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2012年06月30日

文法への接し方:楽譜の読み方にたとえて

外国語にとっての文法は、音楽にとっての楽譜の読み方に似ている、という記事を前に書いた。
なぜ文法を学ぶのか?

読み方を知らない人にとって、楽譜は黒い丸とか棒の暗号にすぎない。しかし、読み方がわかればたとえ聞いたことがなくてもどんな曲かわかり、その曲を弾くことができる。もちろん楽譜なんかなくても耳を頼りに曲を覚えて弾けてしまう人もいるだろうが、細部がわからなかったり、曲によってできたりできなかったりの状態になりかねない。どんな曲にも対応できるようにするには、楽譜が必要である。

外国語の場合、文法がわからなくても、何度も耳にすることで覚えて使えるようになる表現もあるし、文法的説明があまり役に立たない決まり文句というのもある。だが、複雑な内容のものを読んだり聞いたりしようとすると、表現も複雑になり、語の組み合わせ方も一筋縄ではいかなくなる。自分から伝えるときにも、ただ使い語をなんとなく並べるだけでは、ぼんやりと伝えることはできても細かい部分は伝えられないかもしれない。どんな表現でも理解できるように、あるいは自分で使えるようにするにあたって、文法というガイドがあれば便利である。

さて、楽譜にはドレミという、「何の音を出すか」を指示する部分と、音の強弱・演奏の速度のように、「どのように音を出すか」を指示する部分がある。出す音を間違えると、あきらかに曲がおかしくなってしまうが、音を間違えなければ、音の強さや速さを変えても、雰囲気は変わるが同じ曲ではあると思えるだろう。

文法にも、それに対応するようなふたつの部分があると言える。まず、「何の音を出すか」にあたるのは、「どんな出来事を伝えるのか」である。基本的な語の組み合わせ方によって、語の意味関係(主語、目的語、動詞など)が決まり、出来事が表現される。英語の文法でいうと、文型や構文として扱われる部分に相当する。たとえば、John hit Mary.は、語順によって主語や目的語が表されている。これをMary hit John.すれば、そもそも別の出来事になってしまい、意味が全く異なる。そのため、外国語の文法を学ぶにあたって、「どんな出来事を伝えるのか」の部分は、しっかりと理解しておく必要がある。

それにたいして、「どのように音を出すのか」にあたるのが、「どのように出来事を判断しているのか」である。伝えるべき出来事がいつのことなのか、どれくらいの可能性で起こるのか、といった部分で、英語の文法なら時制や助動詞などで扱われる。これは、「どんな出来事を伝えるか」に比べると、わかりにくい部分である。John will hit Mary.とJohn may hit Mary.は、まったく別の意味というよりも、同じ「ジョンがメアリーを殴る」という出来事に対しての判断の仕方が違いが表されているわけで、どちらか一方のみが正しいとは言いにくくなる。文法を学んでもモヤモヤした部分が残るが、少しずつ慣れていくしかないだろう。

このように、文法を二つに分けたからといって、特別外国語学習がはかどるというわけではないが、心理的には少し楽になるかもしれない。「どんな出来事を伝えるのか」の部分はあいまいにせず、間違えたら文法書や辞書でしっかりチェックする必要があるが、「どのように出来事を判断しているのか」は、理解するのに時間がかかってもしょうがない、と思うことでわからない部分があっても落ち込みすぎるのを避けることができる。どんな状況でどんな表現が適切かその都度考え、できるだけ意識的になって、ちょっとずつわかっていけばいい、と前向きに取り組むことができる。

語学は、一朝一夕には身につかない。だとしたら、できるだけ続けて学習できるような気持ちにすることが必要だ。文法を学ぶ意義、文法への接し方を自分なりに納得しておくことは、きっと語学のやる気を維持する上で大事なことだと思う。

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posted by ダイスケ at 20:44| Comment(0) | 学習・教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月18日

教育実習を思い出して

最近、「教育実習」を検索キーワードに訪れる方が増えていて、教育実習が行われる季節なのだなあと思う。ぼく自身も、3年前の6月に入ってすぐのタイミングで教育実習をやったのだった。

講師として戻ってみると、卒業生が近況報告をしに職員室を訪れる姿をよく見かける。自分もそううだったのだけど、そうやって、何かあったときに帰れる場所であるっていうのは、いい学校の証拠なのではないかなと思う。先日も教育実習をやったときの生徒が遊びに来ていて、少し話をした。その生徒は自分がホームルームでは担当せずに授業だけでの関わりだったのに、いろいろ自分のことを覚えてくれていた。教育実習の3週間だけの関わりとはいえ、成長した姿を見ることができてうれしかった。

また、実習のときに配布したプリントを未だに捨てずにもっている人もいたりして、当時精一杯やったことは何らかの形で彼らに伝えることができたのだなと思い、この仕事のやりがいを感じた。

実習のときの生徒に比べると、今担当している生徒たちはちょっとおとなしいところがあるんだけど(教頭先生が学校で一番おとなしいクラスなのではと言っていた)、自分次第でもっと盛り上げたり主体的に参加できるような雰囲気づくりもできるのだろうなと思う。今後の人生、どうなっていくか未知な部分が多いけど、ここでがんばったことはきっといろんな形で生かせるのだろう。

明日の授業準備もがんばります。
posted by ダイスケ at 22:25| Comment(0) | 日々の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月08日

なぜ文法を学ぶのか?

今は高校で英語を教えているわけだが、その中でもとりわけ英文法を教えることを担当している。人によってはなぜ文法を学ぶことが必要なのか、という疑問をもっている人もいるだろう。「文法を学んでも英語ができるようにならない」などと文法(または文法を教えること)に対して否定的な意見を聞くこともあるが、授業の先生方はどのように考えているのだろうか。

受験で文法の問題が出題される、学校で教えることに決まっている、などの理由も皆無ではないだろうが、教えるからにはもっと積極的な意義を見出しているだろうし、文法を学ぶことの効果を感じていることだろう。今回は、自分なりに文法を学ぶ意義について考えてみたい。

話のイメージが湧くように、英語の学習を音楽になぞらえてみようと思う。

音楽が上達するかどうかの分かれ目のひとつは、楽譜が読めるかどうかにあるだろう。初期の段階では、とりあえず聞こえた通りの音を出してみるだけでおもしろいし、指導者がついていてくれれば楽譜が読めなくても反復練習をするだけで体が自然と覚え、一曲弾けてしまうこともある。

しかし、曲が難しくて耳で聴くだけでは細かい部分がわからないときや一気に覚えられないときもある。その場合、指導を受けることができなかったら、曲によって弾けたり弾けなかったりといった状況になってしまうだろう。何十回、何百回と聴いていればわかるのかもしれないが、耳だけで何とかしようとするのは無謀だろう。たとえ曲が難しくても、指導を受けることができなくても弾けるようにするための手段が、楽譜である。あの複数の線の中にある丸や棒、各種の記号を自力で読むことができれば、どんな音を出せばよいかわかる。技術不足でうまく弾けないことをひとまず考えなければ、楽譜が読めれば、基本的にはどのような曲でも弾けるようになる(どのような音楽なのかがわかり、練習するための準備ができるようになる)はずだ。

これと同じことが、英語学習にも当てはまる。中学生の初期の段階で扱うようなものであれば、単語の意味の足し算でだいたい文全体の意味もわかるし、あいさつの表現などは丸暗記でもよいだろう。しかし、高校ぐらいになってくると、知らない単語がなくても文全体の意味がわからないような複雑な文が出てくる。たまたま教科書で習ったのと同じような表現だったら理解できるけど、ちょっと変わるとわかならくなってしまう場合もあるだろう。「慣れ」だけに頼って自然とその中からパターンを導き出すこともできなくはないだろうが、時間がかかるし、効率が悪すぎる。複雑な文でも、長くなった文でもわかるようにするために文法を学ぶ必要がある。文法は、初めて見る、あるいは聞く英語をしっかりと理解するための大切な手段なのだ。

ただし、慣れだけでは効率が悪いと言ったが、それは慣れが必要ないと言っているわけではない。楽譜が読めてもしっかり練習しなければ楽器がうまくならないように、いくら文法が身についてきても、自分で英語が使えるようにするためには、反復練習が必要だ。一度聞いてわかった教材でも、繰り返し聞いたり音読したりしなければ、自分のものとはならない。ただ、スムーズに反復練習に移るためにも、頭で考える部分(文法)があるとよいと思う。

楽譜の読み方だけ勉強していても実感がわかないし、早く曲を弾いてみたくなる。同じように、英語でも文法に特化して短い例文しか見ていないような状態だと、何のための勉強かわからなくなるかもしれない。実際にある程度の長さをもった文章の中で、どのような使われ方をしているのか納得する機会をもつのが有効だ。こうしたバランスに気をつければ、文法の学習は大いに効果を発揮するだろう。

学校で英語の文法を教えるにあたって、たとえ生徒に直接聞かれなかったとしても、なぜ文法を学ぶのかという問いには答えられなければとならないと思って、ちょっと考えてみたのでした。

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posted by ダイスケ at 01:14| Comment(0) | 学習・教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする