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2015年10月31日

大学の英語の授業について考える

以前、高校の非常勤講師として働いていたとき、勉強合宿に引率として参加したことがある。そのとき、古文の授業を生徒といっしょに受けてみた。大学受験のときは、古文は文系科目の中ではあまりうまくできるようにならかったし、古文に触れるのも久しぶりだったが、そのときは思いのほか理解でき、また今だからこそわかる部分、楽しめる部分があるように思えた。

高校までの勉強で科目のイメージが決まってしまうのはしょうがないものの、そのとき苦手だったりおもしろくないと感じてずっとそのままになってしまうというのは、もったいないかもしれない。実際には、高校までとは違うアプローチも世の中にはたくさんあって、もっと違う付き合い方があるのだから。古文をおもしろいと思えたのは、曲がりなりにも文学部にいたおかげで、文学が専門ではなかったにせよ、文学や歴史や芸術との付き合い方にいろいろあるのを知って、付き合い方を選べるようになったのが大きい気がした(もちろん、言語学を学んだおかげで、古文の文法なども新たな気持ちで見れたというのもある)。それは自分が文学部にいたことの収穫の一つのように思う。

そう考えると、大学の英語教育は、高校までとは違う英語への接し方もあることを提示して、個々人が付き合いたいように英語に付き合える手伝いをするのも大切なことかもしれない。英語の授業にも、何かの手段として使えるようにするという実用的な面も、外国語を学ぶ意義や言語そのもののおもしろさを伝えるという面も、文化を伝える面も、いろいろあるはずだ。どの学部で教えるかによって強調する面は変わるだろうが、人によって興味を持つところは違って当然だし、いろんな接し方があること自体を示唆できたら意義深いものになるのではないかと思う。

英語は実技的な側面が強い科目なので、実技面での結果を伴わなければ意味がないと考えることもできるが、実技面を測ることを目的としすぎるとテストは最初からできる人が有利なようにも思える。また、そうそう短期的にスキルが上がるわけでもないので、もし仮にスキル向上が見られなければその学生にとって意味がないのかといえばそうとは言い切れないだろう。もちろん、実技面での効果がなくていいと言ってるのではないのだが、それ以外のことも視野に入れておもしろさや新しい付き合い方を見つけらるならそれも大事だし、それは結果的に実技面でのやる気の向上にもつながることもあるように感じる。

その点、大学の体育の授業などは、英語の授業にとっても参考になる部分あるかもしれない。自分が大学生だったころ、室内トレーニングの授業を履修したのだが(正確な科目名はちょっと違ったかもしれない)、トレーニングの考え方や種類を学んだり、毎回トレーニングをしてそれを記録することが評価の対象で、受講時の運動能力そのものは基本的に成績とは関係なかったので、高校までとはだいぶ違うなあと思ったのだった。

私の友達は、大学で舞踊が専門の先生から体育の授業を受けたことがあるそうだ。バレエの型をやったり、色々なストレッチをしたりして、身体の筋肉のしくみとか使い方を知るような授業で、自分の身体の概念を覆される授業だったとのこと。これまで何となく「知っている」と思っていたことの新しい見方を学べて、それを通して自分自身の興味に気付けたりするのも、大学の授業の役割なのかもしれない。

大学の授業は、多くの場合、これまでの常識から離れて学問することの入り口をやるのに対して、英語の場合は大学でも何かの手段として扱われがちで(言語学としての英語は別)、授業は高校までとの連続性が一番あるように思われているかもしない。それは授業担当者から見てもそうかもしれない。しかし、たとえ言語学という形ではなく、語学の英語であっても、英語との新しい出会いにしてもらえるようなことを自分は授業を通してやりたい。すぐには実践としてできなくても、そういったものを目指したいと思う。

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posted by ダイスケ at 00:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 学習・教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする