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2012年08月31日

「魂の満足」としての語学

わたしはピアノのレッスンが好きだった。それというのも、毎日少しずつ進歩してゆくように思われたからだった。それは、わたしが外国語で書物を読むときの楽しさを説明してくれるだろう。それは自国語よりも外国語のほうが好きだとか、外国の作家にくらべて、わたしの尊敬するわが国の作家たちに遜色があるとかいったわけではない。ただ意味や感情をたどる場合の軽い困難、さらにみごとにその困難に打ち克ってゆくときの、自分でも気のつかない得意な気持といったものが、知識の上の楽しみに加えて、それなくしてはすまされない何かしら魂の満足とでもいったようなものをつけ加えてくれるからにほかならないのだ。
アンドレ・ジッド『狭き門』新潮文庫 pp.189-190

文学作品には、ときに話の進行上あまり重要でない細部におもしろいことが書いてあったりする。最初に引用したのは小説『狭き門』の一節で、ヒロインであるアリサの日記から。『狭き門』は、読んだのがだいぶ前なので、あらすじ以外は忘れてしまったが、この一節はよく覚えている。そうそう、語学のおもしろさって、少なくともその一側面は、そういうところにあるんだよな、と思ったのだった。

ピアノは、プロの演奏家以外はお金を稼ぐ手段にならない。ピアノを習う多くの人は、お金を稼ぐのに十分な演奏技術を身につけるわけでもないし、それによって就職が有利になるわけでもない(趣味の欄に書いて、面接のときの話題作りぐらいにはなるかもしれないが)。単純に、弾きたい曲が弾けるようになる、だんだんと上達するということがおもしろいから、ピアノを弾くのである。

語学にも同じようなおもしろさがある。一目見てわからなかった外国語の文章が、辞書を引き、文法を考え、うんうん唸って、ついにその意味がわかったときは、何とも言えない心地よさがある。少しずつわかる文が増えていくプロセス自体が楽しめるし、達成感がある。その達成感の背後には、1年前だったら単なる暗号の羅列だったり雑音でしかなかったものが、今や意味のあるものとして認識できるようになったという成長の実感もあるだろう。ある程度勉強が進むと、そうした気持ちになることも少なくるかもしれないが、5年前の自分、10年前の自分を振り返れば、ずいぶんと遠くまで来たことを感じられると思う。それは、何かの手段としてではなく、語学そのものに内在する魅力だろう。

外国語が、だれかとコミュニケーションできるようにするため、あるいは、母語以外の情報を得るための重要な手段であることには変わらない。ピアノなどの楽器に比べれば、そうした実用的な見返りを語学に求める傾向は強いだろう。だが、もし今英語の学習にかけている時間はTOEIC何点分になるのだろうとか、英語が話せたらいくら稼げるのだろうなどと考えていたら、緊張感や焦燥感ばかりでかえってやる気がわかないような気がするし、語学を継続する原動力というのは、むしろここで挙げたような「魂の満足」なのかもしれないなと思う。

狭き門 (新潮文庫) [文庫] / ジッド (著); 山内 義雄 (翻訳); 新潮社 (刊)
狭き門(新潮文庫)
ジッド (著)、山内義雄 (訳)


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ラベル:日記 語学
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2012年06月30日

文法への接し方:楽譜の読み方にたとえて

外国語にとっての文法は、音楽にとっての楽譜の読み方に似ている、という記事を前に書いた。
なぜ文法を学ぶのか?

読み方を知らない人にとって、楽譜は黒い丸とか棒の暗号にすぎない。しかし、読み方がわかればたとえ聞いたことがなくてもどんな曲かわかり、その曲を弾くことができる。もちろん楽譜なんかなくても耳を頼りに曲を覚えて弾けてしまう人もいるだろうが、細部がわからなかったり、曲によってできたりできなかったりの状態になりかねない。どんな曲にも対応できるようにするには、楽譜が必要である。

外国語の場合、文法がわからなくても、何度も耳にすることで覚えて使えるようになる表現もあるし、文法的説明があまり役に立たない決まり文句というのもある。だが、複雑な内容のものを読んだり聞いたりしようとすると、表現も複雑になり、語の組み合わせ方も一筋縄ではいかなくなる。自分から伝えるときにも、ただ使い語をなんとなく並べるだけでは、ぼんやりと伝えることはできても細かい部分は伝えられないかもしれない。どんな表現でも理解できるように、あるいは自分で使えるようにするにあたって、文法というガイドがあれば便利である。

さて、楽譜にはドレミという、「何の音を出すか」を指示する部分と、音の強弱・演奏の速度のように、「どのように音を出すか」を指示する部分がある。出す音を間違えると、あきらかに曲がおかしくなってしまうが、音を間違えなければ、音の強さや速さを変えても、雰囲気は変わるが同じ曲ではあると思えるだろう。

文法にも、それに対応するようなふたつの部分があると言える。まず、「何の音を出すか」にあたるのは、「どんな出来事を伝えるのか」である。基本的な語の組み合わせ方によって、語の意味関係(主語、目的語、動詞など)が決まり、出来事が表現される。英語の文法でいうと、文型や構文として扱われる部分に相当する。たとえば、John hit Mary.は、語順によって主語や目的語が表されている。これをMary hit John.すれば、そもそも別の出来事になってしまい、意味が全く異なる。そのため、外国語の文法を学ぶにあたって、「どんな出来事を伝えるのか」の部分は、しっかりと理解しておく必要がある。

それにたいして、「どのように音を出すのか」にあたるのが、「どのように出来事を判断しているのか」である。伝えるべき出来事がいつのことなのか、どれくらいの可能性で起こるのか、といった部分で、英語の文法なら時制や助動詞などで扱われる。これは、「どんな出来事を伝えるか」に比べると、わかりにくい部分である。John will hit Mary.とJohn may hit Mary.は、まったく別の意味というよりも、同じ「ジョンがメアリーを殴る」という出来事に対しての判断の仕方が違いが表されているわけで、どちらか一方のみが正しいとは言いにくくなる。文法を学んでもモヤモヤした部分が残るが、少しずつ慣れていくしかないだろう。

このように、文法を二つに分けたからといって、特別外国語学習がはかどるというわけではないが、心理的には少し楽になるかもしれない。「どんな出来事を伝えるのか」の部分はあいまいにせず、間違えたら文法書や辞書でしっかりチェックする必要があるが、「どのように出来事を判断しているのか」は、理解するのに時間がかかってもしょうがない、と思うことでわからない部分があっても落ち込みすぎるのを避けることができる。どんな状況でどんな表現が適切かその都度考え、できるだけ意識的になって、ちょっとずつわかっていけばいい、と前向きに取り組むことができる。

語学は、一朝一夕には身につかない。だとしたら、できるだけ続けて学習できるような気持ちにすることが必要だ。文法を学ぶ意義、文法への接し方を自分なりに納得しておくことは、きっと語学のやる気を維持する上で大事なことだと思う。

関連記事:
なぜ文法を学ぶのか?
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2012年06月08日

なぜ文法を学ぶのか?

今は高校で英語を教えているわけだが、その中でもとりわけ英文法を教えることを担当している。人によってはなぜ文法を学ぶことが必要なのか、という疑問をもっている人もいるだろう。「文法を学んでも英語ができるようにならない」などと文法(または文法を教えること)に対して否定的な意見を聞くこともあるが、授業の先生方はどのように考えているのだろうか。

受験で文法の問題が出題される、学校で教えることに決まっている、などの理由も皆無ではないだろうが、教えるからにはもっと積極的な意義を見出しているだろうし、文法を学ぶことの効果を感じていることだろう。今回は、自分なりに文法を学ぶ意義について考えてみたい。

話のイメージが湧くように、英語の学習を音楽になぞらえてみようと思う。

音楽が上達するかどうかの分かれ目のひとつは、楽譜が読めるかどうかにあるだろう。初期の段階では、とりあえず聞こえた通りの音を出してみるだけでおもしろいし、指導者がついていてくれれば楽譜が読めなくても反復練習をするだけで体が自然と覚え、一曲弾けてしまうこともある。

しかし、曲が難しくて耳で聴くだけでは細かい部分がわからないときや一気に覚えられないときもある。その場合、指導を受けることができなかったら、曲によって弾けたり弾けなかったりといった状況になってしまうだろう。何十回、何百回と聴いていればわかるのかもしれないが、耳だけで何とかしようとするのは無謀だろう。たとえ曲が難しくても、指導を受けることができなくても弾けるようにするための手段が、楽譜である。あの複数の線の中にある丸や棒、各種の記号を自力で読むことができれば、どんな音を出せばよいかわかる。技術不足でうまく弾けないことをひとまず考えなければ、楽譜が読めれば、基本的にはどのような曲でも弾けるようになる(どのような音楽なのかがわかり、練習するための準備ができるようになる)はずだ。

これと同じことが、英語学習にも当てはまる。中学生の初期の段階で扱うようなものであれば、単語の意味の足し算でだいたい文全体の意味もわかるし、あいさつの表現などは丸暗記でもよいだろう。しかし、高校ぐらいになってくると、知らない単語がなくても文全体の意味がわからないような複雑な文が出てくる。たまたま教科書で習ったのと同じような表現だったら理解できるけど、ちょっと変わるとわかならくなってしまう場合もあるだろう。「慣れ」だけに頼って自然とその中からパターンを導き出すこともできなくはないだろうが、時間がかかるし、効率が悪すぎる。複雑な文でも、長くなった文でもわかるようにするために文法を学ぶ必要がある。文法は、初めて見る、あるいは聞く英語をしっかりと理解するための大切な手段なのだ。

ただし、慣れだけでは効率が悪いと言ったが、それは慣れが必要ないと言っているわけではない。楽譜が読めてもしっかり練習しなければ楽器がうまくならないように、いくら文法が身についてきても、自分で英語が使えるようにするためには、反復練習が必要だ。一度聞いてわかった教材でも、繰り返し聞いたり音読したりしなければ、自分のものとはならない。ただ、スムーズに反復練習に移るためにも、頭で考える部分(文法)があるとよいと思う。

楽譜の読み方だけ勉強していても実感がわかないし、早く曲を弾いてみたくなる。同じように、英語でも文法に特化して短い例文しか見ていないような状態だと、何のための勉強かわからなくなるかもしれない。実際にある程度の長さをもった文章の中で、どのような使われ方をしているのか納得する機会をもつのが有効だ。こうしたバランスに気をつければ、文法の学習は大いに効果を発揮するだろう。

学校で英語の文法を教えるにあたって、たとえ生徒に直接聞かれなかったとしても、なぜ文法を学ぶのかという問いには答えられなければとならないと思って、ちょっと考えてみたのでした。

関連記事:
文法への接し方:楽譜の読み方にたとえて
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2012年05月01日

教育実習生としての授業と講師としての授業

高校で英語を教えて3週間。教育実習のときと同じ期間やったことになる。

教育実習における授業と講師としての授業は、いろいろと異なる。お金をもらい、生徒を指導する責任ある立場なのだから違って当たり前なのだが、教育実習のときと同じく母校で教える上にそのときと同じ学年の授業をもつことになったこと、実習中の授業でもある程度は手応えを感じていたこともあって、当時の経験の延長線上に位置づたい気持ちもあったと思う。でも、授業を始めて1週間ぐらいで、教育実習のときとは違うものだと自覚するようになった。

違うことのひとつは、生徒との距離感である。実習では、先輩にあたる大学生がやってきたということで、生徒も珍しさや親近感を感じていろいろ話しかけてきたし、授業中も大学生がなんとかがんばっているのを見守るかのような雰囲気もあったように思う。しかし、今の自分はたくさんいる先生のうちの一人でしかないし、生徒も特別なお兄さんではなく、先生として接してくる。担当している授業が少ないこともあって、自分にとって生徒たちの存在が大きく感じられてしまうけど、生徒たちの生活にとっては一部でしかないというギャップは、特に最初のうちは感じたし、今も気をつけるようにはしている。もちろん、他の先生より若い分話しかけやすいといった側面はあるだろうが、実習のときとはまったく別の存在として見られているなと感じる。

教育実習ではホームルームの時間でも生徒と接することができたが、今は授業中にしか生徒と接しないので、授業以外の姿を見ることができないというのも違う。実習のときに、英語の授業ではおとなしいけど、普段はおしゃべりな生徒などがいたので、授業では見せない側面も本当はもっと知りたい。生徒の部活や好きな音楽などは把握したので、ちょっとずつ授業に生かしていこうとは思っている。

授業のやり方は、まだまだ模索している部分が多いけど、ちょっとずつよくなってきているかなあ。ただ、実習のときよりも英語そのものについては多少詳しくなったので、それは生かせていると思う。

ちなみに、教育実習のときも感じたけれど、職員室で他の先生方と一緒に働くようになって、生徒のときとは別の側面から自分の母校の魅力を見つけることができるようになった。生徒のときには気づかなかった先生方のよいところを見ることができるのは、講師として戻ってきた人の特権なのではないかと思う。
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2012年04月24日

contact?それともcontact with?

高校の授業は1回50分、時間が限られているので伝えられることも絞らなければなりません。そのために、黒板を使うだけでなくプリントを配布することも多いのですが、せっかくなので、そのとき使ったものを再利用して、ブログでも紹介してみようと思います。今回は、contactという動詞を扱った後に出た質問に答えるときのものです。

*****

前回、授業でHe contacted all the members.(彼はメンバー全員と連絡をとった)という文が出てきました。contactは他動詞なので、前置詞の助けを借りずに目的語をとることができます。この文を扱ったときに、「contactにwithはいらないのですか?contactの後にwithがある文を見たことがあります」という質問を受けました。はたしてcontact withという表現は使われないのでしょうか?それは品詞を考えるとわかります。

動詞と名詞
まず、つぎの日本語を考えてみてください。

(1)彼らは新しい空港建設した
  (「新しい空港を建設する」は目的語+動詞)
(2)私たちは新しい空港建設に反対します。
  (「新しい空港の建設」は修飾語+名詞)

どちらも同じ「建設」という語が使われています。しかし、(1)では「新しい空港建設する」が目的語(新しい空港を)+動詞(建設する)の関係になっているのに対して、(2)では「新しい空港建設」が修飾語(新しい空港の)+名詞(建設)の関係になっています。その違いは、「」を使うか「」を使うかにも反映されていますね。

これに対応する英語は次のようになります。

(3)They constructed a new airport.
  (construct a new airportは動詞+目的語)
(4)We oppose the construction of a new airport.
  (the construction of a new airportは名詞+修飾語)

日本語と同じく(3)では、動詞(construct)+目的語(a new airport)の関係、(4)では名詞((the)construction)+修飾語(of a new airport)の関係です。英語の場合、目的語は語順で表すのでそれを示すものは表面上ありませんが、名詞修飾の場合は前置詞の力を借りるのでofが使われています。

これと同じことが、contactの場合にも起こります。次の例を見てください。

(5)You should contact her.(contact herは動詞+目的語)
  彼女と連絡をとるべきだ。
(6)He avoided contact with her.(contact with herは名詞+修飾語)
  彼は彼女との連絡(接触)を避けた。

(5)では、動詞(contact)+目的語(her)の関係ですが、(6)では名詞(contact)+修飾語(with her)の関係です。つまり、contactが名詞で修飾語が必要なときには、前置詞withを用いるのです

文法は目には見えない
constructとconstructionは見た目の上で違うので、動詞か名詞かは見ればすぐに判断できます。しかし、contactの場合は、動詞も名詞も同じ形なので、見た目で確認できないのです。そのため、動詞として使われているのか名詞として使われているのか、その都度判断しなければいけません。それによってwithを使うかどうかが変わります。次のような例の場合も同じです。

(7)A visit to the moon is no longer impossible.
  月への旅行ももはや不可能ではない。

visitは動詞のときには他動詞なので前置詞はいりませんが、(7)では名詞として使われているので前置詞toが必要です。

英語で難しいのは、意味を読み取るのにただ単語だけ見ていてはだめで、単語の品詞や文の中での関係(目的語や修飾語)を考えなければいけないときです。それらは、見た目の上ではヒントがない場合が多いのです。このような目には見えない文法の存在に気づけるようになると、英語がわかってきます。単語テストはある程度丸暗記でも通用するのに、文法のテストではそれができないのは、文法が目に見えないからです。目に見えないものは、なんとなくとらえどころがない気がして不安になりますが、それを乗り越えることができれば、英語が楽しくなります。文法を自分ひとりでしっかり判断できる状態を目指してがんばりましょう!そのためのできる限りのサポートを、この授業ではしていきたいと思います。

関連記事:見えなくても、聞こえなくても、大切なものはある
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2012年04月16日

再び、母校へ

この4月から、母校の高校で英語を教えることになりました。引き続き大学にも籍はおいて、非常勤講師として働いています。担任などはありません。母校で教えることが正式に決まったのが約一カ月前という状況で、いろいろとバタバタしたスタートでした。

ちょうど一週間授業をやりましたが、毎回試行錯誤の連続です。やるからにはできる限りよい授業をしたいと思っています。でも、自分が用意したことを伝えることに気を取られて、目の前の生徒のことを十分に考えられていないときもあったりと反省しています。

うまくいかないことも多いですが、教育実習から約3年経って、このような形で母校に帰ってこれたのはとてもうれしく思います。一歩一歩がんばります!

関連記事:母校へ
ラベル:日記 高校講師
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2012年04月05日

英単語、すぐ忘れちゃう

先日、ぼくの弟のブログ「中高生のあるある研究所」にお邪魔させてもらいました。

あるある研究所は、弟のノナとパグ夫くんによる現役大学生のブログです(ノナは、この3月大学を卒業しました)。

このブログでは、中高生のよくある勉強の悩みに対して、自身の経験をもとに解決法を提供しています。時間の使い方やメモの取り方のような実践的なもの、前向きになれるような勉強に対する考え方まで、さまざまな解決法が紹介されています。

単に悩みに共感するだけではなく、かといって一方的に特定の勉強法を押し付けるということもなく「自分でもちょっとした気の持ち方や工夫でできるようになるんだ、やってみよう」と思えるような取り組み方、姿勢の部分を伝えることを目指しています。ブログは全国の中高生の支持を得て、昨年その内容を再編した本が出版されました。(本の紹介記事を書こうと思っているうちに、ずるずると時間が過ぎてしましましたが、近いうちに記事をアップするつもりです)

中高生の勉強あるある、解決します。 [単行本]
池末 翔太, 野中 祥平 (著)
ディスカバー・トゥエンティワン (刊)

中高生の勉強あるある、解決します。 [単行本] / 池末 翔太, 野中 祥平 (著); ディスカヴァー・トゥエンティワン (刊)

今回は、がんばっている弟への応援として、英単語がなかなか覚えられないという悩みについて、ぼくなりの回答を紹介させてもらいました。
「英単語、すぐ忘れちゃう」問題編
「英単語、すぐ忘れちゃう」解決編


弟の目指す方向性に沿った上で、自分らしさも出せたかなと思いますので、よかったら見てみてください!
ラベル:英語教育
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2012年03月29日

フレームとエピソード記憶にもとづいた語彙指導:語彙マップのすすめ

高校生に英語の勉強で困っていることをきいてみると、多かった回答は「単語が覚えられない(すぐ忘れる)」だった。英語学習において語彙を増やすことは大切で、単語集・熟語集や単語テストは広く用いられており、一定の成果を上げていると思われる。ただ、それらの弱点は表現がバラバラに配列してあるので(起きる→get up、洗濯する→do the laundryなど)、互いに関連した意味をもっている語彙に触れることができないことにある。

しかし、日本語を考えてみても、ことばをただバラバラに覚えているわけではないことは明らかである。たとえば、「選挙」「立候補」「投票」「当選」などのことばのうちどれかを聞けば、別のものが連想できるのではないだろうか(逆に、それらが連想できないようであれば、その語を本当に理解しているといえるだろうか)。このように、語彙に関する知識はある種の構造をもっており、それは「フレーム」と呼ばれている。

では、この構造を理解するにはどうすればよいだろうか。ここで提案したいのは一問一答形式のテストではなく、ある程度の長さをもった文章を利用することである。文章であればある特定のテーマに関する語彙がまとまって登場するので、それらの結びつきを確認することができる。たとえば、高校の英語教科書Unicorn English Course II(文英堂、2006年)のLesson6に出てくる表現を「連邦議会」「投票」「選挙」「選挙権」「戦争」という観点からまとめてみると以下の図のようになる。これを「語彙マップ」と名づけることにする。このように視覚化して語彙の構造を意識して覚えると、関係のないものをバラバラに覚えるより定着しやすく、また実際に似たような文章を読む機会にその知識を生かしやすくなると思われる。

Unicorn_II_Lesson_6.jpg
語彙マップの例
(教科書に登場する表現を整理すれば、普段とは別の形で提示できる。なお、単語、熟語などの区別はしていない)


だが、おそらく次のような疑問をもつ人もいるだろう。「単語すら覚えるのに苦労しているのに、ましてや文章だなんて、余計に学習が大変なのではないか」と。たしかに、基本的な文法を理解している必要があったり、文章自体の難易度に学習が左右されるという面はあるが、文章を用いることは単語集や単語テストでは得られない効果がある。それを説明するために、「意味記憶」と「エピソード記憶」という2種類の記憶を紹介しよう。

意味記憶とは、いわゆる知識のことで「象は鼻が長い」などがそれに当たる。それに対してエピソード記憶とは自分の過去の経験を表し、「昨日行った動物園にいた動物は、鼻が長かったな」などの個人の経験をもとにした記憶が例になる。エピソード記憶は意味記憶よりも、忘れにくく思い出しやすいことが知られている。

さきほどの単語集が意味記憶を利用するのに対して、内容をもった文章を利用するというのは、エピソード記憶を利用することになる。「アメリカの連邦議会Congressが投票をしたvote結果、戦争を開始するstart a warことを決めた」などの話は、「Congressの意味は?」という質問とその答えという形式より頭に残りやすいはずだ。

また、文章内容だけでなく、学習法それ自体もエピソードとすることができる。たとえば、次のようなやり方が考えられる。まず教科書本文を読み、そのあとで語彙マップを提示する。そのとき、語彙マップの一部は穴埋め問題として、選択肢の中から選ぶなどとする。すると、語彙マップを作成すること自体がひとつのエピソード記憶となり、より思い出しやすくなるだろう。このように、フレームとエピソード記憶を利用した学習法は、「単語を覚えられない(すぐ忘れる)」ことに対する解決法となることが期待される。

このような学習法を考えたきっかけは、学校の英語の授業において次のような状況があると思われたことである。

(1)文法について手厚く教わることはあっても、語彙についてはあまり指導されない
単語集に基づくテストも有効な学習手段であると思うが、やり方によっては普段の教科書を用いた授業とは切り離された単語のためだけの勉強を生み出すことになる。

(2)英語の教科書が十分に活用されていない
せっかく英語の教科書があるのに、本文の新出表現の確認と文法的説明以外の解説がなされることが少ない。また、習ったLessonを振り返る機会がなく、習ったはずの知識が定着していない

こうした状況の検討から、教科書と有機的に結びついた語彙指導が必要だと感じた。それと同時に、教科書を単に与えられた教材はとしてではなく、教師が意識的に使いこなすものとして捉え、いろんな利用法を考えてみたかったこともきっかけのひとつ。

今回は以前「英語を文章単位で学ぶ意義」として投稿した記事を、「フレーム」と「エピソード記憶」という認知言語学と認知心理学の用語を援用して改訂したものである。語彙マップの発想自体は珍しくないと思うが、教科書をベースとした応用はあまりなされていないかもしれないと思い、改めて載せてみることにした。今後も語彙の指導法について考えていくことができればと思う。
ラベル:英語教育
posted by ダイスケ at 04:34| Comment(0) | 学習・教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月10日

教職課程を履修するかどうか迷っている人へ

ぼくは大学の学部生のときに教職課程を履修し、教員免許を取りました。大学入学当初は履修を考えていなかったのですが、高校のときの先生に相談したり、自分自身の考えが変わったりして、履修することに。始めるのが遅れたために、いろいろと大変なところもありましたが、結果的には履修してよかったなと思っています。

卒業して大学院へ行ってから、後輩から教職課程を履修する人向けの冊子を作っているので、それに寄稿してほしいと言われ、以下のような原稿を書きました。基本的にはぼくの大学でのケースを想定して書いていますが、久しぶりに読み返してみて他大学の人にも当てはまるかなと思ったので、ブログに載せてみることにしました。教職課程を履修するかどうか迷っている人、あるいは、現在履修しているけれど継続するか迷っている人などの参考になれば幸いです。

*****

この冊子を読んでいる方は、当然ながら中学・高校の教員に興味があるのでしょう。ただ、実際には教員以外の職業も考えていたり、入学当初は教職課程を考えておらず出遅れてしまったため履修を迷っていたりするかもしれません。しかし、興味をもったならぜひ取り組んでいただきたいなと思います。

このように書くと、安易な気持ちで教職課程を履修することを促しているように思われるかもしれませんが、そうではありません。やるからには教員になってほしいと思います。将来教員になるという選択肢を積極的に選ぶためにも、まずは教職課程を履修し始め、途中でやめないことです。

教職課程は必要な単位の数も多く提出物の期限にも厳しいですが、途中で断念してしまう原因の一つは、むしろ「免許状を使わない職業に就くかもしれない」「がんばっても卒業までに取れないかもしれない」などの不安にあるのではないかと思います(逆に、やる気があれば単位や提出物はなんとかなります)。そのように迷ったために、授業に出なくなったり提出物の期限が過ぎてしまったりするのです。この場合、教員になる可能性は断たれてしまいます。

しかし、教職課程を通じて出会った仲間や教授の熱意、教育実習での経験によって、やはり自分がなりたいのは教員だと確信する人もいます。だから、最初に抱いた興味を信じてやってみてほしいと思います。その興味が確固とした決意に変わるまで教職課程を続けられることを願っています。

そして、最終的に教員にならなかったとしても、それはそれでよいと思います。介護等体験で身体的にも年齢的にも自分と異なる方々との交流を通して、コミュニケーションとは何かを考える。教育実習で先生方が陰で(かつての自分には見えなかった形で)いかに努力されているのかを知り、当時の先生に感謝をすると同時に仕事をすることの責任感を学ぶ。教育制度や教育現場のことを知ることで、将来子供ができて親になったときに、教育というサービスを受ける消費者という意識ではなく主体的に学校と関わっていける。それもまた素晴らしいことですから。
ラベル:日記
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2010年10月31日

ドイツ語不規則変化動詞の規則変化表

今回は完全にドイツ語学習者向け。
ドイツ語を勉強していて大変なことのひとつは、不規則変化動詞の数が多いことだろう。だが、よく見てみると、決して無秩序ではなくいくつかのパターンに分類できることに気づく。

不思議なことに、この分類は大学のドイツ語の授業では習わないし、参考書にも書いていないので、自力でやってみた。分類には数日かかったが、きれいに分類できて楽しかった。不規則変化の大部分がこれでカバーできるので、ドイツ語を勉強している方々の参考になれば幸いです!

強変化動詞A(過去基本形と過去分詞の幹母音が同じ)
■ei → ie → ie
〈具体例〉
bleib/en  blieb  ge/blieb/en
 とどまる
preis/en  pries  ge/pries/en
 称賛する
schreib/en  schrieb  ge/schrieb/en
 書く

〈その他〉
leihen scheinen schreien schweigen steigen treiben weisen 

■ei → i → i
〈具体例〉
beiß/en  biss  ge/biss/en
 噛む
greif/en  griff  ge/griff/en
 つかむ
schneid/en  schnitt  ge/schnitt/en
 切る

〈その他〉
gleichen leiden reißen reiten schreiten streichen streiten

〈コメント〉
このタイプの動詞は、f→ff、d→tt、ß→ss、t→ttのように子音もセットで変わることが多い。

■ie → o → o
〈具体例〉
flieg/en  flog  ge/flog/en
 飛ぶ
genieß/en  genoss  genoss/en
 楽しむ
schließ/en  schloss  ge/schloss/en
 閉じる

〈その他〉
biegen bieten fliehen flißen frieren gießen riechen schieben schießen schließen wiegen ziehen

〈コメント〉
このタイプの動詞も子音がß→ssのように変化する。ziehenに関してはzog、gezogenのようにh→gになるので注意。


強変化動詞B(不定形と過去分詞の幹母音が同じ)
■a → ie → a
〈具体例〉
fall/en  fiel  ge/fall/en
 落ちる
lass/en  ließ  ge/lass/en
 …させる
rat/en  riet  ge/rat/en
 助言する

〈その他〉
blassen braten schlafen

〈コメント〉
このタイプの動詞は、2人称・3人称単数の現在形で幹母音がa→äになる(fallen→fällt、lassen→lässtなど)。

■e → a → e
〈具体例〉
ess/en  aß  geg/ess/en
 食べる
geb/en  gab  ge/geb/en
 与える
les/en  las  ge/les/en
 読む

〈その他〉
fressen geschehen messen sehen treten vergessen

〈コメント〉
このタイプの動詞は、2人称・3人称単数の現在形で幹母音がe→iになる(essen→isst、geben→gibtなど)。ただし、lesenとsehenに関してはe→ieになる(lesen→liest、sehen→sieht)。また、ssがつく場合、過去形でのみßになる(essen→aß、messen→maßなど)。

■a → u → a
〈具体例〉
grab/en  grub  ge/grab/en
 掘る
lad/en  lud  ge/lad/en
 積む
schlag/en  schlug  ge/schlag/en
 打つ

〈その他〉
fahren schaffen tragen wachsen waschen

〈コメント〉
このタイプの動詞は、2人称・3人称単数の現在形で幹母音がa→äになる(graben→gräbt、laden→lädtなど)。


強変化動詞C(不定形、過去基本形、過去分詞の幹母音がそれぞれ異なる)
■e → a → o
〈具体例〉
brech/en  brach  ge/broch/en
 命じる
helf/en  half  ge/holf/en
 助ける
sprech/en  sprach  ge/sproch/en
 話す

〈その他〉
befehlen empfehlen gelten nehmen shelten erschrecken stechen stehlen sterben treffen verderben werben werfen

〈コメント〉
このタイプの動詞は、基本的に2人称・3人称単数の現在形で幹母音がe→iになる(brechen→bricht、helfen→hilftなど)。

■i → a → u
〈具体例〉
find/en  fand  ge/fund/en
 見つける
sing/en  sang  ge/sung/en
 歌う
trink/en  trank  ge/trunk/en
 飲む

〈その他〉
binden dringen gelingen klingen sinken springen zwingen


混合変化(過去基本形と過去分詞の幹母音が同じ)
■e → a → a
〈具体例〉
kenn/en  kann/te  ge/kann/t
 知っている
nenn/en  nann/te  ge/nann/t
 名づける
renn/en  rann/te  ge/rann/t
 駆ける

〈その他〉
brennen denken senden wenden
ラベル:ドイツ語 活用
posted by ダイスケ at 02:22| Comment(12) | 学習・教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月27日

サンプルとしての言語

塾で英語を教えていて、授業が単調になってしまったかな、ちょっと仕切り直しが必要かなと思ったときには、例文の内容についてコメントすることがある。

たとえば、John loved Mary.という例文があったとき、「あぁ、じゃあ今はJohnはMaryのことを愛していないんだね。Johnは今ごろ、昔はよかったなあと懐かしんでいるのかもしれないね」のように。生徒によっては(そのときのコメントのセンスにもよるが)、クスッと笑ってくれて授業のアクセントになる。

語学では、例文はあくまでその言語を学習するためのものであって、何かその文そのものにメッセージ性があるわけではない。例文はあくまで「例」(あるいはサンプルと言ってもよい)であって、何かを伝えるためにだれかが言ったり書いたりしたものではないのだ。だから、John loved Mary.という例文のJohnがだれなのかわからなくても気にしない。

これは、語学における例文はコミュニケーションの中に位置づけられたものではないことを意味する。だからこそ、その文の内容に気を取られないで(?)、文法や語法などに注意を向けることができる。

だが、これは私たちが普段言語に対してもっているような関心とはちがう。普通ならば、Johnがだれなのか、JohnはMaryとはどのような関係なのか、だれがどんな場面で言ったセリフなのかということが気になるはずだ。その意味で、語学の勉強においては、言語をサンプルとして扱うという特殊な前提をもっているといえる。

冒頭に挙げた例文の内容に対してコメントするというのは、教える立場なのに暗黙の前提に背いていることになる。生徒がおかしいと思う理由のひとつは(おかしいと思ったとして)、ここにあるのではないだろうか。

外国語を勉強していてどこかストレスがたまるとしたら、このような前提を押しつけられていると感じているからかもしれない。生徒を笑わせられるかどうかはともかく、このような関心のずれについて認識しておくのは重要だと思う。

参考文献
Widdowson, H. 2007. Discourse Analysis. Oxford University Press.
ラベル:英語教育
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2010年08月26日

見えなくても、聞こえなくても、大切なものはある

言語は、ある意味では、耳で聞くことも、目で見ることもできない側面をもっていると言ったら驚くだろうか。

英語の例を考えてみよう。
英語でdogの複数形はdogs、catの複数形はcatsである。ここで重要なのは、英語話者はdogの複数形とcatの複数形を別々に記憶しているわけではなく、どちらも最後に-sをつければ複数形になるということを知っているということだ。
つまり、dog、catという具体的な単語というよりも、抽象的な〈名詞〉という単位に対して-sを加えるというルールを知っているのだ。
言語は無秩序ではなくある種のルールがあるのだが、それはそのように抽象的なレベルで働くのである。次の場合も同様だ。

(1)
a. He knows the story.
b. He knows the sad story.
c. He knows that she died.

これら3つの文は、単語の数もちがい、見た目がちがうのにも関わらず、いずれも(2)のように言い換えることが可能である。

(2)He knows it.

つまり、英語話者はthe story、the sad story、that she diedは何かの点で同じであると感じているはずだ。そして、それは〈目的語〉と呼ばれる単位でまとめることができるのである。

ここで私たちが問題にしているのは、単語の長さや単語の数といった目や耳で確かめられるものではなくて、〈名詞〉〈目的語〉といった抽象的な単位である。そうであるとすれば、単語の数が少ない文は易しい、多い文は難しいとも限らないことになる。
逆にいえば、単語の数は長くて一見複雑でも、〈目的語〉などの抽象的な単位からしてみれば単純な文、単語の数が少なくても実は複雑な文というのもありえることがわかる。

英会話の本では、『ネイティブならだれでも知ってる簡単フレーズ』のようなタイトルのものがある。そうした本には「短くてやさしいフレーズを使って、英会話を学ぼう」などと書かれていたりする。
短くても便利なフレーズもきっとあるだろうし、それの応用範囲が広いならばどんどん覚えてよいと思うし、それも学習法のひとつとしてありだ。

しかし、単語の数が少ないから簡単だ、長い文は難しくてダメと思うならば、言いかえれば、目や耳で直接感じることのできるものだけに頼っていたら、それは危うい。
言語は抽象的な単位を利用しているということに気づき、その上で必要そうなフレーズがあるならそれを取り込んでいくという柔軟性が大切だろう。

参考文献
Isac, D. and C. Reiss. 2008. I-Language. Oxford University Press.
ラベル:英語教育
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2009年10月28日

英語を文章単位で学ぶ意義2

以前、英語を文章単位で学ぶ意義という記事を書いたが、今回はその第2弾。

今回も英語教科書に出てくる表現を図にしてみた。
教科書はUnicorn Iで、扱ったのはLesson 3 "ALEX THE PARROT"。

Lesson 3に出てくる表現

前回はある程度まとまりのある文章を読んで、関連する意味をもつことばを定着させていこうという趣旨だったが、今回は図そのものが本文の要約になるよう意識してみた。

ちなみに、この図は教職のゼミの発表で使ったもの。
高校や予備校で、本文の内容をこのようにまとめる授業を受けたことがある人もいるそうだ。
先生や友達から、最終的には生徒自身がこのような図を作れるといい、そのための訓練をする時間を設けてもいい、などのご指摘をいただき刺激になった。
ラベル:英語教育
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2009年10月13日

忘れる ― 外国語を学ぶコツ

外国語を勉強して感じることのひとつは、「どうしたら単語を覚えることができるか」だ。
教育実習のときに生徒にも質問された。

覚えたはずの単語がわからず辞書を引いて「そういえばそうだった。一度やったはずなのに」という経験は誰にでもあるだろう。
場合によっては、はじめに学んだときの努力が無駄だったかのように思えてしまう。

では、どうせ忘れてしまうのなら、はじめからやらなかったのと同じなのかといえば、それはちがう。
単語を忘れるためには(変な言い方だが)、すでに一度学習しており、かつまたそれに出会わなければならない。
そもそも知らない単語であれば、ただ「知らなかった」となるだけで、忘れることすらできない。
忘れるというのは、それだけ学習を続けた人だけが体験できる悩みである。
忘れることは学習が進んだ証拠なんだから、悲しむよりも喜ぶべきことかもしれない。
そういう気持ちで外国語に接するのも、外国語学習のコツになるだろう。

教育実習のときは、そういう形で答えることができなかったが、最近の英語・ドイツ語の学習を通してそう感じるようになってきた。
(教育実習のときにも、この質問にはいくつかのアプローチで回答したつもりだが、そのひとつはこちら

関連記事:
「魂の満足」としての語学
英語の勉強量なんて、みんな同じようなもの?
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2009年08月30日

英語教育系のワークショップ参加

今日は英語教育系のワークショップに参加した。
去年お世話になった教授から声をかけていただいたので。

全体の流れは次の通り。
@高校生を想定した授業を受ける(授業を受けるのは参加した大学生)
Aテスト問題作成について考える
Bテストの結果のデータ処理を学ぶ

@は英語で英語の授業を行い、リーディングとスピーキングがあった。
■リーディング
(1)教科書を各自読む
(2)先生が「どんなことが書いてあったか」生徒(大学生)に聞く
(3)生徒が英語で答える
■スピーキング
(1)ペアになって、与えられたトピックについて質問し合う(将来就きたい仕事は何ですか?など)
(2)どんなやりとりをしたかを発表
(3)数人のグループを組んでディスカッション
(4)ディスカッションの内容をまとめて発表

ある意味で、いかにも「英語で英語の授業」という感じだった。
「先生は常にハキハキしてて、まちがいを恐れずにしゃべってごらんという無言のメッセージを発している」という感じ。
このスタイルがいいか悪いかはとりあえず置くとして、
こういうスタイルは英語の授業でしかなされないような気がする。

これが必要とされている「コミュニケーション能力」なら、英語以外でもやればいいのではないだろうか。
英語のときだけ、質問されたり自分の意見を言うことを奨励されたりするならそれは変だと思う。
そういうことに必要なのは、発言する勇気や慣れかもしれないが、それは英語でのコミュニケーションに固有の能力ではないだろう。
英語だけ特別扱いしてテンションがちがいすぎるような。
他の科目では意欲的に参加しているかという観点は取られない気がする。

とりあえず、
「教育全体の中での英語の位置づけは何だろうか」
「コミュニケーションに対する意欲を評価対象とするのはそもそも自明なことか」
ということを考える機会となった。
ラベル:英語教育
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2009年06月29日

英語を文章単位で学ぶ意義 ― 実習での試み

生徒から英語の勉強で困っていることを聞いてみると、「単語が覚えられない(すぐ忘れる)」というのが多かった。
うちの学校では単語集が配布されているのだが、なかなか覚えるのは苦戦しているようだ。
そもそも単語集を使うこと自体に疑問がある人もいるだろうが、自分自身は単語集を使ったし役に立ったと思う。
やはり、絶対に触れておきたい単語などはあるわけなので。

単語集の弱点は、単語がバラバラに配列してあるので、互いに関連した意味をもっている単語に触れることができないことだ。
でも日本語を考えてみても、ことばをただバラバラに覚えているわけではないことは明らかだ。
たとえば、「絵」「絵の具」「筆」「塗る」などのことばのうちどれかを聞けば、別のものが連想できる。
母語であれば、そういうことばのネットワークが頭の中に自然と形成されてことばを覚えていくのだろう。

だが、外国語(英語)ではそうはいかない。
外国語でそうしたネットワークを作るには、一文だけでないある程度まとまった文章に意識的に触れるのが有効だ。
小説にしても、新聞にしてもある事柄に関する表現が何度も登場するので、単語や熟語の知識を整理するのに役立つ。

というわけで、実際に高校の授業で使っている教科書Unicorn UのLesson 6に出てくる語句を「連邦議会」「投票」「選挙」「選挙権」「戦争」という観点からまとめてみた。
一語というよりは、語句という感じになった。

Lesson 6に出てくる表現

投票することが認められていれば(be allowed to vote)、選挙権(the right to vote)を持っているということである。
連邦議会に立候補した(run for Congress)人のうちだれかに投票する(vote for...)。
連邦議会は、宣戦布告を行うか(declare war)か、それとも参戦しないでおく(stay out of a war)か投票して決める。続きを読む
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2009年06月28日

授業は生き物

先週、教育実習が終わった。
実習中は忙しくてブログを更新している場合ではなかったけど、思い出話はこれから書いていきたい。

基本的に担当したのは高2の英語(英語U)。
高2だけでなく、中学の授業のアシスタント(?)として参加したりしたので、合計25回の授業を任された。
場数を踏むことができたので、授業の反省をして改善をするには絶好の機会となった。

それにしても、授業は生き物のようだ。
授業をやるたびに生徒の反応がちがう。

同じことを説明しても、わかっていそうなクラスとわからなそうなクラスがある。
同じ冗談を言っても、笑うクラスがあれば笑わないクラスもある。
同じクラスで別のことを説明したら、前回ほど生徒が納得してなさそうだなってときもある。

授業が体育のあとだと生徒が教室に来るのが遅れる。
授業が昼休みのあとだとちょっと眠たそうにしていている。

びっくりするぐらい、授業は毎回様子が変わる。
授業がうまくいったかなと思う日もあれば、ダメだったと思う日もあって。
まさに一喜一憂。

まったく同じ授業は二度とないんだな。
毎回毎回工夫できるし、授業に完成形はないのだと思うと、非常にやりがいのある仕事だと思う。

さて、大学のほうに目を向けると。
授業後に感想や質問を書いて提出するよう求める大学の先生がいらっしゃるけど、その気持ちが今はすごくよくわかる。
学生からしてみたら面倒かもしれないけど、教える側はすごく気になるだろうなあ。
他にも授業をやる側の気持ちがちょっとわかるところがあって、今後は大学の授業の受け方もちょっと変わるかも。
ラベル:教育実習
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2009年06月14日

母校へ

6月から教育実習が始まった。
実習期間は3週間で、そのうちの2週間が終わる。
母校の高校(中高一貫校)で教育実習をやっているので、中高のときの先生方に再びお世話になっている。

教育実習をやってみて、先生方は当時自分が考えていたよりもずっといろいろなことを気にかけていたことがわかった。
ただ一方的に授業をやっているだけでなく、生徒の様子をうかがって臨機応変に対応している。
生徒が今教科書のどのページをやっているかわからなそうだったら、もう一度言う。
生徒があくびしたら、窓を開けて空気を入れ替える。
生徒が疲れていそうな顔をしていたら、雑談を交える。

プロの教師はそうしたことを生徒に言われる前に気づいている。
自分で授業をやってみると、授業を進めることで精一杯でそうしたことまでなかなか気が回らない。
また、授業中に生徒を指名して問題の答えを聞いているときなどはついその生徒だけに目が向いてしまい、教室全体の状況を把握していなかったということもある。
たまたま指名した生徒がわかっても、教室の多くの生徒がわからないときだってあるのだから、常に他の生徒にも目を配っていたい。

中高のときとはちがう視点で先生方を見ることができ、当時とは先生方に対する印象も変わった。
それだけでも、教育実習はおもしろい体験だと思う。

そうそう、自分は中学のときはどちらかといえば数学、理科がよくできたせいか、受験した学部を知らなかった先生には文学部で英米文学(といいつつ文学ではなくて英語学(言語学)だが)、取るのは英語の免許だというと驚かれたりして。

教育実習についてはまた書きます。
ラベル:教育実習 日記
posted by ダイスケ at 16:15| Comment(0) | 学習・教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする