【ブログ紹介】
■大学芋はなんで「大学芋」という名前?「大学」+「芋」=「大学芋」と単純にはいえない。そう考えると、ことばには不思議がいっぱい。「大学芋」をきっかけにことばについて考えるブログです!
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2012年11月20日

ワークショップをやりました

先日、ある学会でワークショップをやってきました。自分を含め4人の大学院生での発表です。ワークショップ全体のテーマは「評価的意味」。

人が何かを語るときには、多くの場合、ただ内容を語るというよりは、何らかの形で物事の評価が入り込みます。たとえば、「彼は誤植を見逃した」といった場合は、単に誤植に気づかなかったということを伝えているのではなく、それが本来気づくべきことなのに気づかなかったという否定的な評価まで伝えていると考えることができます。このような意味の評価的側面に注目して、各メンバーが英語の分析を行いました。

ワークショップ全体の大枠が個々の発表に生かされたところと、1人1人の発表から全体の方向性を決めていったところと両方あって、その相互作用がワークショップの醍醐味だなと思いました。4人の発表はそれぞれ異なる関心をもちつつも、全体でひとつのものを作り上げていくプロセスが楽しかったです。また、今回は自分自身の発表だけでなく、ワークショップ全体のイントロダクションも担当したので、自分の研究を俯瞰してとらえるきっかけにもなり、その意味でも得るものがありました。

このような大きなところで発表するのは、今年2回目です。前回の発表は、自分自身の発表の仕方にも反省点があったのですが、会場の反応はいまひとつで、今まで発表した中で一番盛り上がっていなかったと感じていました。そんな中よい評価をしてくださる方もいて、その方からは「おもしろかった」と言っていただいただけでなく、研究上のアドバイスや文献情報も教えていただき、とても勇気づけられたのでした。そのため、今回は前回の反省を生かし、その後の勉強の成果を発揮するという目標もありました。

当日は、ワークショップが6室同時進行だったこともあり、来場者は20人弱でしたが(どの部屋もそんなに人は多くなかった模様)、質疑応答も盛り上がり、ワークショップの趣旨も伝わったのではないかと思うので、目標はある程度達成できたかなと感じています。

後日、来場した先生方から「発表内容、態度ともによかった」「とても面白く、将来へ広がって行くような視点だった」というお言葉もいただいて、とても励みになりました。まだまだ課題も多く残っていますが、全体としてよいワークショップができたと思います。今後ともがんばります!
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2012年10月26日

とりあえず近況

最近ろくにブログの更新ができてませんが、とりあえず近況です。

大学院は9月末まで休みでしたが、非常勤先の高校は9月頭から授業開始だったので、結局夏休みは8月で終わりという感じでした。夏休みは、日本言語学会の夏期講座に参加したのが最大の思い出です。たくさん講義を受けて、関西など普段会えない方と交流できたりで、とても楽しかったです。そのとき出会った方々とは、その後も連絡を取ったり再会したりする機会があって、こういうつながりは大事だなあって感じています。

高校は、先週中間テストがあって、2学期始ったばかりなのにって思ってしまいました。どんどん時間は過ぎてゆきますね。

中間テストを採点していて思ったのですが、あるクラスの採点を一年間一貫して同じ基準で行うっていうのは、難しいことかもしれませんね。たとえば、中間テストではスペリングのミスを減点にしたのに、期末テストではおまけで丸にする、みたいに採点の基準を少し変えるということがあります。これは、採点する側からすると、赤点を出ないようにしたり平均点を上げるための手段だということがわかりました。

ただ、生徒からしてみれば、一貫性がなくて筋が通ってないと思うかもしれませんし、自分がどのように採点されるか試験中に必ずしもわからないならば、問題をどんな時間配分で解くかなどの戦略が立てにくいということにもなりますよね。予備校では赤点の問題もありませんし、もっと一貫したやり方をしているでしょうから、なんとなくそのへんを察知した上で予備校のほうが好きという生徒も実際にはいるんでしょう。

もっと生徒のことを把握した上で問題作りができれば、一貫性を保った採点ができるのかもしれませんが、なかなかそれも難しいですし、どんな問題を出すかも教師のメッセージのひとつであると考えれば、平均点だけを考えて問題を出すということにもなりませんし、悩ましいところではあります。現実的にはその都度できることをやるという感じかもしれませんが、少なくともそういうところは無頓着にならないようにしていきたいです。
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2012年06月18日

教育実習を思い出して

最近、「教育実習」を検索キーワードに訪れる方が増えていて、教育実習が行われる季節なのだなあと思う。ぼく自身も、3年前の6月に入ってすぐのタイミングで教育実習をやったのだった。

講師として戻ってみると、卒業生が近況報告をしに職員室を訪れる姿をよく見かける。自分もそううだったのだけど、そうやって、何かあったときに帰れる場所であるっていうのは、いい学校の証拠なのではないかなと思う。先日も教育実習をやったときの生徒が遊びに来ていて、少し話をした。その生徒は自分がホームルームでは担当せずに授業だけでの関わりだったのに、いろいろ自分のことを覚えてくれていた。教育実習の3週間だけの関わりとはいえ、成長した姿を見ることができてうれしかった。

また、実習のときに配布したプリントを未だに捨てずにもっている人もいたりして、当時精一杯やったことは何らかの形で彼らに伝えることができたのだなと思い、この仕事のやりがいを感じた。

実習のときの生徒に比べると、今担当している生徒たちはちょっとおとなしいところがあるんだけど(教頭先生が学校で一番おとなしいクラスなのではと言っていた)、自分次第でもっと盛り上げたり主体的に参加できるような雰囲気づくりもできるのだろうなと思う。今後の人生、どうなっていくか未知な部分が多いけど、ここでがんばったことはきっといろんな形で生かせるのだろう。

明日の授業準備もがんばります。
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2012年05月06日

初心に戻って

このブログを始めたのが2009年の1月なので、もう3年とちょっと続けていることになります。細部の変更はあっても、基本的な部分は変わらずに続けてこれたのだなと思います。継続して見に来て下さる方もいて、本当にありがとうございます。

ブログへのアクセスも少しずつ増えてきて、もう一度ブログの出発点となる記事を書いてみたいなと思っていました。そう思いつつ1年ぐらい経ってしまいましたが、ようやく「「大学芋」からことばの不思議へ」として書き直すことができました。内容は前と同じなのですが、前よりもうまくこのブログが目指しているものを紹介できたかと思います。

そして、このブログに初めて訪れる方にも読んでいただけるよう、レイアウトをちょっと変更して【ブログ紹介】というのをつけてみました。スマートフォンで見る場合にも反映されるようにしています。近いうちに、過去記事で検索されることが多いものと反響があったもののまとめもつくろうかと思っています。
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2012年01月03日

あけましておめでとうございます

少し遅れてしまいましたが、あけましておめでとうございます。

2012年は、「2011年が終わった」と言えても「2011年が終了した」は不自然なのはなぜか、という問いから始まりました。

一見すると意味が同じに感じられるのにこの二つの文の自然さが違うということは、「終わる」と「終了する」という動詞に何らかの違いがあるはずで、初詣に行く車の中で、ずっとそれを考えてました。

そんなぼくを見て、また始まったよ、と少し呆れた顔をしつつも、ぼくが考え出した例文の自然さを判断してくれたり、ときには意見を言ってくれたり、意見によっては反論してしまうのに(多少機嫌を悪くするだけで?)許してくれる家族に感謝します。

今年は、まずは修士論文があるので、今はそれで頭がいっぱいという感じですが、なんとか乗り越えたいと思います。

今年もよろしくお願いします!
タグ:日記
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2011年12月28日

英語の文法書

英語の文法書といえば、『ロイヤル英文法』や『Forest』が有名なのではないかと思う。英語を学習する上で、こうした文法書があると、忘れていた文法項目を確認したり、体系的な理解ができたりと何かと便利である。

英語の文法書にもいろいろあるが、世界最高水準の文法書といえば、次の3冊が挙げられる。
[1] A Comprehensive Grammar of the English Language (Quirk et al., Longman, 1985)
[2] Longman Grammar of Spoken and Written Engilsh (Biber et al., Longman, 1999)
[3] The Cambridge Grammar of the English Language (Huddleston and Pullum, CUP, 2002)

これらは英語学習のためではなく、英語研究のための文法書。[1]は1985年に出版されたものだが、包括的で緻密な記述ゆえに25年以上経った現在でも高い権威を保っている。ただ、その後も[2]や[3]のような文法書が登場しているということは、どんな文法書でも完璧ということはないということを意味しているのだろう。実際、英語研究の論文ではこれらを研究の出発点として、まだ記述されていない文法現象を明らかにしたり、新しい視点からの文法の説明を提案したりしている。

[1]と[3]は約1800ページ、[2]は約1200ページというかなりの厚さ。この厚さは著者たちのかけた時間と労力と情熱を物語っている。それを思うと、こういう文法書が存在するということに感動してしまう。このような巨人の肩の上に立つことができる喜びを感じつつ、締め切りの迫った修士論文をがんばりたいと思います。
タグ:日記 英語
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2011年10月07日

京都・奈良旅行その2

京都には一度行ったことがあるけれど、奈良は初めて。いろいろ新鮮だった。

まず、駅にはせんとくん。
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奈良といえば、やはり東大寺。バスで東大寺の近くまで行く。バスを降りてちょっと歩くと鹿がお出迎え。話には聞いていたけど、こんな道のど真ん中を歩いているとは。
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周りを見てみると海外からの観光客も多い印象。そして、この中に大仏が。
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うーん、でかい。
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京都と同様、修学旅行の中高生もたくさんいた。ぼくは中高の修学旅行が京都・奈良ではなかったので、今回初めて奈良に訪れたのだが、修学旅行として訪れたことがあったなら、きっと当時のことを思い出したりする機会にもなったりするのだろうなと思った。修学旅行としての京都・奈良旅行って、単に文化の継承ということだけじゃなくて、日本人としての共有の思い出をつくるみたいなものがあるんじゃないだろうか。

せっかくなので、鹿せんべいも買ってみた。買うとすぐ鹿が近づいてくる。あげるのに手間取って軽く頭突きもされた。
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奈良はあんまりゆっくり見れなかったけど、京都以上に緑豊かそうで、もっとじっくり見たかった。ぜひまた来たい。

今まで関東で開催される学会以外はなかなか参加できなかったけど、遠方での学会もこうした観光などの楽しみがあっていいなあと思った。

学会について何も書いていない(笑)。今回は完全に聞く側だったので、落ち着いて聞けて得るものも多かった。懇親会では、京都・神戸・名古屋など主に関西圏の方々と再開したり新しく知り合いになったりで、とても充実していた。帰り際まで付き合ってくれたCくんには感謝です。ここでお世話になった方々が今度東京に来ることがあれば、ぜひ観光などお手伝いしたいと思います。
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2011年10月05日

京都・奈良旅行その1

長かった大学院の夏休みも終わり、後期の授業が始まった。夏休みは、バイト先の夏期講習と論文の執筆という感じで過ごしていた気がする。そんな中で一番の思い出は、9月の京都・奈良旅行。旅行というか、学会参加(自分の発表はなし)がメインなのだけど、せっかくなので観光もすることにした。

全体的に安く済ませようと思い、行きと帰りは夜行バスを利用。夜10時に東京駅発。快適とは言えないものの、想定していたよりは問題もなくてちゃんと眠ることもできた。クーラーが効きすぎていたのでちょっと寒かったけど。

朝6時ちょっと前に京都到着。
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この時間、京都駅周辺にやっているカフェとかファーストフードのお店がなかなか見つからなくて、やっとの思いでマクドナルドへ。他にお店がないせいか、かなり混んでいた。どこを見て回るか全然考えていなかったので、バスに乗る前に買っておいた「るるぶ」をチェック。

京都はバスが発達しているようなので、一日乗車券を買を買うことに。バスの路線わかりづらくて、るるぶ持っているのに降りることろ間違えた(笑)。午前中はまず三十三間堂。仏像に圧倒されたり、修学旅行の中高生に囲まれたり。
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次に、清水寺。ガイドブックに載ってそうな写真。
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下から取った写真。
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以前来たときはあまりゆっくりお土産屋を見れなかったけど、今回は時間かけて回れたので満足。
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こうやって行き先も滞在時間も自由に決めることができるって思いのほか気持ちよくて、意外と自分は一人旅が好きらしいということがわかった。のんびりと4時間ぐらいかけて、このふたつを回る。

午後は、以前学会でお知り合いになったSさんに観光に付き合っていただきました。午後は京都大学から。京大は広くて緑もあって周りに観光名所もあるし、ビルに囲まれた都心の大学で過ごすのとは全然別の大学生活になるんだろうなあ。時計台近くの門の看板が印象的だった。
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次に銀閣寺。銀閣寺もゆっくりとしたペースで回る。苔による緑の風景に目を奪われる。
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豊かな自然と銀閣寺の落ち着いた佇まいに、Sさんのお人柄もあって、とても癒されました。Sさん、本当にありがとうございました。

奈良については次回。
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2011年09月30日

誕生日、感謝、恩返し

9月30日は誕生日でした。

今年はたくさんの方から、誕生日のメッセージをいただきました。さらには、ここ数日の間にプレゼントをいただいたり、ランチをごちそうになったりと、様々な形でお祝いしていただき、本当にありがとうございました。

今日はそれほど誕生日っぽい日を過ごしたわけではないですが、執筆中の論文を仕上げることができたので、とりあえずの区切りがついてホッとしています。そもそも、こうやって大学院で研究をすることができるというのは、日々多くの方々のお世話になっている証拠だなと思います。

ゼミをはじめ大学内の仲間からは研究上の刺激をもらっているだけでなく、何気ない会話を含めて大切な時間を共有しているなあと思っています。先生方からは勉強の機会をいただいたり、研究に関するアドバイスや励ましのお言葉をいただいたりして、うれしすぎて涙が出そうです。学会では、他大学の大学院生の方々と交流できて楽しいのはもちろん、遠方で一人で参加というときに非常に親切にしていただいて、心強かったです。そして、今の生活は、未だに学生を続ける自分を見守って日々支えてくれる家族があってこそです。こうやって、いろんな方々に助けていただいて幸せだなあと実感できたことが、最高の誕生日プレゼントのような気がしています。

まだまだ自分のことで精一杯ではありますが、ちょっとずつでも恩返しがしていけたらと思いますし、また、直接その人に何かをもたらすという形でなくとも、だれかを幸せにできるような、そしてそれがめぐりめぐって恩返しになるような、そんな研究をしていければなと思います。

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2011年07月31日

101回目です

今回の記事が101回目です。ブログを始めたときは、どれくらい続きそうかなんて考えていなかったし、ただ思いつくままに記事を書いていたのですが、期間にすると2年半ぐらい、100回以上記事を書いたかと思うと、感慨深いものがあります。

ブログの感想を直接伝えてくださったり、コメントを書き込んでくださったり、twitter上で反応してくださったりした方々はもちろん、GoogleやYahoo!で検索していらっしゃる方も多くて、いろんな方々に見ていただけているようで、本当に感謝です。どうもありがとうございます。

ぼくは、大学では言語学・英語学を勉強しているのですが、そのことを人に話しても、「じゃあ、語源詳しいの?」「英語ペラペラ?」みたいな反応が多かったので、歴史とか運用能力以外の形でも、ことばについて考えることができることを知ってもらえたらなと思って、それがブログを始めるきっかけでした。

ただ、言語学の紹介みたいなブログにはしたくないなあって。まず、自分自身がそんなに言語学に詳しいわけではないというのもあるけど、それ以上に、ぼくがことばについて考えたりするようになったのは、言語学が始まりではなかったからです。

日本語の「いる」「行く」「来る」は、なぜ尊敬語になるとまとめて「いらっしゃる」になるのか。英語のIt rained yesterday.のitは一体何か。「地面を掘る」と「穴を掘る」、前者は地面が掘るという行為の対象なのに、後者は掘るという行為の結果できるもので、種類がちがうのになぜどちらも同じように「-を」の前にきているのか。こういう疑問は前からもっていて、どうも言語学という学問があるらしいと知ったのは、その後のことです。

だから、言語学を学ぶときの根底にある興味みたいなものを文字にする方が、自分に素直な気持ちでやっていけるんじゃないかなと思って、素朴な疑問や自分の実際の体験をもとに記事を書く形にしました(「言語学の紹介」のカテゴリだけは別ですが)。そうした思いでブログの記事を書くことは、ことばについて考えるおもしろさを紹介すると同時に、なぜ言語学を勉強しているのかを自分自身に問い直すような営みにもなっていたような気がします。そういう意味で、このブログは自分の大学での研究と表裏一体なのかもしれません。

趣味でありつつも、ちょっと真面目に、でもタイトルは「大学芋」で肩肘張らないブログとして、これからも続けていけたらいいなあと思います。今後もよろしくお願いします。
タグ:日記
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2011年04月14日

英語学・英文学の新しい交流を目指して3:実践者のことば

前回、前々回の記事:
英語学・英文学の新しい交流を目指して:『英語青年』をきっかけに
英語学・英文学の新しい交流を目指して2:尊重、そして対話

英語学と英文学は、たまたま隣にいる他人ではなく、よきパートナーである。大学院で勉強するうちに、そう思うようになっていった。その過程で読んだ文献を、一部引用しながら以下に紹介したい。こうした実践者がいるということは、自分にとって大いに励みになった。

 しかし、生成文法に活力を取り戻す重要な手段が、英語学の中の関連領域にまで資料の射程を広げて行くことであったと同様に、今そのあり方が問われている(とそこにいる人たちの多くが感じている)英文科というものに活力を与えるのも、その鵺(ぬえ)的な性格を逆手にとって英米文学、英語学を総合すること、すなわち英文科ではかつてずっとやってきたことに立ち戻ることであるかもしれない。(p. 24)
外池滋生. 2001. 「英文科、英語学、生成文法」『英語青年』 4月号.


 [...] 認知言語学のアプローチは、人間の知のメカニズムを総合的に探究していく認知科学の視点に立った新しいことばの科学のアプローチとして、文学部、文学研究科に代表される伝統的な英語学と英米文学の研究・教育への橋渡しをしていく可能性を期待できる。(p. 28)
山梨正明. 2001. 「言語科学と関連領域の境界性」 『英語青年』 4月号.


 If English studies are to survive and, desirably, prosper in the twenty-first century, there is a need for the discipline to explore the possibility of functioning as one organic whole, while retaining the academic eminence of each discipline. [...] The key concept for restructuring English studies in Japan is [...] English in its entirety, with its own history, grammatical structures, cultural backgrounds, literary implications, and all the properties that English can possibly carry as a language. (p. 37)
Saito, Yoshifumi. 2004. "English studies in Japan at the crossroads" 『英語青年』 10月号.


 [...] より重要な洞察は、日常的なメタファーも詩的メタファーも、かなりの部分においては共通した「素材」によって成り立っており、それゆえ文学研究の成果はヒトの認知をより高い精度で理解するために役立つという点にある。[...] 文学テクストと日常の言語使用の間を地続きと見るなら、前者によって鍛錬された方法は後者にも適用可能なはずである。 (p. 5)
大堀壽夫. 2005. 「ナラトロジーと認知研究:応用科学としての文学」 『英語青年』 12月号.


 このことは、コーパス言語学のすぐれた学際性を含意する。言語研究、とくに英語研究の世界では、かつてはゆるやかに統合されていた英文学、英語学、英語教育学の間の垣根が高まり、英語そのものを幅広い視野で見ることが次第に難しくなってきている。こうした状況の中で、コーパスは細分化した言語研究の諸領域をふたたび糾合し、新しいダイナミックな研究の展開を支える可能性を持つ。 (p. iii)
石川慎一郎. 2008. 『英語コーパスと言語教育』 大修館書店.


 しかしながら、言語を媒体とする以上、文学はあくまで一つの言語構造体である。そういう意味でいえば、言語の一つの可能性を実現したものと考えることができる。言語的な研究によって解明できない部分も多いかもしれないが、解明できる部分もまた少なくないはずである。 (p. iv)
斎藤兆史. 2009. 「序」 斎藤兆史(編). 『言語と文学』 朝倉書店.

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2011年04月10日

英語学・英文学の新しい交流を目指して2:尊重、そして対話

前回の記事:
英語学・英文学の新しい交流を目指して:『英語青年』をきっかけに

前回は、『英語青年』という雑誌の休刊という話題をもとに、英語学と英文学の専門分化と新しい相互交流の可能性について書いた。

新しい協力関係を模索する上でのヒントは、『英語青年』の中にも見出すことができる。『英語青年』は「英語」の総合雑誌であることを反映した、英語学と英文学の接点となるような特集や英文科そのものを考える特集が組まれることがたびたびあった。たとえば、今世紀に組まれた特集だけでも、以下のようなものがある(英語学寄りではあるが)。

2001年4月号「特集:英語学のこれから」
2003年7月号「特集:英文読解と英語学」
2005年12月号「特集:認知とレトリック」

これらを読むと、ただ「英語だから」という理由だけで英語学と英文学が結びつくのは難しいにしても、新しい形の統合や学際的視点を追求していた方々がいることがわかる。紙媒体が休刊となり『Web英語青年』に移行した現在は特集が組まれなくなったので、もう新しい特集を目にすることはできないかもしれないが、上記のような特集から学ぶことは多いように思う。

また、文体論は、まさに言語学と文学研究を再び結びつけるために発展してきた学問である。言語学そのものでも文学研究そのものでもない間分野的な(interdisciplinary)学問のため、英語学の講義でも英文学の講義でも取り上げられる機会が少ないのかもしれないが、そのような実践をしている方もいるということだ。

文体論の論文も読んでいきたいし、学際的な研究の可能性は追求していきたいが、とりあえずは、すぐにそのようなことをしようとは思っていない。自分にもっとも相性が良いのは言語学だと思うし、それが自分にとってのホームのような気がするからだ。そのため、はじめに目指す協力関係は、言語学と文学を融合させた研究をするというよりは、この100年の間に両者が専門性を高め、発展させてきたことによる成果を尊重し、それを語り合うことにある。自分の分野の専門用語や問題意識が通じない相手との対話は大変なこともあるが、そうした交流の中で、両者は自分たちの専門が暗黙のうちに前提としてきた価値観に気づいたり、研究の範囲を絞るうちに抜け落ちてしまった視点を取り返すことができるのだと思う。それは、すぐに自分の研究に生かすことができなくても、10年後、20年後の自分に大きな力を与えてくれると信じている。

関連記事:
英語学・英文学の新しい交流を目指して3:実践者のことば
posted by ダイスケ at 21:41| Comment(0) | 日々の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月08日

英語学・英文学の新しい交流を目指して:『英語青年』をきっかけに

今回は、『英語青年』という雑誌をきっかけに、英語をめぐる諸学問の関係について考えてみたい。

『英語青年』とは、英語学、英文学、英語教育などの話題を扱った英語に関する総合雑誌である。1898年創刊、2009年休刊。現在はウェブに移行し、『Web英語青年』として残っている。

100年以上続いた『英語青年』の休刊に対する反響は大きく、朝日新聞の朝刊にも取り上げられた。休刊については、学生のころ『英語青年』を読んでいたという方々からの休刊を惜しむ声や出版業界の不況、あるいは学術誌の電子化といった話題が取り上げられることが多かったように思うが、ここで少し別の側面に注目したい。

そもそも休刊するほどに販売部数が落ち込んでいたのはなぜだろうか。その理由のひとつは、英語学、英文学の専門分化にあると思う。

かつて、それら研究分野は「英語」の名のもとにゆるやかにつながっていたが、だいぶ前からそのつながりを実感するのは難しい状況になっていたように感じる。いわゆる英文科と呼ばれるころでは、英語に関わる言語学と文学を学ぶことになっているが、その関心やアプローチはかなりの程度に異なる。実際に両者の教授が研究上の交流をしていることも少ないような印象を受ける。ある時期までは、英語の語法的・文法的研究は文学作品を読む上でも重要であるという認識があったようだが、言語学の独立がはっきりして、文法のメカニズムを探求したり、言語の普遍性の解明を射程に入れるにつれて、言語学と文学の距離は離れていった。

今、英文科は英語をめぐって言語学と文学を学ぶと簡単に説明したが、実は英語学、英文学というのもそれぞれ一枚岩ではない。英語学では、現代英語と英語の歴史を対象とするのでは、扱うべきものが異なるし、現代英語の諸現象を説明するための文法理論も様々である。英文学にしても、数々の批評理論と中世における写本の研究では方法論が違うし、イギリス文学研究とアメリカ文学研究の雰囲気もだいぶ違う。

見方によっては、それぞれの分野が互いに依存しなくてもいいような独立した地位を獲得したともいえるのかもしれない。日本英文学会、日本英語学会といった全国規模の学会がある一方で、最近は分野ごとの個別の学会が設立されている。英文科でも必修の枠が減り、選択科目の英語史を受講することなく英文学や英語学の道に進むことも可能な大学だってあるし、そもそも英文科という看板自体が以前よりも少なくなってしまった。

このような状況からもわかるように、「英語」という共通項だけではそれぞれの領域をつなぎとめることができなっていたのだと思う。『英語青年』の休刊は、その象徴ではないだろうか。英語学の記事だけでも、必ずしもすべての英語学者に共有できるものではないのに、英語学も英文学もすべての記事に目を通すという人がもはやいなくなっていたとしても不思議ではない。昔に比べて、「英語」の総合雑誌を必要とする人が少なくなってしまったのだろう。

しかし、それは英語をめぐる諸学問が相互に交流できないことを意味するわけではない。むしろ、お互いに協力できることをもっと知るべきだと思う。たとえば、文学研究にとって、言語学で明らかにされる言語の一般的な仕組みは、あるテクストの特異性やテクスト間の比較をする上での指標となるだろう。言語学にとって、文学研究の対象となるテクストは、これまでに議論されてきた言語現象(構文など)がどのような形態として実現されているか、あるいは言語の創造性が生まれる可能性を知る上でも得るものが大きいはずだ。

そのような可能性が追求されているとは必ずしも言い切れない状況は、お互いがお互いのことをあまりにも知らない(知る機会が少ない)ことからくるのだろう。知らなければ、お互いが協力できるという発想も生まれない。英語学と英文学がどのような形で影響し合うにせよ、互いの関心・アプローチの違いを知ること、そして、それぞれ自分の専門分野にしか通じない方法ではなくて、互いに分かりあえることばで自分たちの研究成果を語り合うことが必要だ。それは英語を扱う諸学問の新しい協力関係を模索するための出発点となるだろう。

関連記事:
『英語青年』と『web英語青年』
言語学と文学の関係を考えるにあたって
英語学・英文学の新しい交流を目指して2:尊重、そして対話
英語学・英文学の新しい交流を目指して3:実践者のことば
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2011年03月22日

地震から10日経って

地震から10日経過。あれからたびたびの余震はありましたが、ぼくのまわりでは大きな被害はなく、無事に過ごしています。
ただ、学会や研究会などはみな中止か延期になってしまいました。

あれから、自分にできることや生きる(生きている)意味を考えたりしました。
今すぐできることはわずかながらの募金をすることぐらいでしたが、将来は何らかの形で、特に人文科学を学ぶ自分なりのやり方で力になりたいと思います。

このときに感じた思いを大切に、生きていこう。
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2011年03月13日

東日本の大地震

東日本で続いた地震。被害の状況が次々と報道されていますが、一人でも多くの方が助かることを願います。

ぼくは11日の地震があったときは東京の大学にいました。けがなどもなく大丈夫です。安否の確認の連絡をくれた方は、ありがとうございました。

今回は、自分自身のためのメモという意味も込めて、11日から12にかけての出来事を書いておきます。

―11日―
15時ごろ
■15時から大学で英語教育に関する勉強会を開催する予定。待ち合わせ時間直前に地震発生。少しずつ揺れ始め、次第に激しく。震度5強。
■大学内の人や校舎に特に被害はなかったものの、大学から見える位置にある工事中のビル屋上のタワー式のクレーンが激しく揺れ落ちてきそうになったのを見て、ただ事ではないと思った。
■待ち合わせ場所に到着。勉強会メンバーと会う。この時点ではそれほど深刻な認識をしておらず、勉強会は行うつもりで、しばらくして教室に移動。再び揺れ、校舎から出る。大学側から校舎に入らないように注意が入る。
■勉強会は中止することに。しかし、電車がどれも動いていないということがわかり、メンバーはそのまま大学に残る。

16時ごろ
■とりあえず、揺れは大丈夫そうだと判断。大学の中では図書館が開いていたので、勉強会のレジュメを印刷。配布するだけ配布。一応大まかな話だけでもしようということで、青空勉強会開始。
■校舎に入ってよいとのことなので、校舎の中へ。何かあってもすぐに出れるところに座る。
■勉強会再開。

17時ごろ
■大学による交通情報のアナウンスなどに注意しつつ勉強会継続。
■帰宅困難者待機用に教室が開放され、教室へ移動。

18時ごろ
■勉強会を一通り終える。このような状況だったが、メンバーの方々には楽しんでいただけたようだ。
■大学から非常食としてクラッカーと水の配布。おなかがすき始めていたので助かった。
■家族は家に帰れたとメールを受信。

19時ごろ
■コンビニで食料調達。パン、おにぎりなどは売り切れ。わずかに残ったカップラーメン(辛い味のものだけ残っていた)を購入。
■大学にいた先輩、後輩、友達が同じ教室に集まる。知っている人といっしょにいるのはとても心強い。

20時以降
■みんなでおしゃべり。買い出しに行く人も。
■ずっと電話もつながりにくく、メールの送受信もスムーズでなかった。パソコンのメールで弟とやりとり。電車が動かないので大学に泊まることに。

―12日―
3時ごろまで
■パソコンで被害状況を見る。ラテン語や古英語(1000年近く前の英語)の勉強をする友達を見て、自分もちょっと英語の勉強。
■地下鉄は動き始めたようだが、混雑してそうだし乗っている間に揺れたら困ると思い、とりあえず待機。

4時ごろ
■フランスに留学中の後輩から心配のメール。世界的にも報道されていることを知る。
■Ustreamでニュースを見る。長野・新潟のほうでも地震があったというニュースが入る。
■その後しばらくは、数分おきに地震の速報。どこかしらで震度3以上の地震があることを知る。
■緊急地震速報(これからくる地震の警告)があり、関東にも地震がくるとのことだったので、警戒。常に逃げられる準備をする。
■音量を大きくしてUstreamのニュースをみんなで聞ける状態に。

5時ごろ
■緊急地震速報が何度かあるも、結局は大きな揺れはこなかった。

6時ごろ
■ニュースは地震の速報よりも被害の中継が中心になる。
■家族に電話。家族はぐっすりと寝ていて、長野の地震のことは知らなかった。

7時ごろ
■とりあえず大丈夫そうなので、地下鉄で帰ることに。
■JRとちがって地下鉄の運転再開からはだいぶ時間が経っているはずだが、駅には人がいっぱい。電車内混雑。

8時ごろ
■無事帰宅。自宅の被害は最小限。部屋の本は意外と倒れていなかった。

9時ごろ
■ずっと起きていたので、やっと寝る。

その後は、ごはん食べて、報道見て、といった感じで一日を過ごし、今日に至ります。その間、小さな揺れはたくさんありました。いつでも避難できるような準備をしていましたが、今は大丈夫そうです。

11日は、勉強会をやってよかったなと思います。実はこのとき初対面の人も多かったのですが、これによりメンバー同士も打ち解けたかと思います。その後、朝まで時間を共にしたわけですが、勉強会という時間を共にしたメンバーといっしょだったおかげで、精神的な負担も少なかったと思います。勉強会後には他の友達や先輩も合流して、教室は何かの合宿のような不思議な空間になりました。

12日の午前4時からパソコンでニュースを見ていたわけですが、ニュースを流し続けたことでかえって教室のみんなを不安にさせてしまったかもしれないなと思いました。他の教室よりも暗い雰囲気になっていたように思います。みんなの疲れもたまってきたところだったので、ニュースを見ずに必要以上の緊張がないほうがよかったのかなあとも。電車の運行情報などは最新のものがすぐに知ることができたし、緊急地震速報通りには地震がこなかったからこそ言えることですが。

とりあえず、ニュースばかり見ていても心が休まらないので、今日(13日)の午後から、意識的に勉強、研究をするようにしています。明日は予定通り塾のアルバイトはありますし、この状況下で自分にできることを考えながら少しずつ日常も取り入れていきます。
タグ:日記
posted by ダイスケ at 18:05| Comment(0) | 日々の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月01日

ゆるーく忙しい

今年に入ってから、毎週のように何らかの締め切りがある気がする。塾の冬期講習と大学院の授業の発表を同時並行でこなした後に、学会関係の締め切り、授業のレポート、大学院生同士の勉強会で発表担当、また学会、みたいな感じで。

社会人とちがって、春休みに入ってからは決まった時間にやらなければならないことはあまりなくて、一日の過ごし方はまあまあ自由(だからブログも更新できる)。毎日慌ただしいわけではないのでそのへんはゆるいけど、締め切り前は必死。春休みの時間があるときに読んでおきたいものとかあるけど、なんか目の前のことこなしていくうちに春休みが終わりそうだなあ。

でも、自分の考えたことを発表できる場があること、発表を聞いてくれたり論文を読んでくれたりする人がいるということは、とても幸せなことだなと思う。この幸せを噛みしめて、がんばっていきたい。
タグ:日記
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2011年02月02日

『英語青年』と『Web英語青年』

この頃、時間があると雑誌『英語青年』のバックナンバーを読んでいる。

『英語青年』というのは、英語学・言語学、英米文学、英語教育など幅広く英語を扱った雑誌で、短めの論文、国内外の学界の動向の紹介記事、英文和訳・和文英訳の添削コーナーなどがあった。創刊は1898(明治31)年で100年以上続いた歴史ある雑誌だが、2009年から紙媒体の発行をやめてウェブのみの『Web 英語青年』となった。出版社は研究社。

『英語青年』という雑誌は前から知っていたが、掲載される論文はどれも3ページぐらいでちょっと物足りない感じがするし、文学系の記事も多かったからそれほど見ることもなかった。だから、ウェブに移行したこともすぐには気づかなかったし、言語学の情報を得る媒体のひとつがなくなるのは残念だなと思う程度だった。

最近になって気づいたのは、『英語青年』は毎号組まれる特集が良かったのだなということ。大きなテーマのもと、6人ぐらいの研究者がそれぞれの専門を生かした記事を寄せているのだが、ひとつの現象や作家に対して多様なアプローチがあることに気づいたり、異なる専門分野の発展を知ったりするよい機会になっていたと思う。一本一本の記事が短い分、いろいろな人の記事に触れることができる。

今も『Web英語青年』として残ってはいるものの、特集記事はなくなってしまった。だから、『Web英語青年』への移行は媒体の変更と規模縮小だけでない質的な変化を伴っているといえる。バックナンバーでおもしろい特集を見るたび、もう特集が組まれないかと思うと残念な気持ちになる。
タグ:英文科 日記
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2011年01月21日

ブラウジング

英語のbrowseという動詞は、特定の目的をもたずに店の商品をぶらぶら見て歩いたり、本を拾い読みしたりすることをいう。何かいいものあるといいな、という感じだ。最近ではインターネットで情報を検索するようなときにも使う(browserはインターネットの情報に目を通すためのソフト)。

ただ、実際の商品や本を見て回るアナログのブラウジングと、パソコン上でのデジタルのブラウジングは、同じbrowseを使うにしてもずいぶんとちがう。デジタルのブラウジングは、何かキーワードを入れることで、そのキーワードが含まれている情報だけを効率よく集めることができる(その中からどれを選ぶかというのはあるが)。

それに対して、アナログのブラウジングはとりあえずお店に行ったり、本のページを開けばできる。目当てのキーワードが含まれているものだけを集めるのには向かないが、自分が探そうと思っていなかったけどおもしろそうというものに出会う可能性がある。

最近は、何か論文を探していても、図書館に行かずにインターネット上で手に入ることが多い(電子ジャーナルや著者が自分で公開していたりして)。PDFの形で論文が手に入るのはありがたいが、一方で、近道をしすぎているような気もする。もし図書館で実際に論文を含む雑誌や本を手に取っていれば、その目次から他にも気になる論文を見つけたり、隣に置いてあった別の本もついでに見てみようと思ったりする。そして、案外そうして見つけたものが目当ての論文よりおもしろかったりすることもある。

先日『英語青年』という雑誌の論文をコピーしに行ったのだが、探していた論文以外にも読みたくなるものがいくつかあって、まとめてコピーしてくるということがあった。PDFで手に入れたら、他の論文の存在すら知らないままだったかもしれない。キーワードの検索は便利だが、キーワードの範囲外は調べられないし、そもそもキーワードを知らないものに関しては検索ができない。ついデジタルの検索で満足してしまいがちだが、アナログのブラウジングでしかできないこともある。もっと本屋や図書館に足を運ぼうと思った。
タグ:日記
posted by ダイスケ at 02:49| Comment(0) | 日々の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月20日

ブログ開設2周年を迎えて

もうすでに半月以上経ってますが、2011年になりました。みなさん、いかがお過ごしですか?

去年の今ごろは、卒論もあって、大学院の試験も控えていて、4月からどうなるか全くわからないという、なかなか際どいスタートでしたが、その後なんとか大学院にも合格し、結果的には充実した一年を過ごすことができました。

この一年で、ことばについて考えるのがさらに好きになりました。ますますことばにまつわるアイデアが浮かんでくるようになったなと思います。会話やテレビで耳にするちょっとしたことばづかいから英語の構文研究のきっかけまで。

ことばについて考えれば考えるほど、まだまだわからないことだらけだったり、分析のための知識や技術が不足していてなかなか前に進めなかったりということに気づいて、途方に暮れてしまうこともあります。ただし、だからといって、ことばの魅力がなくなるということはなくて、やっぱりおもしろいものはおもしろい。そして、わからないことがたくさんあるというのは、見方を変えれば、いつまでも考えることを楽しみ続けられるということでもある。今後の課題も多いけれど、まずは日々感じることばの不思議をひとつひとつ大切にしていけたらなと思います。

ブログを始めたのが2009年の1月25日なので、もうすぐ2年になります。そして、今回がだいたい80回目の記事です(一部過去の記事を修正していたりするので、若干数がずれますが)。今後も、このブログを通して、ことばのおもしろさをみなさんと共有できればうれしいです。
タグ:日記
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2010年12月27日

言語学と文学の関係を考えるにあたって

多くの大学の「英文科」や「英語英米文学コース」などと呼ばれるところでは、英語の言語学的研究と英語圏の文学研究を守備範囲としている。うちの大学でもそうだ。

しかし、ひとつの学科やコースにまとまっているわりには、言語学と文学の研究方法はかなり異なっており、統一感はあまりない。「昔の名残りでそういう学科編成になっている」と言う人がいるかもしれないが、だとしたら逆に昔はどのように両者が統合されていたかが気になる。

というわけで、言語研究と文学研究がどのように分化していったかを知るために、ここ数日言語研究の歴史について調べている。一般的に、言語学(linguistics)は20世紀になって成立した学問分野だと言われている。この言語学の独立が、言語と文学が別々に論じられるきっかけになったと思うが、それ以前の言語研究がどのようなものだったかを知ることは、言語学と文学の関係について考える上でも、そもそも言語学とは何であるのかを考える上でも参考になる点が多い。

ぼく自身は、言語学と文学が互いのアプローチを知ることは重要だと感じるし、今後言語学をやっていく上で(直接的ではないにしても)文学研究に携わっている人たちの知見を取り入れていきたいと考えている。言語研究の歴史を調べることは、その第一歩になると思う。
posted by ダイスケ at 00:51| Comment(0) | 日々の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする