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■大学芋はなんで「大学芋」という名前?「大学」+「芋」=「大学芋」と単純にはいえない。そう考えると、ことばには不思議がいっぱい。「大学芋」をきっかけにことばについて考えるブログです!
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2011年07月16日

「上り坂」と「下り坂」

「東京には坂が多いけど、上り坂と下り坂はどちらが多いでしょう?」というのは答えることのできない質問である。なぜなら、同じ坂でも、下から見るか上から見るかによって、「上り坂」とも「下り坂」とも言えてしまうからだ。つまり、「上り坂」と「下り坂」の違いは、坂をどのような立場から捉えるかにある。

同様の例は、(1-4)においても見られる。

(1)明けの明星
(2)宵の明星
(3)コップにジュースがまだ半分ある。
(4)コップにジュースがもう半分しかない。

(1)と(2)はどちらも「金星」を指すが、それを朝見るのか、夕方見るのかが異なる。(3)と(4)はともに、同じ量のジュースについて言及しているが、(3)ではそれを肯定的に捉えているのに対して、(4)では否定的に捉えている。

以上の例から、ことばの意味は何を指示するのかだけでなく、その捉え方をも含んでいることがわかる。捉え方が異なれば、言語表現も異なる。このように捉え方を重視した言語研究を行っているのが、言語学の中でも認知言語学と呼ばれる分野である。そんなところに魅かれて、ぼくは認知言語学をはじめとした言語学をもっと勉強したいと思った。

上記の例は、認知言語学の入門書でよく取り上げられるおなじみの例なのだが、これはことばの話に限ったことではない。次第にそう思うようになった。

人生は、しばしば坂を登ることにたとえられる。坂を登り、今よりも高い位置へ行くことは、困難を乗り越え、成長することだと言われる。入学や就職における試験は、登るのが大変な坂である。そのような坂を目の前にしたとき、自分が登るべき坂がとても高いように思える。また、とても優秀な人に接すると、その人が登った坂の高さに比べて自分はなんと低い位置にいるのだろうと感じることもある。坂の頂上は霧がかかり、その道は果てしない。あとどれくらい登ればいいのか、そもそも自分には登れるのかと不安になる。

しかし、同じ坂が、捉え方によって「上り坂」に見えたり、「下り坂」に見えたりするように、人生という坂だって、見る角度を変えれば違う風景が見えるのではないだろうか。ちょっと後ろを振り向いてみれば、登っているときには目に入らなかった緑の美しさに気づく。遠くに見える街の姿から、自分が案外高いところにまで登ってきたのだとわかる。あるいは、その道中であいさつを交わした人のことを思い出すこともあるかもしれない。そうすると、もうちょっと登ってみようかという気持ちになる。

物事の捉え方はひとつではない。同じ物や出来事であっても、今見える姿がすべてではない。じゃあ、別の角度から見てみよう。そんな発想を、ぼくは言語学から学んだ。そして、それは言語研究の方法を学ぶ以上に、大切なことかもしれないと思う。
ラベル:捉え方 日本語
posted by ダイスケ at 12:04| Comment(2) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
かつて私がフリーターだった頃、
ダンスが上手くなりたいという気持ちはあるけれど、それが行動に伴わず、結局自主練習もレッスン通いも自分の甘さ(バイト疲れ、レッスン通うのが面倒になるetc)から、その情熱が長く続きませんでした。

なぜその情熱が長続きしなかったのか

大学芋さんの日記を読んで、わかった気がします。

【毎日ダンスの鍛練をしなきゃという課題が、自分を追い詰めていて、1日練習をサボると自己嫌悪。

毎日通っていた時期があったが自分が過去の自分よりどれだけ成長しているのかよくわからず、日々同じことの繰り返しがマンネリ化して、練習が逆に自分を後退させてしまっているのではないかと、思うことさえあった。

とにかく、山を登るのに地面しか見てなかったんだな〜と。その道が自分の望む山の頂きにつながっているのかも確かめず、ひたすら毎日、自分の視界は土、土、土、石ころ、土だったんだと思う。毎日がそんな茶色の視界じゃ達成感もない楽しみもない。今の登山地点を考えたり確かめる発想なんて生まれないな〜って。

だから山を登っている確証がなくて自分をマイナスに追い込んでいってしまったたんだと思った。

大学芋さんの言うようにもっと、山を登ること以外のことをすればよかった。後ろの景色や、山や緑の匂い、風を感じたり、すれ違った人と会話をしたり。

ダンスの成長の一番の近道は、1人で黙々と地面とにらめっこしながら山を登ることだと思っていたから。】

大学芋さんの日記を読みながらそんなことを考えさせていただきました。

上手くなることだけがダンスの楽しみじゃないなと。
今はもう社会人でダンスは全くできなくなってしまいましたが、仕事に余裕ができたらまたダンスをしようと考えています。
Posted by 藍 at 2011年08月17日 20:45
藍さん、コメントありがとうございます!コメントをいただいて、自分自身のことを振り返るきっかけにもなりました。

ぼくの場合、そう感じるのは主に勉強面でしたが、藍さんと同じような気持ちなったことが何度もあります。スポーツでも楽器でも語学や勉強でも、坂を登り続ける上で壁になるのは、必ずしも坂の傾斜や高さが問題ではなく、自分自身の心だったりするのかもしれません。上達するためには、もっとやらなきゃ。でも今日は特別な用事があったから仕方がない。でもそんな言い訳をする自分が何よりもかっこ悪い。そんな自分がうまくなるのかな。心の声は、ときとして自分の弱みを鋭く突いてきます。

藍さんは、自分を追い詰めてしまったとありますが、それは藍さんにダンスへの情熱が足りなかったとか、本当は好きでなかったとか、そういうことを意味するわけではないと思います。上記のコメントから、藍さんのダンスへの思いが伝わってきます。茶色の視界で、ダンスを好きな気持ちや楽しむ気持ちが、ちょっと見えづらくなっていただけだと思います。

今度ダンスを始めるときは、坂を登りながら周りの風景や新しい出会いを楽しんだり、土と石ころの間にきれいな花を見つけたりできるといいですね。ぼくも応援しています!
Posted by ダイスケ(大学芋) at 2011年08月20日 22:04
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