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2010年12月24日

Metaphors We Live By 第11章

Metaphors We Live Byの第11章。これまで日常的な表現にみられるメタファーについて扱ってきた本書だが、この章ではいわゆる比喩的な表現との連続性についても指摘される。文学では、想像力によるメタファーをいかに使うかがひとつのポイントになるだろう。

また、本書のタイトルが明らかになる点でも印象的な章だった。

*****

11. The Partial Nature of Metaphorical Structuring
They are “alive” in the most fundamental sense: they are metaphors we live by. (p. 55)


これまでは、メタファーによって定義される概念の体系性があることを説明してきた。概念はメタファー(THEORIES ARE BUILDINGS)によって体系的に構造を与えられるので、ある領域(buildings)に含まれる表現(construct, foundation)を使って、メタファーによって定義される領域(theories)内の対応する概念に言及できる。

「理論」という概念に構造を与えるために使われる「建造物」の概念の部分は基礎と外郭(がいかく)だけであって、屋根、部屋、階段、廊下などの部分は「理論」という概念のためには使われない。したがって、THEORIES ARE BUILDINGSには「使われる」部分と「使われない」部分があるわけである。constructやfoundationはメタファーによって構造を与えられているそうした概念の使われる部分の例であり、理論について日常的に使う文字通りのことばである。

しかし、使われない部分を用いた表現もありうる。たとえば、His theory has thousands of little rooms and long, winding corridors.(彼の理論にはいくつもの部屋と曲がりくねった廊下がある)。こうした文は、通常の文字通りのことばの領域外にあり、比喩的(figurative)、あるいは想像力による(imaginative)表現と呼ばれているものの一部である。文字通りの表現(He has constructed a theory.)も想像力による表現(His theory is covered with gargoyles.)も同じメタファー(THEORIES ARE BUILDINGS)の例でありうる。

想像力によるメタファーをさらに3つに分類してみよう。
1. あるメタファーの使われる部分を拡張したもの。The facts are the bricks and mortar of my theory.〈これらの事実は私の理論のレンガとモルタル(レンガやタイルの接合に用いるもの)である〉は、建造物の外郭について言及しているが、THEORIES ARE BUILDINGSでは用いられない使用材料にまで言及している。
2. 文字通りのメタファーの使われない部分を使った例。His theory has thousands of little rooms and long, winding corridors.
3. 新規なメタファー、つまり、私たちの通常の概念体系の一部に構造を与えるために使われるメタファーではなく、新しいものの考え方を表すメタファー。Classical theories are patriarchs who father many children, most of whom fight incessantly.〈古典的理論というのは、その子どもたちの大部分が絶えずけんかをしている子沢山の父親である。〉

ここまで述べてきたメタファー的表現はどれも、メタファーによって成り立つ概念の全体的な体系の中で使われている。そうした例に加えて、体系的な使われ方をせず孤立している特異なメタファーもある。たとえば、the foot of the mountain、the leg of a tableなどである。こうしたメタファーは、メタファーによって成り立つ概念の中でも他からは孤立しており、使われる部分はその例にしかないのである。したがって、the foot of the mountainは、MOUNTAIN IS A PERSONというメタファーの唯一の使われる部分の例である。とはいっても、使われない部分を用いて新しいメタファー的表現をつくることはありうる(conquer, fight and even be killed by a mountain)。

The foot of the mountainのような例は特異であって、体系をなさない、孤立した例である。他のメタファーと相互に関連することもなく、私たちの概念体系の中で特に興味深い役割を果たすこともない。したがって、それらは生活の基盤となるメタファーではない。使われていない部分がわずかに拡張される可能性があるだけである。もし、メタファー的表現が「死んでいる」と称するに値するとすれば、これらがまさにそうである。

それとはちがって、本書で扱ってきた例は私たちの行動や思考を成り立たせているメタファーによって成り立つ概念の存在を反映している。これらの表現は根本的な意味で「生きている」。つまり、私たちが生活の基盤としているメタファー(metaphors we live by)である。


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認知言語学キーワード紹介(3):メタファーと経験基盤主義
posted by ダイスケ at 01:51| Comment(0) | 言語学の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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