Corpus-based analysis of evaluative lexis. In Susan Hunston. and Geoff Thompson (eds.), Evaluationin in Text: Authorial Stance and the Construction of Discourse. 38-55. Oxford: Oxford University Press.
■深谷輝彦. 2005. コーパスに基づく文法研究. 齊藤俊雄・中村純作・赤野一郎(編). 『英語コーパス言語学: 基礎と実践』 144-161. 東京: 研究社.
■Hampe, Beate. 2005. When down is not bad, and up not good enough: A usage-based assessment of the plus-minus parameter in image-schema theory. Cognitive Linguistics 16, 81-112.
■掘正広. 2009. 『英語コロケーション研究入門』 東京: 研究社.
■Hoey, Michael. 2005. Lexical Priming: A New Theory of Words and Language. London: Routledge.
■Hunston, Susan. 2002. Corpora in Applied Linguistics. Cambridge: Cambridge University Press.
■Hunston, Susan. 2007. Semantic prosody revisited. International Journal of Corpus Linguistics 12, 249-268.
■Hunston, Susan and Geoff Thompson (eds.). 1999. Evaluation in Text: Authorial Stance and the Construction of Discourse. Oxford: Oxford University Press.
■Levin, Magnus and Hans Lindquist. 2007. Sticking one’s nose in the data: Evaluation in phraseological sequences with nose. ICAME Journal 31, 87–110.
■Louw, Bill. 1993. Irony in the text or insincerity in the writer?: The diagnostic potential of semantic prosodies. In M. Baker, G. Francis, and E. Tognini-Bonelli (eds.), Text and Technology; In Honour of John Sincair. 157-176. Amsterdam: John Benjamins.
■McEnery, Tony, Richard Xiao and Yukio Tono. 2006. Corpus-Based Language Studies: An Advanced Resource Book. London: Routledge.
■McEnery, Tony and Andrew Hardie. 2012. Corpus Linguistics: Method, Theory and Practice. Cambridge: Cambridge University Press.
■Morley, John and Alan Partington. 2009. A few Frequently Asked Questions about semantic - or evaluative - prosody. International Journal of Corpus Linguistics 14, 139-158.
■Nonaka, Daisuke. 2013. The locative alternation and evaluative meaning: The case of smear. Colloquia 34, 77-88.
■大石亨. 2010.「植物」のメタファー再考: 慣用表現に付随する意味的韻律と主観性. 『日本認知言語学会論文集』 10, 149-159.(日本語)
■大石亨. 2011. 抽象概念を表す漢語名詞に付随する意味的韻律. 『日本認知言語学会論文集』 11, 245-255.(日本語)
■Oster, Ulrike. 2010. Using corpus methodology for semantic and pragmatic analyses: What can corpora tell us about the linguistic expression of emotions? Cognitive Linguistics 21, 727-763.
■Partington, Alan. 1998. Patterns and Meanings: Using Corpora for English Language Research and Teaching. Amsterdam: John Benjamins.(英語、イタリア語)
■Partington, Alan. 2004. Utterly content in each other’s company: Semantic prosody and semantic preference. International Journal of Corpus Linguistics 9, 131-156.
■Rühlemann, Christoph. 2007. Lexical grammar: The GET-passive as a case in point. ICAME Journal 31, 111–128.
■Sinclair, John. 1991. Corpus, Concordance, Collocation. Oxford: Oxford University Press.
■Sinclair, John. 1996. The search for units of meaning. Textus IX, 75-106.
■Sinclair, John. 1998. The lexical item. In E. Weigand (eds.), Contrastive Lexical Semantics. 1-24. Amsterdam: John Benjamins.
■Sinclair, John. 2004. Trust the Text: Lanugage, Corpus and Discourse. London: Routlege.
■Stefanowitsch, Anatol and Stefan Th. Gries. 2003. Collostructions: Investigating the interaction of words and construction. International Journal of Corpus Linguistics 8, 209-243.
■Stewart, Dominic. 2010. Semantic Prosody: A Critical Evaluation. New York: Routledge.
■Stubbs, Michael. 1995. Collocations and semantic profiles: On the cause of the trouble with quantitative studies. Functions of Languages 2, 1-33.
■Stubbs, Michael. 2001a. On inference theories and code theories: Corpus evidence for semantic schemas. Text 21, 437-465.
■Stubbs, Michael. 2001b. Words and Phrases: Corpus Studies of Lexical Semantics. Malden, Mass: Blackwell.(英語、英語への借用語としてのドイツ語)
■Tao, Hongyin. 2003. Toward an emergent view of lexical semantics. Language and Linguistics 4, 837-856.(中国語)
■Taylor, John R. 2012. The Mental Corpus: How Language is Represented in the Mind. Oxford: Oxford University Press.
■Tognini-Bonelli, Elena. 2001. Corpus Linguistics at Work. Amsterdam: John Benjamins.(英語、イタリア語、教育)
■Whitsitt, Sam. 2005. A critique of the concept of semantic prosody. International Journal of Corpus Linguistics 10, 283-305.
■Xiao, Richard and Tony McEnery. 2006. Collocation, semantic prosody and near synonymy: A cross-linguistic perspective. Applied Linguistics 27, 103-129.(英語、中国語、教育)
■Zhang, Weimin. 2009. Semantic prosody and ESL/EFL vocabulary pedagogy. TESL Canada Journal 26, 1-12.(教育)

追記
文献を追加(2012/10/14、2012/10/20、2012/12/24、2013/08/08、2013/09/14、2014/08/14)
英語以外の言語、教育について扱っている文献を追加(2013/01/05)

関連記事:
英語の場所格交替:現象と文献の紹介
英語の形容詞的受身:現象と文献の紹介
英語の同族目的語構文:現象と文献の紹介
英語のレシピに見られる目的語省略:現象と文献の紹介
英語の接頭辞over-:現象と文献の紹介
posted by ダイスケ at 04:27| Comment(6) | 言語学の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月31日

「魂の満足」としての語学

わたしはピアノのレッスンが好きだった。それというのも、毎日少しずつ進歩してゆくように思われたからだった。それは、わたしが外国語で書物を読むときの楽しさを説明してくれるだろう。それは自国語よりも外国語のほうが好きだとか、外国の作家にくらべて、わたしの尊敬するわが国の作家たちに遜色があるとかいったわけではない。ただ意味や感情をたどる場合の軽い困難、さらにみごとにその困難に打ち克ってゆくときの、自分でも気のつかない得意な気持といったものが、知識の上の楽しみに加えて、それなくしてはすまされない何かしら魂の満足とでもいったようなものをつけ加えてくれるからにほかならないのだ。
アンドレ・ジッド『狭き門』新潮文庫 pp.189-190

文学作品には、ときに話の進行上あまり重要でない細部におもしろいことが書いてあったりする。最初に引用したのは小説『狭き門』の一節で、ヒロインであるアリサの日記から。『狭き門』は、読んだのがだいぶ前なので、あらすじ以外は忘れてしまったが、この一節はよく覚えている。そうそう、語学のおもしろさって、少なくともその一側面は、そういうところにあるんだよな、と思ったのだった。

ピアノは、プロの演奏家以外はお金を稼ぐ手段にならない。ピアノを習う多くの人は、お金を稼ぐのに十分な演奏技術を身につけるわけでもないし、それによって就職が有利になるわけでもない(趣味の欄に書いて、面接のときの話題作りぐらいにはなるかもしれないが)。単純に、弾きたい曲が弾けるようになる、だんだんと上達するということがおもしろいから、ピアノを弾くのである。

語学にも同じようなおもしろさがある。一目見てわからなかった外国語の文章が、辞書を引き、文法を考え、うんうん唸って、ついにその意味がわかったときは、何とも言えない心地よさがある。少しずつわかる文が増えていくプロセス自体が楽しめるし、達成感がある。その達成感の背後には、1年前だったら単なる暗号の羅列だったり雑音でしかなかったものが、今や意味のあるものとして認識できるようになったという成長の実感もあるだろう。ある程度勉強が進むと、そうした気持ちになることも少なくるかもしれないが、5年前の自分、10年前の自分を振り返れば、ずいぶんと遠くまで来たことを感じられると思う。それは、何かの手段としてではなく、語学そのものに内在する魅力だろう。

外国語が、だれかとコミュニケーションできるようにするため、あるいは、母語以外の情報を得るための重要な手段であることには変わらない。ピアノなどの楽器に比べれば、そうした実用的な見返りを語学に求める傾向は強いだろう。だが、もし今英語の学習にかけている時間はTOEIC何点分になるのだろうとか、英語が話せたらいくら稼げるのだろうなどと考えていたら、緊張感や焦燥感ばかりでかえってやる気がわかないような気がするし、語学を継続する原動力というのは、むしろここで挙げたような「魂の満足」なのかもしれないなと思う。

狭き門 (新潮文庫) [文庫] / ジッド (著); 山内 義雄 (翻訳); 新潮社 (刊)
狭き門(新潮文庫)
ジッド (著)、山内義雄 (訳)


関連記事:
忘れる ― 外国語を学ぶコツ
英語の勉強量なんて、みんな同じようなもの?
語学の上達のために必要なことを考える
英語学習の「5分+54年」を目指す
ラベル:日記 語学
posted by ダイスケ at 01:36| Comment(0) | 学習・教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月07日

英語の形容詞的受身:現象と文献の紹介

次の英文はどちらもbe+過去分詞を含んでいるが、その意味には違いがあることがわかるだろうか。

(1) The shop was closed by the clerk at 6 p.m. yesterday.
(2) The shop was closed till 6 a.m. yesterday.

(1)は、日本語にすると、「店は昨日午後6時に店員によって閉められた」という意味で、午後6時に店員がカギをかけるという〈動作〉を行ったことを表している。一方、(2)は「店は昨日午前6時まで閉まっていた」という意味で、これは、(あるときに店のカギがかけられ、その結果として)店は午前6時までカギがかかったままだったという〈状態〉を表している。

この二つの用法は、学校では明確に説明されることは少ないのではないかと思われるが、高校生向けの文法書には、(補足的な扱いではあるが)この違いが説明されている。(1)と(2)の例文は、『SEED総合英語 第3版』(文英堂、2010)から取ったものである(p. 145)。ちなみに、『総合英語Forest 第6版』(桐原書店、2011)でも「受動態で表す動作と状態」という項目(p. 157)があり、ほぼ同じ説明がある。

言語学では、前者を【動詞的受身verbal passive】、後者を【形容詞的受身adjectival passive】と呼ぶことがある。今回は、一般には言及されることの少ない形容詞的受身を取り上げて、いくつか文献を紹介したいと思う。

まず、注意したいのは、動詞的受身と形容詞的受身は、be+過去分詞という形は共有しているので、それだけでは区別できないということだ。したがって、単にThe shop was closed.と言っただけでは、〈動作〉とも〈状態〉とも解釈できる。区別するには文脈に頼るしかない。

区別するときには、形容詞的受身の次のような特徴が利用されることが多い。

A. 形容詞的受身は、by句によって動作主を表現することができない
B. 形容詞的受身は、形容詞の場合と同じように、be動詞以外のlook、remain、seemなどの動詞の補語になることができる

したがって、次の(3, 4)は一方の解釈に限定され、(5)のような文は容認されない。

(3) The window was broken by the theives.(動作)
(4) The window seemed broken.(状態)
(5) *The window seemed broken by the theives.(容認不可)

他にも形容詞的受身の特徴はいろいろあるのだが、それらを知るには次の文献が便利である(以下、言語学を勉強している人向け)。

■影山太郎. 2009. 状態・属性を表す受身と過去分詞. 影山太郎(編).『日英対照 形容詞・副詞の意味と構文』121-151. 東京: 大修館書店.

形容詞受身を概観するのにちょうどよく、引用されている文献も役に立つ。形容詞的受身を扱っている文献が日本語にあまり多くない気がするので(勉強不足なだけ?)、そういう意味でも便利である。同著者の『動詞意味論』(くろしお出版、1996)の第3章「完了形容詞」でも、形容詞的受身とそれに関連する現象が扱われている。

英語の文献では、次の文法書の記述を確認しておきたい。

■Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech and Jan Svartvik. 1985. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman.
■Huddleston, Rodney and Geoffrey Pullum. 2002. The Cambridge Grammar of the English Language. Cambridge: Cambridge University Press.


Quirk et al.では、形容詞的受身にpseudo-passiveという用語を当てている(statal passiveという言い方も出てくる)。なお、動詞的受身はcentral passiveと呼ばれている。第3.77節にPseudo-passiveという項目がある。Huddelston and Pullumは、第10.1.3節がAdjectival passivesである。厳密な意味での受身はveral passiveのみだとしている(その点はQuirk et al.でも形容詞的受身をpsuedo-passiveと言っているから同じか)。Quirk et al.よりも割いているページ数が多い。

生成文法の枠組みの分析はいくつもあるが、代表的なものとして次の二つを挙げる。

■Wasow, Thomas. 1977. Transformations and the lexicon. In Peter Culicover, Thomas Wasow and Adarin Akmajian (eds.), Formal Syntax, 327–360. New York: Academic Press.
■Levin, Beth. and Malka Rappaport. 1986. The formation of adjectival passives. Linguistic Inquiry 17, 623-661.


Wasowは、生成文法で形容詞的受身を扱った古典的論文。Levin and Rappaportは、与格交替や場所格交替(壁塗り交替)をする動詞の例なども挙げられている。

最近の論文としては、以下のものがある。

■Emonds, Joseph. 2006. Adjectival passives. In Martin Everaert and Henk van Riemsdijk (eds.), The Blackwell Companion to Syntax, Vol. I, 16-60. Oxford: Blackwell.

これまでの形容詞的受身の研究を概観し、独自の主張をしている。枠組みは生成文法だが、例文も豊富なので、その点でも便利。

認知文法の枠組みでは、次の文献がある。

■Langacker, Ronald W. 1990. Concept, Image, and Symbol: The Cognitive Basis of Grammar. Berlin: Mouton de Gruyter.


第4章The English passiveは、認知文法の考え方の紹介であると同時に、認知文法の英語の受身に対する応用でもある。基本的には、動詞的受身を分析するものだが、完了分詞(過去分詞)の多義性を扱うところで、形容詞的受身の意味についても言及がある(「形容詞的受身」という用語は使われていないが)。

形容詞的受身は、文献によってstatal passiveやpassive of resultなどと呼ばれることもあったり、研究者によって同じ用語でも微妙に指す範囲が違ったりするから、わかりにくいところがある。そして、昔から知られている現象のわりには、まだ研究の余地があるなという感じがする。受身って奥が深いですね。

関連記事:
英語の場所格交替:現象と文献の紹介
Semantic prosody:現象と文献の紹介
英語の同族目的語構文:現象と文献の紹介
英語のレシピに見られる目的語省略:現象と文献の紹介
英語の接頭辞over-:現象と文献の紹介
posted by ダイスケ at 23:15| Comment(0) | 言語学の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月06日

「何の変哲もない」の「変哲」って?

あたりはまだ明るかったので、それは何の変哲もない黒い水辺の虫にしか見えなかったが、突撃隊はそれは間違いなく螢だと主張した。螢のことはよく知ってるんだ、と彼は言ったし、僕の方にはとくにそれを否定する理由も根拠もなかった。よろしい、それは螢なのだ。
村上春樹『ノルウェイの森(上)』講談社文庫 pp. 94-95.

日本語の勉強をしている外国人に、「何の変哲もない」という表現の意味を尋ねられたら、なんと答えるだろうか。自分の母語でも、急に尋ねられるとなかなかうまく答えられないものだが、落ち着けば〈変わったところがない〉などと答えられるだろう。

では、「変哲」の意味を尋ねられたらどうだろうか。これは返答に困る。おそらく、そんな質問をされるまで、「変哲」の意味なんて考えたことがないという人が多いだろう。人によっては、次のように考えるかもしれない。

(1) 「何の変哲もない」は、「何のXもない」+「変哲」(Xに「変哲」を入れる)という成り立ちをしている
(2) 「何のXもない」は〈Xがない〉ことを強調する表現である
(3) 「何の変哲もない」の意味〈変わったところがない〉から、「何のXもない」の意味〈Xがない〉を引き算すれば、「変哲」の意味〈変わったところ〉が導き出せる

『明鏡国語辞典』を引いてみても「普通と違っていること。変わっていること。」と書かれているので、そのような考え方は間違ってはいないのだろう。だが、「変哲」の意味を〈変わったところ〉と答えてよいのか戸惑う人もいるはずだ。たしかに、「何のXもない」という表現自体は他にたくさんあり、「何の変哲もない」もそのグループの一員であると言えそうだ。実際、(6)や(7)などは、意味も「何の変哲もない」にかなり近い。

(4) 何の違いもない
(5) 何の変化もない
(6) 何の特徴もない
(7) 何の面白味もない

しかし、これらと「何の変哲もない」が違うのは、「変哲」がほとんど「何の変哲もない」という形でしか使わないことである。(5)のように「変化」であれば、「何の変化もない」以外に「変化がある」「変化に気づく」など、他のことばとの組み合わせも可能であるが、「変哲」ではそのようなことがない。そのため、「変哲」単独の意味を知ることはあまり有意義ではなく、「何の変哲もない」全体の意味がわかればそれで十分であるとも言える。「変哲」の意味を尋ねてくる日本語学習者は、そうした事実を知らないかもしれないので、「変哲」の意味が何であるか以上に、「何の変哲もない」という決まった表現として用いることを伝える必要があるだろう。(まぁ、外国語学習では、必ずしも実用的でないことまで聞いてみたくなるので、もし実際に聞かれることがあったら、「変哲」の意味なんてしらなくていいよ、などと学習意欲をそぐようなことは言わないが)

同じような例は英語にもある。英語のby dint of ... は、「...によって、...の力で」を意味する表現だが、dintはこの形でしか用いられない。Longman Dictionary of Contemporary Englishでは、dint単独の意味は載せておらず、by dint of ... の意味と(8)の例文のみ載せている。そのため、dint単独ではなく、by dint of ... という形でしっかり覚えるべきである。

(8) By dint of hard work and persistence, she had got the job of manager.

ただ、dintはこれ以外のことばと結びつかなくても、by X of ... という表現は他にもある。

(9) by means of ...(...によって、...を使って)
(10) by virture of ...(...によって、...のおかげで)
(11) by reason of ...(...のために、...の理由で)

(9-11)は意味の上でもby dint of ...に似ているし、(10)などはby dint of... の代わりに使うことも場合によってはできるだろう。そのため、by dint of ... もby X of ... のグループに属していると言えるのだが、dintが他の表現に現れない点が、(9-11)と異なる。英語話者に尋ねたことはないが、dintの意味は何か聞いてみれば、日本人が「変哲」の意味を聞かれるのと同じような反応をするのではないかと思う。

私たちが言語の意味を考えるとき、漠然と【部分の意味を足し算すれば表現全体の意味が得られる】ように考えている。しかし、ここで取り上げた二つの表現は、「何のXもない」とby X of ... にそれぞれ「変哲」とdintを足しているかのような形をしているし、類似の成り立ちの表現と共通する意味があるのに、肝心のXの意味はわからないまま使われている。このことは、私たちは必ずしも部分の足し算をして表現をつくっているとは限らないこと、単独の語よりももっと大きい語句の方が意味の基本単位になりうることを示している。

「何の変哲もない」は、それこそ何の変哲もない表現だが、実は、言語にとって【語の足し算をするというのはどういうことなのか】【意味のありかはどこか】を考えるきっかけにもなる。
ラベル:英語 日本語
posted by ダイスケ at 00:32| Comment(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月30日

文法への接し方:楽譜の読み方にたとえて

外国語にとっての文法は、音楽にとっての楽譜の読み方に似ている、という記事を前に書いた。
なぜ文法を学ぶのか?

読み方を知らない人にとって、楽譜は黒い丸とか棒の暗号にすぎない。しかし、読み方がわかればたとえ聞いたことがなくてもどんな曲かわかり、その曲を弾くことができる。もちろん楽譜なんかなくても耳を頼りに曲を覚えて弾けてしまう人もいるだろうが、細部がわからなかったり、曲によってできたりできなかったりの状態になりかねない。どんな曲にも対応できるようにするには、楽譜が必要である。

外国語の場合、文法がわからなくても、何度も耳にすることで覚えて使えるようになる表現もあるし、文法的説明があまり役に立たない決まり文句というのもある。だが、複雑な内容のものを読んだり聞いたりしようとすると、表現も複雑になり、語の組み合わせ方も一筋縄ではいかなくなる。自分から伝えるときにも、ただ使い語をなんとなく並べるだけでは、ぼんやりと伝えることはできても細かい部分は伝えられないかもしれない。どんな表現でも理解できるように、あるいは自分で使えるようにするにあたって、文法というガイドがあれば便利である。

さて、楽譜にはドレミという、「何の音を出すか」を指示する部分と、音の強弱・演奏の速度のように、「どのように音を出すか」を指示する部分がある。出す音を間違えると、あきらかに曲がおかしくなってしまうが、音を間違えなければ、音の強さや速さを変えても、雰囲気は変わるが同じ曲ではあると思えるだろう。

文法にも、それに対応するようなふたつの部分があると言える。まず、「何の音を出すか」にあたるのは、「どんな出来事を伝えるのか」である。基本的な語の組み合わせ方によって、語の意味関係(主語、目的語、動詞など)が決まり、出来事が表現される。英語の文法でいうと、文型や構文として扱われる部分に相当する。たとえば、John hit Mary.は、語順によって主語や目的語が表されている。これをMary hit John.すれば、そもそも別の出来事になってしまい、意味が全く異なる。そのため、外国語の文法を学ぶにあたって、「どんな出来事を伝えるのか」の部分は、しっかりと理解しておく必要がある。

それにたいして、「どのように音を出すのか」にあたるのが、「どのように出来事を判断しているのか」である。伝えるべき出来事がいつのことなのか、どれくらいの可能性で起こるのか、といった部分で、英語の文法なら時制や助動詞などで扱われる。これは、「どんな出来事を伝えるか」に比べると、わかりにくい部分である。John will hit Mary.とJohn may hit Mary.は、まったく別の意味というよりも、同じ「ジョンがメアリーを殴る」という出来事に対しての判断の仕方が違いが表されているわけで、どちらか一方のみが正しいとは言いにくくなる。文法を学んでもモヤモヤした部分が残るが、少しずつ慣れていくしかないだろう。

このように、文法を二つに分けたからといって、特別外国語学習がはかどるというわけではないが、心理的には少し楽になるかもしれない。「どんな出来事を伝えるのか」の部分はあいまいにせず、間違えたら文法書や辞書でしっかりチェックする必要があるが、「どのように出来事を判断しているのか」は、理解するのに時間がかかってもしょうがない、と思うことでわからない部分があっても落ち込みすぎるのを避けることができる。どんな状況でどんな表現が適切かその都度考え、できるだけ意識的になって、ちょっとずつわかっていけばいい、と前向きに取り組むことができる。

語学は、一朝一夕には身につかない。だとしたら、できるだけ続けて学習できるような気持ちにすることが必要だ。文法を学ぶ意義、文法への接し方を自分なりに納得しておくことは、きっと語学のやる気を維持する上で大事なことだと思う。

関連記事:
なぜ文法を学ぶのか?
posted by ダイスケ at 20:44| Comment(0) | 学習・教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月18日

教育実習を思い出して

最近、「教育実習」を検索キーワードに訪れる方が増えていて、教育実習が行われる季節なのだなあと思う。ぼく自身も、3年前の6月に入ってすぐのタイミングで教育実習をやったのだった。

講師として戻ってみると、卒業生が近況報告をしに職員室を訪れる姿をよく見かける。自分もそううだったのだけど、そうやって、何かあったときに帰れる場所であるっていうのは、いい学校の証拠なのではないかなと思う。先日も教育実習をやったときの生徒が遊びに来ていて、少し話をした。その生徒は自分がホームルームでは担当せずに授業だけでの関わりだったのに、いろいろ自分のことを覚えてくれていた。教育実習の3週間だけの関わりとはいえ、成長した姿を見ることができてうれしかった。

また、実習のときに配布したプリントを未だに捨てずにもっている人もいたりして、当時精一杯やったことは何らかの形で彼らに伝えることができたのだなと思い、この仕事のやりがいを感じた。

実習のときの生徒に比べると、今担当している生徒たちはちょっとおとなしいところがあるんだけど(教頭先生が学校で一番おとなしいクラスなのではと言っていた)、自分次第でもっと盛り上げたり主体的に参加できるような雰囲気づくりもできるのだろうなと思う。今後の人生、どうなっていくか未知な部分が多いけど、ここでがんばったことはきっといろんな形で生かせるのだろう。

明日の授業準備もがんばります。
posted by ダイスケ at 22:25| Comment(0) | 日々の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする