【ブログ紹介】
■大学芋はなんで「大学芋」という名前?「大学」+「芋」=「大学芋」と単純にはいえない。そう考えると、ことばには不思議がいっぱい。「大学芋」をきっかけにことばについて考えるブログです!
■はじめての方はこちらへ

2014年02月26日

東京・品川行き、間もなくの発車です

先日、後輩の大学院生といっしょに居酒屋で飲んでいたら、店員に話しかけられた。「お客様、言語にお詳しいようですが、あちらのお客様がお聞きしたいことがあるとおっしゃっていまして」とのことだった。

飲みに行っても、話題はやはり言語に関することが多い。そんな会話を聞いていた別の客が、日頃のことばに関する疑問を聞いてみたいと思ったようだ。居酒屋の常連客らしいその客がこっちのほうを向いて直接質問をしてきた。

質問の内容は、駅員が「東京・品川行き、間もなくの発車です」と言っているのを聞くが、その日本語は間違っているのではないか、ということであった。気になるのは「間もなくの発車」の部分らしい。「間もなく発車します」はいいが、「間もなくの発車(です)」はおかしく感じられる、というのだ。

今まで考えたことはなかったが、なかなかおもしろいことだなと思った。「XのY」という表現を考えた場合、典型的にはXとYの両方に名詞がくる。「太郎の息子」「花子の本」「次朗の到着」などである。しかし、「間もなくの発車」の場合、Xの位置にある「間もなく」は名詞ではない。「間もなく」は、「間もなく出発する」という言い方が可能なように動詞修飾をしていて、かつ活用しないので副詞だと考えてよいだろう。(「間もなく」はもともとは「間+も+なく」から成り立っていると思うが、ここではこれで一語扱いをする)

「わざと間違える」「やむなく中止する」(副詞+動詞)と言えても、「わざとの間違い」「やむなくの中止」(副詞+の+名詞)とはちょっと言いづらいように、「XのY」の表現においてXが副詞のパターンは不自然になるように思える。ただ、一部の副詞の場合そのような表現もある程度許容されるようだ。

(1) 突然の訪問をお許しください。(cf. 突然訪問する)
(2) ゆっくりの演奏ではつまらない。(cf. ゆっくり演奏する)
(3) なんとなくの読書では内容が頭に入らない。(cf. なんとなく読書する)

(1)-(3)は自分で考えた例文だが、みなさんにとってはいかがだろうか。自分としてはあまり違和感なく使える表現だが、人によってはややインフォーマルな印象をもったり、あるいは不自然だと感じるだろう。逆にまったく問題ないという人もいるかもしれない(個人的には特に(1)は自然な気がする)。(1)や(2)のように、動作の時間や速度に関するものについては比較的言いやすいような気がするが、どうなんだろう。今後も考えてみたいと思った。

居酒屋ではここまでちゃんとした提示はしなかったが、質問をしてきた客に次の3点は伝えた。

(a) 他にも「副詞+の+名詞」という表現はあること
(b) だから「間もなくの発車」は間違いとまでは言えないかもしれないこと
(c) 「間もなくの発車」は自分としてはそれほど違和感がないが、「間もなく発車する」に比べたらやや不自然かもしれないこと

そんな感じで、自分としては誠実に答えたつもりだったし、相手もなるほどという顔をしていたのだが、あとでその人が店員と会話するのを聞いて、複雑な気持ちになってしまった。店員が「疑問は解決されましたか」と言うと、客は「ええ。やはりちょっとおかしいと言っていました」と答えていた。たしかに、「やや不自然かもしれない」とは言ったがそれだけを言ったわけではないし、ちゃんと言ったことが伝わっていなかったかなとも思った。しかし、その客にとってはその表現が正しいか間違っているかに関心があり、しかも単に間違っているというサポートがほしいだけだったのかもしれない。だとしたら、そのような答え方になってしまうのもしょうがない。残念ではあるけど。

よく誤解されるが、言語学は言語の実態を解明するのが目的であり、テストの採点者のようにある表現が正しいか間違いかを決めるのは守備範囲ではない。だから、ちょっと気になることばづかいに対しても、ことばの乱れだと怒るのではなくて、そこにどんな仕組みがあるのだろうと身を乗り出すのが言語学者である。言語学の考え方に慣れた自分にとっては、単に正誤のみを問題にされるとさびしい気持ちになる。それが一般的なことばへの関心なのかもしれないが、正誤以外にもことばへの接し方があることを発信できたらいいなというのは、考えてみればブログを始めたきっかけでもある。そんなことを思い出したやりとりだった。

それにしても、案外他人に会話って聞かれているものなんだな。「身体部位所有者上昇構文」などの怪しい用語で盛り上がっていた人たちに、よく質問してみる気になったなと思った(笑)。
posted by ダイスケ at 21:28| Comment(10) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月21日

ブログを始めて5年、150回目の記事

今回でちょうど150回目の記事です。ブログを始めたのが2009年の1月なので、もう5年も経ちました。大学の学部生のころからやっているのですが、いまや大学院の博士課程です。その間いろいろありましたが、ブログを更新するのは変わらず続けてこれました。

ブログを始めてすぐはほとんど自分しかアクセスしていなくて、せいぜいたまに友達に見に来てもらうという感じでした。

でも、ゆるやかなペースではありましたが、ちょっとずつ検索によるアクセスが増えてきたり、直接の知り合い以外の方からコメントをいただけるようになってきました。ブログがきっかけで交流が始まった人もいたり、初対面の人に前からブログを見ていましたと言っていだけたり。大学院の入試を受けるにあたって参考にしたという方もいて、恐縮しつつもありがたく思っています。

また、この1年ぐらいでFacebookやTwitterで話題にしていただくことが増えてきました。より多くの人に読んでいただけて、うれしい限りです。

ブログを始めた時点ですでに大学で言語学の勉強を始めていましたが、ことばについて考えるのは、ずっと前から好きでした。たとえば、「ごはん」は米を表すことも食事を表すこともありますが、別のものを指すのに同じことばを使うのはなんでだろう、紛らわしくて困らないんだろうか、などと子供ながらに思っていました。また、中学生のときに、「地面を掘る」と「穴を掘る」はどちらも「?を掘る」という言い方なのに、一方は動作の対象でもう一方は動作の結果を目的語に取っていると書いてある本を見て、わくわくしました(それを英語で調べたのが卒論になりました)。そんな感じで、自分が言語学を勉強するときの根底にある興味や、大学のレポートになるほどではないけどちょっと考えてみたことを書いて、それを人と共有できたら楽しいかもなと思ったのでした。

最近の自分の記事を振り返ってみると、ことばに関する素朴な疑問や思いつきを取り上げることがやや少なくなってきたように思います。そいういうのはむしろTwitterでやっていると言えるかもしれません(@monaka_d)。ちょっとしたことを書くのは、思いついてすぐに発信できるツールの方が向いていますね。ブログでは、内容を頭の中で整理してから書くことが多いので、いつの間にかTwitterとブログで役割分担をするようになった感じでしょうか。でも、今年は改めてそういう記事も増やせるといいなと思っています。

逆に増えてきたのは、言語学の紹介に関するものです。大学院生になって、少しずつ言語学というものがわかってきたように思えたからと、学部の授業でミニレクチャーみたいなこともしてみて、案外こういうのも需要があるかもしれないと思ったのがきっかけです。主に「認知言語学キーワード紹介」「現象と文献の紹介」という形で記事を載せていますが、単に教科書的な説明をするのではなく、自分がどんなところをおもしろいと感じているのかをできるだけ盛り込むようにしています。なので、ブログの基本姿勢は変わっていないつもりです。幸い、どちらもいろんな方に見ていただけているようでよかったです。

あとは、語学に関する話題が増えました。高校の講師として英語を教えることで、自分の外国語学習を見つめ直したり、英語教育について考える機会が増えたからですね。また、身近にいる語学がよくできる人とのやりとりを通して、自分自身の語学に対する意識が変わってきたことの反映でもあります。今後もたぶん語学に関して書くことは多くなると思います。

大学院生になった今は、学会発表をしたり論文を書いたりしているわけですが、これらの研究活動はどうしても一定の手続きに従う必要があります。もちろん、だからこそできることもたくさんありますが、ブログは自分の興味を直接表現できる分、研究活動そのものよりも、自分がなぜ言語学をやるのかを再確認する機会になっているかもしれないなと思います。その意味でブログはけっこう貴重な場だなと感じますし、これからも長く続けていけたらと思います。更新頻度はあまり高くないですが、引き続き月に一回は更新していくつもりです。またみなさんとこのブログでお会いできるのを楽しみにしています。
タグ:日記
posted by ダイスケ at 21:41| Comment(0) | 日々の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする