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2010年08月03日

ことばについて考える2:辞書と言語学

前回の記事:ことばについて考える1:語学と言語学

前回は、語学と対比することで、言語学は言語をどのように捉えるのかをみてみた。今回は辞書を話題にして、言語学的な関心について考えてみよう。日本語でも外国語でも、辞書があれば、ことばの意味や使い方はすでに十分明らかにされていると思われているかもしれない。しかし、必ずしもそうではないのである。

「悲しい」と「悲しがる」という語を例に考えてみよう。辞書を引けば、形容詞「悲しい」がどのような感情を表すかが載っている。また、「-がる」という接尾辞は、形容詞などの語幹につくこと、そしてその形容詞で表された気持ちや様子を外に見せることを意味するのがわかる。なお、「悲しがる」という語そのものは、辞書の見出し語にはなっていない(『明鏡国語辞典』『新明解国語辞典』には載っていなかった)。

それがわかれば、「悲しい」と「悲しがる」については、(どんなときに悲しい感情になるかはなかなかに難しい問題だとしても)、辞書の記述としてはこれで十分のように感じる。しかし、私たちは「悲しい」と「悲しがる」についてもっと多くのことを知っている。

(2)
a. 私は悲しい。
b. ??彼は悲しい。

(3)
a. ??私は悲しがっている。
b. 彼は悲しがっている。

日本語話者からすると、(2b)のように「彼」のように他人(一人称以外)を主語にすると不自然に感じられる(??はきわめて不自然な表現を表す)。他人の悲しさについて言及する場合、(3b)のように「悲しがる」を使うのがふつうである(逆に(2a)は不自然)。「悲しい」と「悲しがる」という語の使用において、これらは重要な情報であるが、辞書には書いていないのである。

(2b)のように、他人がどのような感情をもっているのかをわかっているかのような表現は、日本語では避けられる。それを知らなければ、「悲しがる」という表現の存在意義を(少なくともその一部は)理解したことにはならないのではないだろうか。

なお、日本語の感情・感覚を表す形容詞の場合、基本的に「悲しい」と「悲しがる」にみた使い分けが当てはまる。
英語ではI am sad.もHe is sad.もどちらも問題ないことを考えると、日本語でも「彼は悲しい」という言い方ができてもよさそうな気がする。なぜ日本語で(2)が不自然なことは追求してみるべき問いだといえる(はっきりした答えが出るかどうかはともかく)。

語や文法はただ覚えればいいだけのもので、辞書、あるいは文法書は絶対的なものだというイメージが強いかもしれない。しかし、日本語でも英語でも、辞書にも文法書にも書いていないような(あるいは、書いていることに反するような)ことがいっぱいある。言語の実態を記述し、なぜそのようになっているのかを説明するのが言語学なのだ。

続編:ことばについて考える3:ことばの不思議への招待
posted by ダイスケ at 05:21| Comment(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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