【ブログ紹介】
■大学芋はなんで「大学芋」という名前?「大学」+「芋」=「大学芋」と単純にはいえない。そう考えると、ことばには不思議がいっぱい。「大学芋」をきっかけにことばについて考えるブログです!
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2012年05月06日

初心に戻って

このブログを始めたのが2009年の1月なので、もう3年とちょっと続けていることになります。細部の変更はあっても、基本的な部分は変わらずに続けてこれたのだなと思います。継続して見に来て下さる方もいて、本当にありがとうございます。

ブログへのアクセスも少しずつ増えてきて、もう一度ブログの出発点となる記事を書いてみたいなと思っていました。そう思いつつ1年ぐらい経ってしまいましたが、ようやく「「大学芋」からことばの不思議へ」として書き直すことができました。内容は前と同じなのですが、前よりもうまくこのブログが目指しているものを紹介できたかと思います。

そして、このブログに初めて訪れる方にも読んでいただけるよう、レイアウトをちょっと変更して【ブログ紹介】というのをつけてみました。スマートフォンで見る場合にも反映されるようにしています。近いうちに、過去記事で検索されることが多いものと反響があったもののまとめもつくろうかと思っています。
ラベル:日記
posted by ダイスケ at 03:42| Comment(0) | 日々の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「大学芋」からことばの不思議へ

ことばはコミュニケーションや思考の道具である、とよく言われる。私たちが道具について抱く関心の多くは、それをどう効果的に使うかであって、そのしくみについてはあまり気にしない。パソコンだったら、その使い方は調べても、その中がどうなっているかは考えないように、ことばについて関心をもつのは、うまく人に気持ちを伝えたり、自分の考えを論理的に展開させるなどの使い方についてであることが多い。

しかし、ふとした瞬間に、ことばそのものの存在が大きくなることがある。たとえば、大学芋はなぜ「大学芋」という名前なのだろう?サツマイモを油で揚げて甘いたれをかけたこの食べ物は、「大学芋」という名前とはかけ離れているように感じる。

ウェブ上で検索すれば、その名前の由来として、大学生が好んで食べたとか、大学生が作って売った説などが紹介されているのが見つかる。それらの説が正しいとすれば、現在は大学生との特別なつながりがなくなってわかりにくくなっただけで、名前に「大学」が含まれる理由があったということになる。

これで問題は解決したようにも思えるが、一方でさらなる疑問も生まれる。大学生が作る芋料理なら何でも「大学芋」と呼べるわけではないし、「芋」といってもジャガイモやサトイモではなく、サツマイモでなければならない。つまり、形の上では「大学」+「芋」なのに、その意味は、たとえ名前の由来がわかったとしても、単にその二つのことばの足し算では説明しきれない。

たまたま「大学芋」が極端なケースなだけだという印象をもつかもしれない。しかし、そういう例は案外たくさんある。

たとえば、「時計」がつくことばを考えてみよう。
「目覚まし時計」は「目を覚ます」ための「時計」。
「砂時計」は「砂」によって時間を計る「時計」。
「鳩時計」は「鳩」が小窓から出てくる「時計」。
どれをとっても、単純に二つのことばの組み合わせ以上の意味をもっている。一体どうして私たちは何の困難もなくそれらを使い分けることができているのだろうか。

私たちは、パソコンのしくみについてはよく知らないという自覚があるが、ことばについては、あまりに生活に身近な存在のせいか、なんとなくわかっているような気がしている。しかし、実際には、ことばは不思議でいっぱいである。当たり前だと思っていたものが当たり前ではないと気づくのはスリリングで、そこにどんなしくみがあるのか考えをめぐらすのはとても楽しい。このブログでは、ことばの不思議に気づく「大学芋」のような瞬間を大切に、ことばについて考えるおもしろさを紹介していきたいなと思います。
ラベル:日本語
posted by ダイスケ at 01:17| Comment(2) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月01日

教育実習生としての授業と講師としての授業

高校で英語を教えて3週間。教育実習のときと同じ期間やったことになる。

教育実習における授業と講師としての授業は、いろいろと異なる。お金をもらい、生徒を指導する責任ある立場なのだから違って当たり前なのだが、教育実習のときと同じく母校で教える上にそのときと同じ学年の授業をもつことになったこと、実習中の授業でもある程度は手応えを感じていたこともあって、当時の経験の延長線上に位置づたい気持ちもあったと思う。でも、授業を始めて1週間ぐらいで、教育実習のときとは違うものだと自覚するようになった。

違うことのひとつは、生徒との距離感である。実習では、先輩にあたる大学生がやってきたということで、生徒も珍しさや親近感を感じていろいろ話しかけてきたし、授業中も大学生がなんとかがんばっているのを見守るかのような雰囲気もあったように思う。しかし、今の自分はたくさんいる先生のうちの一人でしかないし、生徒も特別なお兄さんではなく、先生として接してくる。担当している授業が少ないこともあって、自分にとって生徒たちの存在が大きく感じられてしまうけど、生徒たちの生活にとっては一部でしかないというギャップは、特に最初のうちは感じたし、今も気をつけるようにはしている。もちろん、他の先生より若い分話しかけやすいといった側面はあるだろうが、実習のときとはまったく別の存在として見られているなと感じる。

教育実習ではホームルームの時間でも生徒と接することができたが、今は授業中にしか生徒と接しないので、授業以外の姿を見ることができないというのも違う。実習のときに、英語の授業ではおとなしいけど、普段はおしゃべりな生徒などがいたので、授業では見せない側面も本当はもっと知りたい。生徒の部活や好きな音楽などは把握したので、ちょっとずつ授業に生かしていこうとは思っている。

授業のやり方は、まだまだ模索している部分が多いけど、ちょっとずつよくなってきているかなあ。ただ、実習のときよりも英語そのものについては多少詳しくなったので、それは生かせていると思う。

ちなみに、教育実習のときも感じたけれど、職員室で他の先生方と一緒に働くようになって、生徒のときとは別の側面から自分の母校の魅力を見つけることができるようになった。生徒のときには気づかなかった先生方のよいところを見ることができるのは、講師として戻ってきた人の特権なのではないかと思う。
posted by ダイスケ at 02:44| Comment(0) | 学習・教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする