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2013年07月31日

おれたち語、わたしたち語:若者ことばについて考える

「もっと個性的な生き方したいと思ってるから、ことばだってもっと自分の自由に使いたい。今からみんなと同じ日本語やめて「おれ語」しゃべるわ。ポポ、ンポテコポ」などと言われたら、困ってしまう。そんな人とはコミュニケーションができない。

これが意味することは何か。それは、(日本語などの)言語は個人のものではなくて、みんなに共有されているものでなければならない、ということだ。伝えたい内容は何であれ、伝える道具である言語は、少なくとも、伝えたい人自身と伝えたい相手の間では相互に理解可能である必要がある。

これは、よく考えるとおもしろいことかもしれない。個人の体験は一人一人に特有のものである。そして、他の人とは違う「おれ」や「わたし」を認めてほしいという欲求がある。誰かに自分の体験談を話して、「あぁ、そんな話を別の人からも聞いたことがあるよ」などとと言われてしまったら、がっかりするものだ。それにもかかわらず、伝えるための道具は好き勝手な物を使っていいということにはならない。「みんなの道具」を借りなければ、話を理解してもらい共感してもらうことはできないのだ。

言語のそのような性質からいって、自分特有の(他の誰にも伝わらない)「おれ語」や「わたし語」というのは存在し得ないのだが、「おれたち語」や「わたしたち語」という形でならある程度は成り立つ。その一つが「若者ことば」である。

若者ことばを「ある特定の若者のコミュニティでしか通じないないことば(づかい)」だと捉えると、それは言語のみんなが共有しているという性質の一部を犠牲にして、そのコミュニティの個性や独自性を優先させたものだと言ってよいだろう。言語はだれかに何かを伝えるためにあるのだが、伝わらない相手をあえて作り出すことによって、「おれたち」「わたしたち」の結束力は高まるのである。そう考えるほうが、若者が無知なせいでことばが乱れていると言うよりも、若者ことばが生まれる理由が理解できるように思える。方言がなくならないのはなぜか、ウェブ特有のことばづかいが生まれるのはなぜか、という問いにも同じ答え方ができそうだ。

「みんな」の一部に還元されたくない、でも一人で孤立するのは嫌、「おれたち」や「わたしたち」という形でならつながりたい、そんな欲求があるなら、「おれたち語」「わたしたち語」としての若者ことばは生まれ続けるのだろう。
posted by ダイスケ at 23:58| Comment(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする