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2012年08月31日

「魂の満足」としての語学

わたしはピアノのレッスンが好きだった。それというのも、毎日少しずつ進歩してゆくように思われたからだった。それは、わたしが外国語で書物を読むときの楽しさを説明してくれるだろう。それは自国語よりも外国語のほうが好きだとか、外国の作家にくらべて、わたしの尊敬するわが国の作家たちに遜色があるとかいったわけではない。ただ意味や感情をたどる場合の軽い困難、さらにみごとにその困難に打ち克ってゆくときの、自分でも気のつかない得意な気持といったものが、知識の上の楽しみに加えて、それなくしてはすまされない何かしら魂の満足とでもいったようなものをつけ加えてくれるからにほかならないのだ。
アンドレ・ジッド『狭き門』新潮文庫 pp.189-190

文学作品には、ときに話の進行上あまり重要でない細部におもしろいことが書いてあったりする。最初に引用したのは小説『狭き門』の一節で、ヒロインであるアリサの日記から。『狭き門』は、読んだのがだいぶ前なので、あらすじ以外は忘れてしまったが、この一節はよく覚えている。そうそう、語学のおもしろさって、少なくともその一側面は、そういうところにあるんだよな、と思ったのだった。

ピアノは、プロの演奏家以外はお金を稼ぐ手段にならない。ピアノを習う多くの人は、お金を稼ぐのに十分な演奏技術を身につけるわけでもないし、それによって就職が有利になるわけでもない(趣味の欄に書いて、面接のときの話題作りぐらいにはなるかもしれないが)。単純に、弾きたい曲が弾けるようになる、だんだんと上達するということがおもしろいから、ピアノを弾くのである。

語学にも同じようなおもしろさがある。一目見てわからなかった外国語の文章が、辞書を引き、文法を考え、うんうん唸って、ついにその意味がわかったときは、何とも言えない心地よさがある。少しずつわかる文が増えていくプロセス自体が楽しめるし、達成感がある。その達成感の背後には、1年前だったら単なる暗号の羅列だったり雑音でしかなかったものが、今や意味のあるものとして認識できるようになったという成長の実感もあるだろう。ある程度勉強が進むと、そうした気持ちになることも少なくるかもしれないが、5年前の自分、10年前の自分を振り返れば、ずいぶんと遠くまで来たことを感じられると思う。それは、何かの手段としてではなく、語学そのものに内在する魅力だろう。

外国語が、だれかとコミュニケーションできるようにするため、あるいは、母語以外の情報を得るための重要な手段であることには変わらない。ピアノなどの楽器に比べれば、そうした実用的な見返りを語学に求める傾向は強いだろう。だが、もし今英語の学習にかけている時間はTOEIC何点分になるのだろうとか、英語が話せたらいくら稼げるのだろうなどと考えていたら、緊張感や焦燥感ばかりでかえってやる気がわかないような気がするし、語学を継続する原動力というのは、むしろここで挙げたような「魂の満足」なのかもしれないなと思う。

狭き門 (新潮文庫) [文庫] / ジッド (著); 山内 義雄 (翻訳); 新潮社 (刊)
狭き門(新潮文庫)
ジッド (著)、山内義雄 (訳)


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ラベル:日記 語学
posted by ダイスケ at 01:36| Comment(0) | 学習・教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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