【ブログ紹介】
■大学芋はなんで「大学芋」という名前?「大学」+「芋」=「大学芋」と単純にはいえない。そう考えると、ことばには不思議がいっぱい。「大学芋」をきっかけにことばについて考えるブログです!
■はじめての方はこちらへ

2011年05月31日

素人のように考え、玄人として実行する/金出武雄

 実際、専門家というのは、「こういう時にはこうすればうまくいくはずだ」「こういうときにはそうしてはならない」というパターンを習得した人である。その分野を知っているだけに発想を生む視野が狭くなってしまう。
 もともと発想は「こうあって欲しい」「こんな具合になっているのではないか」という希望や想像から生まれる。希望や想像は知らなくてもできる。とらわれがないとかえって斬新な発想を生み出す可能性がある。「できるのだ」という積極的態度につながる。
 しかし、発想を実行に移すのは知識が要る、習熟された技(わざ)が要る。考えが良くても、下手に作ったものはうまく動かない。やはり、餅は餅屋なのだ。(p. 8)

金出武雄. 2004. 『素人のように考え、玄人として実行する』 PHP文庫.

去年も今年も、大学院の授業だけでなく学部の授業にも顔を出している。学部の授業には、大学院の授業とは別のおもしろさがある。大学院生なら疑問を持たないようなことを質問したり、実際に調査できるかを脇に置いて、自分のアイデアを言ったりする学生がいるからだ。

そんな学生を見て思い出すのが、上記に引用した金出武雄氏の『素人のように考え、玄人として実行する』だ。

なまじ知識があると、既成の理論や枠組みに従いすぎてしまい、その考え方を疑ったり、それが当てはまらないものに対してきちんと考えなかったりするのかもしれない。後輩の先入観がないがゆえの斬新な質問や意見に、自分もそうした素朴な疑問を抱くことから言語学の勉強を始めたのだという思いを強くした。

自分の場合まだ玄人とは言えないまでも、何らかの疑問を思いついたときにそれを回答可能な問いに加工したり、関連のある研究を見つけたり、実際に調査して論を展開していく力が、少しはついてきた。そのような力は引き続き伸ばしていくとして、もっともっと素人発想を取り入れていきたい。そのためのチャンスは、自分の気持ち次第でどこにでもあるのかもしれない。学部の授業での後輩との交流や他分野の人との議論はもちろん、バイト先の塾の生徒の質問に答えたり家族との会話も、なんでも学びの場にできるんだなと思う。

素人のように考え、玄人として実行する―問題解決のメタ技術 (PHP文庫) [文庫] / 金出 武雄 (著); PHP研究所 (刊)
素人のように考え、玄人として実行する―問題解決のメタ技術 (PHP文庫) [文庫] / 金出武雄






posted by ダイスケ at 23:59| Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月21日

ことばを味わう

テレビ朝日「お願いランキング」という番組に「ちょい足しクッキング」というのがある。コンビニなどに売っている定番商品に意外な食材や調味料をちょっと加えてみると不思議とおいしい、というのを紹介するコーナーだ(本も出ている)。

「ちょい足し」がおもしろいのは、たまご+しょうゆのような当たり前の組み合わせではなく、「サッポロ一番しょうゆ味」+牛乳や「日清どん兵衛きつねうどん」+刺身など、一見ミスマッチのものが想像と違っておいしいというところにある。単なるふたつの味の組み合わせからは予測ができないような味が生まれるのだ。

ふたつの組み合わせが予測できないものになるという点では、言語にも同じような側面がある。次の(1)から(3)が指しているものは、いずれも「X焼き」という形を共有していながら異なる種類のものである。

(1)たまご焼き
(2)たい焼き
(3)たこ焼き

(1)はそのものずばり「たまご」を焼いたものだ。一方で、(2)は「たい」の形に似せて焼いたもので、実際に焼いているのは「たい」ではない。そうかと思うと、(3)では焼いているのは「たこ」というよりも「たこ」を中心とした材料である。「X焼き」の意味は「Xを焼いたもの」とは言い切れず、それが実際のところ何を指すか完全には予測できない。

さて、先ほど「ちょい足し」がおもしろいのは、味の予測ができない意外な組み合わせが紹介されるからだと書いた。では、たまご+しょうゆのような当たり前の組み合わせの場合、私たちは味が予測できているといえるのだろうか?たとえば、たまごにほんの数滴しょうゆを入れすぎただけで、私たちの舌の反応は「数滴分しょっぱくなった」ではなく、「しょっぱすぎて食べられない」となる。しょうゆの適量と入れすぎとの違いは、数値で表せば連続的なのに、味でいえば連続的とは言い切れない一面がある。

同じように、一番素直な組み合わせに思えた「X焼き」の例である「たまご焼き」も、そう単純ではない。たまごを焼けば何でも「たまご焼き」になるわけではなく、私たちはある特定の焼き方をしたものだけを「たまご焼き」と呼ぶ。そのため、たまごを焼いたが「たまご焼き」ではない(スクランブル・エッグなど)ということもありえる。「たまご焼き」も単なる足し算では捉え切れない意味を有しているわけだ。

そう考えると、なんだか料理とことばはとても似ているような気がしてくる。「意味」という語に「味」が含まれていることから、それは突飛な考えでもないのかもしれない。だったら、ことばを味わうということがあってもいい。これからも、自分がことばを味わうのはもちろん、このブログを読んでいる方々にそのおいしさを伝えていけたらいいなあと思う。
ラベル:日本語 複合語
posted by ダイスケ at 02:41| Comment(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする