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2011年02月15日

ことばを並べる:言語の線条性と創造性

英語を勉強しているAくんとBくんが次のような会話をしていたとしよう。

Aくん:なんか、英語の語順って変だなあ。The boy kicked the ball.って文では、なんでkickのほうがballよりも先なの?まず何を蹴るのかちゃんと意識して、それから蹴るんだから、kickよりもballのほうが大事でしょ。boy→ball→kickっていう順番で人間は理解しているんじゃない?だから、「少年はボールを蹴った」って言う日本語のほうが自然な気がする。

Bくん:そうかなあ?それよりも、少年が足を動かして、その次に足がボールに当たるんだから、boy→kick→ballの順番がいいよ。英語のThe boy kicked the ball.のほうが直感的で自然だな。

あなたなら、AくんとBくんのどちらの意見が正しいと思うだろうか。どちらかが正しいと言えるとしたら、何を証拠としてあげればよいのだろうか。人間が物を蹴るときの視線の動きや脳の神経細胞を調べればよいのだろうか。仮にそうした実験をするにしても、どのような結果がでれば正しいと言えるのかはなかなか難しそうな問題だ。

ただし、この会話でわかることが一つある。それは、何を先に言うにせよ、なんらかの順番に並べて話さなければならないということだ。当たり前のことだと思うかもしれないが、言語以外の媒体を使うならば必ずしもそうではない。

次の絵(?)を見てみよう。少年がボールを蹴った絵だと思ってほしい。
The boy kicked the ball.png


絵であれば、「少年」「ボール」「蹴る」などといちいち分解せずに一気に全体像をつかむことができる。もちろんそのうちのボールだけに注目するということは可能だが、それでも絵を全体として捉えることはできる。

しかし、言語においては、それぞれの要素を同時に提示することはできない。人間は一度にふたつの語を発するということはできず、一語ずつ並べていくしかない。言語のこのような制約は「線条性」(linearity)と呼ばれている(池上嘉彦『記号論への招待』を参照)。

そして、その並べ方も自由ではなく、基本的には言語ごとに決まっている。日本語では、「ボールを蹴る」のように目的語-動詞の順、英語ではkick the ballのように動詞-目的語の順であり、勝手にその順番を変えることはできない。英語で、ボールのほうに特に注意が向いたから今回はThe boy the ball kicked.と言ってみようなどということは、普通できないのだ。

線条性は言語にとって宿命的な制約だが、この制約があるからこそ表現できることもある。たとえば、絵を利用して(1)の二つの文、あるいは(2)の三つの文の違いを表現することはほとんど不可能だろう。それらは完全に同じ意味ではなく、話し手がある出来事や状態をどのように捉えるかというレベルで違いがあるはずだ。

(1)
a. 夕食を食べる前に本を読んだ。
b. 本を読んだ後に夕食を食べた。

(2)
a. 彼は優しさと厳しさを兼ね備えている。
b. 彼は普段は優しいが、ときどき厳しい。
c. 彼は厳しいときもあるが、普段は優しい。

言語は現実の世界をそのまま反映させる手段ではない。それは、一方では現実の認識に関わらず一定の順番で語を並べなければならないという制約を生みながら、他方では言語を使う者の世界の捉え方を表現する手段にもなる。その意味で、線条性は言語の創造性の源泉であるともいえる。

参考文献
池上嘉彦. 1984. 『記号論への招待』 岩波新書.
posted by ダイスケ at 00:08| Comment(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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