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2010年09月28日

「ご飯を食べたい」と「ご飯が食べたい」、「水を飲みたい」と「水が飲みたい」

前回の記事:日本語はあいまい?
急に外国語話者に「『ご飯を食べたい』と『ご飯が食べたい』における『を』と『が』の使い分けを教えてほしい」と言われたら、何と答えるだろうか。おそらく、「なんとなく、そのときの気分」と思ってしまう人もいるだろう。

だが、自分がどう使い分けているかわからなくても、使い分けていないわけではない。どちらを使うかはそのときの気分だったとしても、見方を変えれば、その気分にあった言い方があるということでもある。

たとえば、次の「…たい」の前における使い分けを「を」と「が」を考えてみよう。(1)では「を」でも「が」でも自然だが、(2)では「が」はかなり不自然である。

(1)
a. 英会話{を/が}習いたい
b. 真相{を/が}知りたい。

(2)
a. 英会話{を/?*が}教えたい。(*?はかなり不自然)
b. 真相{を/*が}話したい。(*は不可能)

一方、次の例では「が」のほうがどちらかといえば自然に感じる。

(3)ああ水{?を/が}飲みたい。(?はやや不自然)

このことから、「を」は多くの場合に使われるが、あるものの所有や享受の願望を表す場合は「が」が使われやすくなる、ということがわかる。(以上の例文および議論は、大江三郎「願望のタイの前でのヲとガの交替」を参考にしている)

実際のところ、「を」と「が」の使い分けはそれだけではすべての場合を説明できるほど単純ではなく、そのちがいについては日本語の研究においてもまだまだ研究途上のようだ。

だが、重要なことは、「を」と「が」がいつでも入れ替え可能というわけではなく、一方は可能だが、もう一方は不自然あるいは不可能という場合があるということである。つまり、私たちは何らかの基準において、たしかにそれらを使い分けている。日本語は法則性がないというよりは、私たち自身がそれに気づいていないだけなのだ。
ここでいう法則性が上記でいうところの「気分」にあたるものだと思えば、少し見方も変わってくるのではないだろうか。

更新を怠っている間に、読売新聞の「日本語のちから」が終わってしまった(笑)。

参考文献
大江三郎. 1973. 願望のタイの前でのヲとガの交替. 『文学研究』 70. 1-11.

続編:グレーな文法
ラベル:日本語 構文交替
posted by ダイスケ at 02:06| Comment(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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