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■大学芋はなんで「大学芋」という名前?「大学」+「芋」=「大学芋」と単純にはいえない。そう考えると、ことばには不思議がいっぱい。「大学芋」をきっかけにことばについて考えるブログです!
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2009年12月12日

日本語の「さがす」と英語のsearch

日本語の「さがす」に当たる英語は?ときかれたらseachを思い浮かべる人が多いだろう。
だが、「さがす」とsearchには大きなちがいがある。

まず「さがす」の意味を考えてみよう。
日本語で「家をさがす」というと、実は二通りの意味がある。
ひとつは、引越しを考えている人が次に住む家はないかなと思っている場合。
「家」は「さがす」という行為によって見つけだす〈対象〉である。
もうひとつは、鍵をなくした人がどこにあるのかと家の中を調べている場合。
このとき「家」は「さがす」という行為を行う〈場所〉である。
つまり、「さがす」は〈対象〉と〈場所〉の両方を目的語にとることができる。
(ちなみに、言語学では〈対象〉〈場所〉などを意味役割(semantic role)と呼んでいる)

では、英語のseachはというと、〈対象〉と〈場所〉をはっきり分けて表現する。
先ほどの「家をさがす」でいえば、〈対象〉の場合はseach for the houseと前置詞forを必要とする。
一方、〈場所〉の場合、search the houseとそのまま動詞の目的語として表現する。
というわけで、「さがす」とsearchは目的語の選択でちがいがあり、両者は完全に同じというわけではない。

このことは、高校のときに『システム英単語』という参考書から知ったのだが、そのときおもしろいと思ったことは今でも鮮明に覚えている。
もっとことばについていろいろ知りたいと思ったきっかけのひとつ。

今回は『システム英単語』の説明をアレンジしただけなので、次回はこれをきっかけに考えたことを紹介する予定。

なお、「さがす」は「探す」と「捜す」の使い分けに言及しないためにあえて漢字にしなかった。
このような漢字の使い分けに関しては「『冷やす』と『冷ます』2 ― 和語と漢字」で扱っています。

参考文献
刀祢雅彦・霜康司.1998.『システム英単語』駿台文庫.
続編:日本語の「さがす」と英語のsearch 2
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2009年11月22日

英語のoverとunder

メタファー(隠喩)については、以前Metaphors We Live Byという本を紹介した。
今回は、少しおさらいをしてから英語の前置詞overとunderの話をしたいと思う。

Metaphors We Live Byでは、以下のことが述べられている。
(1)メタファーの本質とは、ある事柄を別の事柄を通して理解し、経験することである
(2)人間の概念体系の中にメタファーが存在しているからこそ、言語表現としてのメタファーが可能なのである

メタファーをそのようなものとしてみると、それは単なる修辞的技巧ではなく、きわめて日常的な表現にまで浸透していることがわかる。

たとえば、英語話者の思考体系にARGUMENT IS WAR〈議論とは戦争である〉というのがあるとされている。
議論のある側面が戦争に似ているので、議論も戦争のようなものとして捉えている。
そのような概念レベルでのメタファーがあるので、(3)のような表現も可能なのである。

(3)
a. Your claims are indefensible.〈守りようがない=弁護の余地がない〉
b. He attacked every weak point in my argumentation.〈弱点を攻撃する〉
Metaphors We Live By第1章を参照)

概念レベルのメタファーには上下などの方向を用いるものもある。
その一つが、HAVING CONTROL IS UP; BEING SUBJECT TO CONTROL IS DOWNである。
これをもとにして、次のような表現ができている。

(4)
a. I have control over her.
b. He is under my control.
Metaphors We Live By第4章を参照)

さて、ここからが問題。
たしかに(4)のふたつの文はHAVING CONTROL IS UP; BEING SUBJECT TO CONTROL IS DOWNの例であるといえる。
しかし、両者には見逃せない大きなちがいがある。
(4a)は支配されるものが前置詞overの目的語になっている(支配するものが主語)。
一方、(4b)は前置詞underの目的語は支配するものではなく、(my) controlという名詞がきている(支配されるものが主語)。

普通overとunderは位置関係の対義語であると捉えられているように思うが、それだけでは上記のちがいを説明できない。
たとえば、He is controlled under me.のような文はおかしいのだろうか?

このように、ただメタファーであると言うだけでは不十分で、調べてみるとおもしろいことはまだまだいっぱいありそうだ。

後輩がゼミでoverについて発表していたので、そこでの感想を文字にしてみた。
自分一人では気づかなかったので、こういうのもゼミの醍醐味だなと思う。
posted by ダイスケ at 00:34| Comment(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月07日

不思議であーる2 ― 日本語の動詞の活用

日本語で、母音の連続を避けるために子音を挟み込むときとはいつか?

それは動詞を活用するときにある。
まずは、日本語の動詞の活用について中学の国語の復習をしよう。

「書く」という動詞は、「書か(ない)」「書き(ます)」「書く」「書く(とき)」「書け(ば)」のように変化すると習う。
「起きる」は「起き(ない)」「起き(ます)」「起きる」「起きれ(ば)」と変化する。
「投げる」は「投げ(ない)」「投げ(ます)」「投げる」「投げれ(ば)」と変化する。

「-ない」をつけるとき(未然形)に、
「書か(ア)ない」のように、アの音が入っていれば、五段活用であり、
「起き(イ)ない」のように、イの音が入っていれば、上一段活用、
「投げ(エ)ない」のように、エの音が入っていれば、下一段活用である。

これを表にすると、以下のようになる。
(命令形だけ省いた)

動詞の活用

中学では上記のように習うが、ここでは子音と母音を分けてみよう。
そうすると、語幹(活用しても変化しない部分)についての認識が変わる。
「書く」でいえば、「書-か-ない」ではなく、「kak-a-nai」として記述することができる。

すると、以下の表のようになる。
母音は赤、子音は青の色をつけてみた。

動詞の活用2

ここから子音同士、母音同士の連続を避けるようになっていることがわかる。
たとえば、「書きます」であれば、「kak-i-masu」となり、語幹(kak)が子音で終わり次に子音が続くので、iという母音が挟み込まれている。
「書けば」は「kak-eba」となり、子音で終わりeという母音が続くので特になにも挿入しない。
一方、「起きます」は「oki-masu」で、語幹が母音で終わり子音が続くのでそのまま。
「起きれば」は「oki-r-eba」であり、語幹が母音で終わり次に子音が続くので、rという子音を挿入する。

まとめると、
五段活用は、語幹が子音で終わるため、子音が続く未然形でa、連用形でiが挟み込まれる。
上一段活用と下一段活用は、語幹が母音で終わるため、母音が続く終止形・連体形・仮定形でrが挟み込まれる。

というわけで、日本語で母音の連続を避けるためにrを挿入するときとは、上一段活用と下一段活用の終止形・連体形・仮定形をつくるときでした。

ドイツ語の前置詞の結合形と日本語の動詞の活用と全然関係ないようにみえるところで、ともにrというものが選ばれるのが不思議だな思った。
母音の連続というのは複合語などでも出てくると思うので、これからも注意して見ていきたい。

なお、動詞の活用については、昨年度受講した講義「日本語文法」を基礎にしています。
他に「日本語文法」での雑談を自分なりに膨らませた記事として、「This is a pen.」と「サンドイッチ構造から敬語を見る」があります。
タグ:日本語 活用
posted by ダイスケ at 00:35| Comment(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月30日

不思議であーる ― ドイツ語の前置詞

今回はドイツ語の前置詞。
ドイツ語では、代名詞が前置詞と合体することがある。
いきなりドイツ語だとこの記事を読んでくれる人が少なくなりそうなので、まずは英語から。

(1)
a. I work with the computer.
b. I work with it.

英語では、(1a)のthe computerを代名詞itにしたら、(1b)になる。
ドイツ語においては、(1b)の「with it」を合体させて、「itwith」(もちろん英語にはこんな語はない)のような形にすることができる。
(1)に対応するドイツ語は(2)になる。

(2)
a. Ich arbeite mit dem Computer.
b. Ich arbeite damit.

(2)のドイツ語は、(1)の英語と語順が同じなので、ich = I のようにそれぞれの単語が対応すると考えてほしい。
英語のときの(1b)の「with it」に相当するところがドイツ語では「damit」になっている。
英語のように前置詞+代名詞なら、「mit ihm」となるのだが、ドイツ語では物事を表す人称代名詞(英語のit)が前置詞と用いられる場合、ひとつにまとめてしまう。

このようにドイツ語では、「da- + 前置詞」という代名詞と前置詞の結合形があるのだが、前置詞が母音ではじまる場合は「dar- + 前置詞」になる。
発音しづらいためか、rを挟み込む。
(3)が「da- + 前置詞」、(4)が「dar- + 前置詞」の例である。
()にはほぼ対応する英語も示しておいた。

(3)
a. dadurch (durch = through)
b. dabei (bei = by)
c. dafür (für = for)

(4)
a. daran (an = on)
b. darüber (über = over)
c. darunter (unter = under)

それにしても、なぜ挟み込むのがrなのだろうか?
母音が連続するのを避けるだけなら、ほかの子音でもよさそうな気もする。
不思議だな。
そして、もっと不思議なのは、日本語にも同じようにrを挟む現象があることだ。

さて、日本語で母音の連続を避けるためにrを挟むときとは、どんなときでしょう?
次回の記事を更新するまでに考えてみていただければ幸いです。
(マニアックな問題だなあ 笑)
posted by ダイスケ at 01:32| Comment(8) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月22日

I am making slow progress. ― ことばがつくる現実

ふとイギリスでの出来事を思い出した。

去年の夏休み、大学の短期在外研修プログラムでイギリスへ行った。
イギリスの大学でプログラム用の特別授業を受け、その後ティーチング・アシスタント(TA)であるその大学の学生を交えたディスカッション。

あるとき、ディスカッションの時間で、グループごとに話し合ったことを発表することになった。
話し合いの途中で「調子はどう?」とTAから聞かれた(もちろん英語で)。
話がなかなかまとまらないところだったので、調子がよい状況ではなかったが、そのときいっしょだった日本人学生が笑顔で
"We are making slow progress."
と答えた。

これを聞いて、はっとした。
そうか、slow(ゆっくり)ではあるがprogress(前進)なんだと。
否定を表すことばでも表現できたところを("We are not making much progress."など)、あくまで肯定文で表したことが自分にとっては新鮮だった。
もちろんslow自体がマイナスイメージのことばだと言うこともできるが、この表現のprogressに重きを置くことでプラスイメージを伝えるための表現となりうることが、とても大きいことのように思えた。

実際、"We are making slow progress."と"We are not making much progress."のちがいは客観的には存在しない。
それはむしろ話し手の見方、捉え方の問題だ。

同じ出来事を見ても異なる表現をすることで、物事の新しい認識の仕方を提供することができるのなら、またそれによって人は喜んだり悲しんだりできるのなら、ことばは現実を単に記号に置き換える手段というのではなくて、「ことばこそが現実をつくり出している」ということもできる。

ときには、何をしてもうまくいかず、前に進めないと思うことがあるかもしれない。
だが、それは長期的に見れば、大切な一歩を踏み出しているときかもしれない。
"I am making no progress."と表現したくなってしまう状況でも、見方を変えれば"I am making slow progress."と言ってもいいことを忘れないようにしたい。

先の学生の答えを聞いて、TAは笑顔を返した。
ぼくも笑顔になった。
タグ:英語 捉え方
posted by ダイスケ at 01:33| Comment(2) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月22日

「冷やす」と「冷ます」2 ― 和語と漢字

以前、「冷やす」と「冷ます」の意味のちがいを考えたが、今度は別の観点からこれらの語を見てみる。

両者を見てまず思い当たるのは、同じ「冷」という漢字を使っていることだ。
「冷」を使う語は他に「冷たい」がある。
ということで、「冷」には三つの読み方があることになる。

日本に漢字が渡来する以前から日本に存在したことばを和語という。
漢字の訓読みは、もともと日本語にあったことばに漢字を当てはめているのだが、これが和語だ。
「冷」の話に戻ると、「ひやす」「さます」「つめたい」という三つの和語に共通の漢字が割り当てられている。
中国語ではこれらを別々に表現する漢字がないということだ。
これは、英語では「兄」と「弟」を別々に表す単語がないのと同じこと。

一方、ひとつの和語に別々の漢字が割り当てられることもある(むしろそのほうが多いと思う)。
「さます」を変換すれば「冷ます」はもちろん、「覚ます」「醒ます」も出てくる。

ここでは、特に後者のひとつの和語に複数の漢字を用いるケースについてもう少し考えてみよう。
「さます」の場合、普段から漢字を使い分けているせいか、それぞれの意味はかなり異なるように思える。
しかし、次の例を見ると、そうとも言えないことがわかる。

(1)熱湯を冷ます
(2)眠気を覚ます
(3)酔いを醒ます

(1)は温度を下げて熱くない状態に変化させることだが、これをもとに考えよう。
人間の体温が上がると頭がボーっとする。
この頭がボーっとしてフラフラする状態は、眠い状態や酔っている状態と似ている。
(医学的はことはわからないけど、実際体温は上がっているのでは?)

だとすると、眠っている状態や酔っている状態(≒熱い)から、意識のはっきりした(≒熱くない)状態への変化を表す(2)(3)との共通点も見えてくる。
異なって見える「冷」と「覚」の漢字が同じ「さます」に割り当てられることも納得できる。
一種のメタファーだと見なしてよいだろう。
(メタファーについてはMetaphors We Live Byの記事を見てください)

パソコンのおかげで気軽に漢字変換できるようになったが、もともとの和語はどんな意味なのか考えると日本語についての理解が深まるように思う。
また、もともとの和語は同じなのだから、あまり漢字の使い分けに神経質になる必要はないかもしれない。
たとえば、「興奮をさます」は辞書の定義に従えば「興奮を冷ます」となり、「興奮を覚ます」とは書かないことになっている。
しかし、「覚ます」がおかしいと思わない人がいてもいいし、それにもそれなりの動機があるといえるだろう。
posted by ダイスケ at 03:23| Comment(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月22日

「冷やす」と「冷ます」 ― 似ていることばのちがいを探る

この前、「笑っていいとも!」を見ていたら「知ってるようで知らない日本語」というのをやっていた(8月13日)。
外国人が抱いた日本語の疑問に答えるコーナーだ。

そのときの問題のひとつが
「『冷やす』と『冷ます』のちがいは何か?」だった。

こういう問題はおもしろいと思う。
特別な知識が必要なく、考えればそのちがいに気づけるかもしれないからだ。

番組ではゆっくり考える間もなく以下の模範解答が出されてしまった。
「冷やす」は元の温度が何度であれ、とにかく温度を下げること。
「冷ます」は一度高くなった温度を下げること。


この問題の答えはとりあえず出てしまったが、こうした似ていることば、つまり類義語(synonym)のちがいはどのようにしたらわかるのか。
有効な手段は、一方は可能でも、他方は不可能な場合、あるいは一方と他方で意味の差が明確になる場合を見つけることだ。

この場合は、「冷やす」が使えるが「冷ます」はおかしいケースを考えればいい。

(1)
a. キンキンに冷やしたビール
b.*キンキンに冷ましたビール

(1a)は問題ないが、(1b)はおかしく感じられる。
(*は文法的に許されないものを指す。文法判断は自分で行った)

「キンキンに」が冷たい状態を強調する表現だとしよう。
すると、ある物体を「冷やし」たらそれは冷たくなるのに、「冷まし」てもそれが冷たくなることを意味するとは限らないことが、「キンキンに」で修飾できるか比べることでわかる。

次の例のうち、アイスコーヒーを連想させるのは(2a)だろう。

(2)
a. 冷やしたコーヒー
b. 冷ましたコーヒー

(2b)は猫舌の人のために熱くない状態にしたときなどに適しているが、それはつまり「冷ます」はもとが熱かったことも伝えるからである。

というわけで、(1)や(2)のような例を思いつければ、自分でもちがいに気づくことができる。

(1)(2)を考えたら、次のような説明のほうがわかりやすいかなと思った。
「冷やす」も「冷ます」も温度を下げることを意味するが、「冷やす」はその結果冷たくなることを含意するが、「冷ます」はもともとが熱かったことを含意する点が異なる。

ことばが話せるのとそこにあるルールが説明できるわけではないこと、また、同じようなことばでも使い分ける基準を無意識ながらももっていることに気づくにはちょうどよい問題だったと思う。
posted by ダイスケ at 03:28| Comment(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月26日

丁寧さはどこからくるのか

前回前々回と敬語の話題が出てきたが、そもそも丁寧な表現はどのような原理に基づいているのか。

丁寧さを表す方法に、はっきりと指し示さず間接的に表現するというのがある。たとえば、人を指すとき「あの人」というより「あちらの方」というほうが丁寧に感じる。これは、直接「人」を指さずに人がいる「方向」を指す表現である。はっきりだれを指すか特定するより、方向に言及して間接的に示すと丁寧表現になるのだ。

似たような現象は、フランス語にも見られる。フランス語では、二人称代名詞(英語のyou)に単数形の"tu"と複数形の"vous"がある。後者の複数形は単数形の丁寧な表現(敬称)としても用いられる。複数形を使うと、話し相手を直接指すわけではなく、目の前の数人を指しているような感じになる。この間接性が丁寧さを生む。(ちなみに、これは言語学でよく出てくる話)

なお、ドイツ語では、二人称の敬称は三人称複数形(英語のthey)が使われる。これもだれを指しているのかはっきりさせない表現といえるだろう。間接的に示すことで丁寧さを表すというのは、いろんな言語で用いられる方法のようだ。

さて、前回の終わりに、「寝る」は尊敬語にすることができずに「休む」の尊敬語を代用すること、「行く」「来る」「いる」の尊敬語はどれも「いらっっしゃる」になってしまうことを取り上げた。

このように細かい区別をしないというのは、はっきり指し示すことを避けるという丁寧さを生み出す原理に従っているのではないだろうか。

ただし、次のような疑問もわく。なぜ古語では「寝る」の尊敬語として『大殿籠る』があったのに、現代語ではなくなったのか。なぜ「行く」「来る」のふたつだけならともかく、「いる」まで同じ形になったのか。

このように、一筋縄ではいかないのが言語の不思議なところであり、興味深いところ。ときどき思い出して考えてみることにします。
posted by ダイスケ at 02:37| Comment(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月13日

サンドイッチ構造から敬語を見る

前回はドイツ語の過去分詞と日本語の敬語の類似性の話(形の上では)。
今回は、敬語の話の続きをしたい。

日本語の敬語にサンドイッチ構造があるのは前回見た通り。
ただし、サンドイッチ構造が適用できない動詞もある。
話をわかりやすくするため、「お〜になる」の形だけを取り上げよう。

(1)
a. 見る → *お見になる
b. 着る → *お着になる
c. いる → *おいになる
d. 来る → *お来になる
(*は文法的に許されないものを指す)

(1)の共通点を見てみると、そのいずれもが2文字の動詞だとわかる。
そして、連用形をつくると1文字(音でいうと1音節)になってしまう。

そのように間に挟まれるものが1文字と短すぎる場合、サンドイッチはできないようだ。
では、(1)の動詞を敬語にするときはどうするかといえば、(2)のようになる。

(2)
a. 見る → ご覧になる
b. 着る → 召す、お召しになる
c. いる → いらっしゃる
d. 来る → いらっしゃる

つまり、規則的につくらずに、特別な形をとる。
このように、特別な敬語が存在する理由のひとつは、
サンドイッチ構造を当てはめられないときの代用なのだろう。
(もちろん、「言う」が「おっしゃる」になったり、「食べる」が「召し上がる」になったりと、サンドイッチ構造が当てはまるのに特殊な形をとるものもある)

ついでながら、「寝る」も「お寝になる」とはいえない。
この場合、「お休みになる」が使われる(「寝られる」とも言える)。
つまり、「休む」の尊敬語を代用しているのだが、そのおかげで両者を形の上で区別することはできない。
(実際には文脈があるので困らないだろうが)
さらに、「いる」「来る」「行く」は尊敬語にすると全部「いらっしゃる」になってしまう。

なぜ敬語にすると、細かい区別をしなくなってしまうのか。
それはまた今度取り上げたいと思います。

なお、「短い語の敬語は特殊なものを使う」というのは昨年度受講した講義「日本語文法」での雑談を参考にしています。
タグ:日本語 敬語
posted by ダイスケ at 01:13| Comment(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月12日

似ている! ― ドイツ語の過去分詞と日本語の敬語のサンドイッチ構造

ドイツ語にも英語と同じように過去分詞はあるけれど、ドイツ語の過去分詞は英語とはちょっとちがう。

(1)ドイツ語の過去分詞のつくり方(規則変化動詞)
ge + 動詞(語幹) + t

英語が動詞の最後に-edをつけるのに対して、ドイツ語は頭にge-と後ろに-tというサンドイッチ構造をしている。
たとえば、こんな感じ。

(2)過去分詞の例
a. bauen 建てる → gebaut
b. kaufen 買う → gekauft
(bauenの語幹は bau なのでそれにge-と-tを加える)

このサンドイッチ構造を見ていて、ふと気づく。
あれ、日本語の敬語に似てる!
尊敬語と謙譲語のつくり方をみてみよう。

(3)尊敬語のつくり方
a. お + 動詞(連用形) + になる
b. お + 動詞(連用形) + なさる

(4)謙譲語のつくり方
お + 動詞(連用形) + する

一応例を出しておこう。
(5)尊敬語の例
a. 聞く → 聞きになる
b. 休む → 休みなさる

(6)謙譲語の例
誘う → 誘いする
(基本的に「連絡する」などの「漢字+する」は、「ご連絡なさる」のように頭に「お」ではなく「ご」をつける)
(ついでにいうと、「れる」「られる」をつけるなど、ほかのつくり方もある)

ということで、尊敬語も謙譲語もサンドイッチ構造でできている。
機能は全然ちがうけれどつくり方が似ている。
なんか親近感覚えませんか?

英語にはそういうのがないので、なんとも思ってなかったけど
サンドイッチ構造は動詞の変化形を生み出すには案外有効な手段なのかもしれない。
他の言語にもこういうサンドイッチ構造はありそうだ。

過去分詞ひとつとってもとても興味深い。
こんなことをしてるとドイツ語の勉強もなかなか前に進まない。
でも、日本語と似ている部分を発見してあれこれ考えたり、そういうことするのは至福の時間なんです(笑)。
posted by ダイスケ at 01:09| Comment(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月17日

ドン引き

最近はGoogleから検索してこのブログにたどりつく方も増えてきました。
そのときの検索ワードは"Verbs and Times"や"Metaphors We Live By"が多いみたいです。わざわざ見てもらえると思うとうれしいです。

さて、今回の話題は「ドン引き」。
「ドン引き」は最近よく聞くことばだけど、よく考えてみるとおもしろい。
「ドン引き」(名詞)はもちろん「ドン」+「引き」。
この「引き」というのは、「引く」を連用形で名詞にしたものだから「ドン」+「引く」もいえるかというと、「ドン引く」とは普通言わない。
言ってもわかると思うが、実際に聞いたことはない。
動詞で使いたいときは「ドン引き」+「する」だろう。

では、こういうことは珍しいのかといえばむしろそういうケースのほうが多い。
(*は文法的におかしいものを指す。おかしいかどうかをどう判断するかはなかなか問題だと思うが、ここでは『明鏡国語辞典』に載っているかどうかを基準にしている)
(1)
駆け引き *駆け引く
くじ引き *くじ引く
手引き  *手引く
天引き  *天引く
取り引き *取り引く
値引き  *値引く
福引き  *福引く
万引き  *万引く

「〜引き」と「〜引く」と両方あるものは少ない。
(2)
差し引き 差し引く
間引き  間引く
割り引き 割り引く
(でも、「差し引く」以外はあまり使わない気がする。「割引きしてください」と「割り引いてください」だったら、前者を使うと思う)

逆に、「〜引く」だけのものも探してみたがほとんどなさそうだ。ひとつだけ見つけた。
(3)
*長引き  長引く

いずれにせよ、(1)〜(3)を使い分けているのかと思うと、普段何気なく使っていることばもわからないことだらけだと感じる。
そこがまたおもしろい。
こんなことばっかり考えてます(笑)。

*****

以下、おまけ。
読みたい人だけどうぞ。
せっかくなので言語学の知識を少し使ってみる。
あくまで思いつきをちょこっと書くだけなので本格的なものじゃないです。
続きを読む
posted by ダイスケ at 03:32| Comment(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月22日

無冠詞に無関心?

英語の冠詞は難しい。
aをつけるのか、theをつけるのか。
その一方で、冠詞をつけないという選択肢もある。

だが、イディオムの場合はそうした判断をする以前に「まぁ、そういうものだからそれで覚えておこう」と思うかもしれない。
たとえば、on footというとき、footはなぜ冠詞がないのか。
イディオムだから覚えればいいやと済ませるのは、なんだか気持ち悪い。

footは「足」という意味だが、on footというときのfootの意味の焦点は、
肉体の一部としての足というよりもむしろ足を使って行う行為、つまり歩くことにあるといえる。

肉体の一部としての足なら数えることもできるが、歩くことを数えるのは難しい。
どこからどこまでがひとつの「歩くこと」と数えられるのかという境界がないからだ。
そうするとtheを使って特定化する意識もはたらかない。
具体的な身体部位としての「足」と比べて、より抽象的な「歩くこと」に近い意味の使われ方では冠詞との相性が悪そうだ。

最近、on footのfootに似た使い方は、日本語の「足」にもあることに気づいた。
「彼は足が速い」というときの「足」だ。
このときの「足」は、体の一部としての足というより「走ること」を表している。
だからこそ「速い」ということばと結びついているのだろう。

日本語でも英語でも「足」→「足を使って行うこと」という原理がはたらいている(「歩く」と「走る」というちがいはある)。
英語ではそのちがいがことばに反映されるのに、日本語ではそのちがいを表現するする手段がない。
そういう形で冠詞に興味をもてば、ちょっとワクワクしませんか?
posted by ダイスケ at 02:58| Comment(4) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月09日

This is a pen.

This is a pen.といえば、だれもが一度は聞いたことがある日本人っぽい英語(?)である。
これは英語教科書に登場した文ではなく、ドリフのギャグらしい。


一見あまりに単純すぎるこの英文も、ことばのことを考えるにはよいきっかけになる。

この英文はうまく日本語に訳すことはできない。
もちろん、「これはペンです」と訳してまちがいではない。
だが、同時に「これはペンだ」や「こちらはペンでございます」
と訳してもかまわないはずである。

つまり、だれがだれに対して発言するのかというのを
考慮しなければ適切な訳を与えることができない。

英語のThis is a pen.のように、だれに対しても中立的(だと思われる)表現は、日本語にはないだろう。


このことを考えると、英語に敬語はあるのか?という疑問にも二通りの答え方ができる。

丁寧な表現の仕方がある、という意味では英語にも敬語がある。
相手に何か依頼するとき、Will you 〜 ?とWould you 〜 ?では、後者のほうが丁寧だと学校で習う。

しかし、文法のシステムとして敬語がある、という意味では英語には敬語があるとはいえないだろう。
英語では、This is a pen.はこれ以上丁寧に(あるいはぶっきらぼうに)言うことはできないからだ。
日本語は理論上、あらゆることを丁寧に表現できる。


日本語は、そういう点では人間関係に敏感な言語っていうことになるんだろうか。


ちなみに、これは国文科設置の日本語文法という授業のときに先生が雑談として話した内容を少し膨らませたものです。
posted by ダイスケ at 17:37| Comment(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月25日

過去形の-edからオノマトペ

今月から塾のバイトを始めた。中学生と高校生に英語を教えている。

塾のバイトをやるのは2度目で、1度目はもうだいぶ前になるが、そのときはあまり余裕がなかったのだと思う。自分のことで精一杯という感じで。

それに比べると、今は教えること自体を(「教える」なんていうのもおこがましいが)楽しめている気がする。そう、楽しいのだ。

生徒の姿は自分の過去の勉強を振り返る機会になる。中学高校のときに自分が疑問に思ったことを思い返したり、ときには当時気がつかなかった新しい発見がある。

現在の学習指導要領(英語)通りだと、中学1年の最後に(つまり今ごろ)動詞の過去形を習う。

規則動詞の過去形。-edの発音は3通りあると教えられる。以下は、中学1年生用の文法のテキストから(中1に対して容赦のない説明だなあ…)。

(1)[t]以外の無声音[k,p,f,s,tʃ,ʃ]のあと → [t](helpedなど)
(2)[d]以外の有声音のあと → [d](playedなど)
(3)[t],[d]のあと → [id](wantedなど)

有声音は、声帯(のど)の振動を伴って発する音、無声音は、声帯の振動を伴わないで発する音、[tʃ]はchの音で、[ʃ]はshの音だと大雑把に思ってください。
このへんは音声学の知識。

さて、実際に中1に教える際に、「有声音が…」などといってもしょうがないので、どうやって教えようかと思っていた。

k,p,f,s…などと発音していると、「クスクス」、「プププ」、「フフフ」という笑い声を表す擬音語(オノマトペ)を思いついた。

このときはじめて日本語の笑い声の擬音語は無声音を使うようだと気づいた。笑うときの息が出る感じが、無声音っぽいのかもしれない。

ただ、英語の笑い声は事情がちがうようだ。giggle, titter, chukle, snicker, sniggerなど、[ɡ]のように有声音が入っているものもある。日英で音の捉え方がちがうことを反映しているのか?

過去形のedを考えていたのに、いつの間にかオノマトペの日英対照ができたらおもしろいなんて思ってしまった。音声学はいい加減にしか覚えてないし、オノマトペの論文も読んだことないので、いつかちゃんと勉強してみたい。今回だいぶあやふやな知識で書いているので、用語の使い方が正しいか自信ない。一応音声学の教科書見たけど…。

でも、こうやって、ことばについて考えをめぐらせるだけで楽しい(笑)。

あ、ちなみに、-edの発音の教え方は
a. 基本的には[d]、
b. [t][d]のときは[id]、
c. 〈笑い声(クスクス、プププ、フフフ)〉[k,s,p,f]に〈集中シューチュー〉[ʃ,tʃ]するときは[t]

というように考えてみたのですが、どうでしょうか?
posted by ダイスケ at 04:50| Comment(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月17日

春めいてきた

関東では今月の13日に春一番が吹いた。
まだ夜は冷えるけれど、ちょっとずつ春めいてきたのかな。

それにしても、「春めく」っておもしろい表現だな思う。
「春」が動詞になるなんて。

英語でいえば、Spring has come.のように名詞を中心とした表現になるが、「春めいてきた」のような「生成」や「推移」の感覚はでてこないだろう。

このことは、2004年の「NHK日本語なるほど塾」という番組のテキストに加賀野井秀一さんが書かれていた。
当時は言語学のことはよくわかっていなかったけど(今もそんなにわかってないけど)、こういうことが勉強できたらおもしろいだろうなと思ったのはよく覚えている
(その後、加賀野井秀一さんの本は『日本語の復権』『日本語は進化する』を読んだ)。

そして現に今そういうことが勉強できる環境にいる(基本的に扱う対象は英語)。
それは本当にうれしいことだと思う。

さて、「春めく」とは言うけど、他の季節も「〜めく」と言えるのだろうか?
結論からいえばイエス。
手持ちの電子辞書に入っている『デジタル大辞泉』という辞書には「夏めく」「秋めく」も載っている。
でも、目にしたことはない(『明鏡国語辞典』には載ってなかった)。
春は特別ということか。
季節特有のことばをさがすのもおもしろいかもしれない。

さて、季節の中では「冬めく」だけはない。
でも試しにGoogleで検索してみたら(ある語がどのくらいの頻度でつかわれるか、ちょっと調べるためにもGoogleは便利。活用などをしっかり調べることはできないが)、「春めく」より「冬めく」のほうがヒット件数が多い。
おかしいなと思っていると、一青窈の歌に「冬めく」というのがあるらしい。
どんな歌か聴いてみたくなった。

参考文献
加賀野井秀一. 2004.『日本語“超”進化論』(NHK日本語なるほど塾)日本放送出版会.
posted by ダイスケ at 04:55| Comment(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月25日

大学芋はおいしい!2

前回の記事:大学芋はおいしい!1

前回はブログのタイトルの由来として大学芋がおいしいっていうのと、「大学芋」という名前がおもしろいってところまでみた。

ウィキペディアで「大学芋」を見てみると、大学生が好んで食べたとか、大学生が作って売ったという説が紹介されている。

なるほど。たしかに「大学芋」には「大学」と「芋」が関わっていたわけだ。
でも、仮に大学生が好んで食べた芋のお菓子だとしても、その意味は単に「大学」+「芋」では説明しきれない。

たまたま「大学芋」が極端なケースなだけだという印象をもつかもしれない。
しかし、そういう例は案外たくさんある。

たとえば、「時計」がつくことば。
「目覚まし時計」は「目を覚ます」ための「時計」。
「砂時計」は「砂」によって時間を計る「時計」。
「鳩時計」は「鳩」が小窓から出てくる「時計」。
どれをとっても、単純にふたつのことばの組み合わせ以上の意味をもっている。

語を組み合わせることによってできる新たな語を複合語という。
「大学芋」も複合語だが、複合語はその意味を推測するのがいつも簡単とは限らないのだ。
複合語は理解するのが簡単でないはずだけど、それを難なく使いこなしているというのも、考えてみるとおもしろい。
そして、手持ちの語を使って、(原理的には)あらゆる意味の結合の可能性を生み出すのだから、とても創造的な営みであるともいえる。

私たちは普段ことばを自由に使っている。
そのため、ことばはあまりにも当たり前の存在になっていて、改めて考え直す機会は少ない。
しかし、ことばは、当たり前の仕組みで成り立っているとは限らないのだ。
そんなことを気づかせてくれる「大学芋」は、食べても考えてもおいしい(でしょ?笑)

というわけで、「大学芋」をきっかけにことばについて考えよう、という思いでブログのタイトルをつけた。
でも、おまけの理由がもう一つ。
実はブログを始めるのはこれが2回目。
1回目はもっとかっこいいタイトル(と自分では思った)でやってみたが、ブログの内容がタイトルに負けているような気がして自滅。
今回はもっと見栄を張らなくてすむようなタイトルでやろう、自分みたいな芋学生にはこれぐらいがちょうどいいかなと思って。

今回は肩肘張らずに、気ままに続けていこうと思うのでよろしくお願いします。

あっ!「腕時計」って「腕」といってるわりには、「手首」につける「時計」だ、と今気づいた。
やっぱり、ことばについて考えるのはおもしろい!
posted by ダイスケ at 04:47| Comment(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大学芋はおいしい!1

このブログのタイトルは「大学芋」
でも大学芋の作り方を紹介するわけではない。
じゃあなぜ?という声も聞こえてきそうだ。
というか、聞いてくれるとうれしいです。

ひとつは、大学芋っておいしいよね、
という何の変哲もないただの感想。
いや、大事なのはこの先だから。読むのやめないで。

もうひとつは、名前のおもしろさ。
そもそも「大学芋」って、なんだ?
サツマイモを油で揚げて甘いたれをかけた食べ物なのになぜ?
大学芋を見つめていてもさっぱりわからない。

言われてみれば変だな、と思うかもしれない。
でも、ことばって案外変なことであふれている。
そんなことばの不思議を考えるのはとっても楽しい。

このブログは、そんな楽しさをだれかと共有できたらと思って始めました。
「大学芋」がそれのいいきっかけになるかもしれないなあと。
そういうわけで、次回はもう少し大学芋にこだわりつつ
ブログのタイトルの由来も話していきます。

ことばについて思いをめぐらすのが好きなので、
話題はそういうものが中心になると思います。
ついでに普段ぼーっと感じたことなんかも書いみたいです。

ちなみに、このブログを読む人は直接のお知り合いが多いかと思いますが、
会ったときに「そんなこと考えてたんだ、おもしろいね」とか言っていただけると、とても喜ぶと思います(笑)。

続編:大学芋はおいしい!2
posted by ダイスケ at 02:12| Comment(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする