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2011年04月14日

英語学・英文学の新しい交流を目指して3:実践者のことば

前回、前々回の記事:
英語学・英文学の新しい交流を目指して:『英語青年』をきっかけに
英語学・英文学の新しい交流を目指して2:尊重、そして対話

英語学と英文学は、たまたま隣にいる他人ではなく、よきパートナーである。大学院で勉強するうちに、そう思うようになっていった。その過程で読んだ文献を、一部引用しながら以下に紹介したい。こうした実践者がいるということは、自分にとって大いに励みになった。

 しかし、生成文法に活力を取り戻す重要な手段が、英語学の中の関連領域にまで資料の射程を広げて行くことであったと同様に、今そのあり方が問われている(とそこにいる人たちの多くが感じている)英文科というものに活力を与えるのも、その鵺(ぬえ)的な性格を逆手にとって英米文学、英語学を総合すること、すなわち英文科ではかつてずっとやってきたことに立ち戻ることであるかもしれない。(p. 24)
外池滋生. 2001. 「英文科、英語学、生成文法」『英語青年』 4月号.


 [...] 認知言語学のアプローチは、人間の知のメカニズムを総合的に探究していく認知科学の視点に立った新しいことばの科学のアプローチとして、文学部、文学研究科に代表される伝統的な英語学と英米文学の研究・教育への橋渡しをしていく可能性を期待できる。(p. 28)
山梨正明. 2001. 「言語科学と関連領域の境界性」 『英語青年』 4月号.


 If English studies are to survive and, desirably, prosper in the twenty-first century, there is a need for the discipline to explore the possibility of functioning as one organic whole, while retaining the academic eminence of each discipline. [...] The key concept for restructuring English studies in Japan is [...] English in its entirety, with its own history, grammatical structures, cultural backgrounds, literary implications, and all the properties that English can possibly carry as a language. (p. 37)
Saito, Yoshifumi. 2004. "English studies in Japan at the crossroads" 『英語青年』 10月号.


 [...] より重要な洞察は、日常的なメタファーも詩的メタファーも、かなりの部分においては共通した「素材」によって成り立っており、それゆえ文学研究の成果はヒトの認知をより高い精度で理解するために役立つという点にある。[...] 文学テクストと日常の言語使用の間を地続きと見るなら、前者によって鍛錬された方法は後者にも適用可能なはずである。 (p. 5)
大堀壽夫. 2005. 「ナラトロジーと認知研究:応用科学としての文学」 『英語青年』 12月号.


 このことは、コーパス言語学のすぐれた学際性を含意する。言語研究、とくに英語研究の世界では、かつてはゆるやかに統合されていた英文学、英語学、英語教育学の間の垣根が高まり、英語そのものを幅広い視野で見ることが次第に難しくなってきている。こうした状況の中で、コーパスは細分化した言語研究の諸領域をふたたび糾合し、新しいダイナミックな研究の展開を支える可能性を持つ。 (p. iii)
石川慎一郎. 2008. 『英語コーパスと言語教育』 大修館書店.


 しかしながら、言語を媒体とする以上、文学はあくまで一つの言語構造体である。そういう意味でいえば、言語の一つの可能性を実現したものと考えることができる。言語的な研究によって解明できない部分も多いかもしれないが、解明できる部分もまた少なくないはずである。 (p. iv)
斎藤兆史. 2009. 「序」 斎藤兆史(編). 『言語と文学』 朝倉書店.

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2011年04月10日

英語学・英文学の新しい交流を目指して2:尊重、そして対話

前回の記事:
英語学・英文学の新しい交流を目指して:『英語青年』をきっかけに

前回は、『英語青年』という雑誌の休刊という話題をもとに、英語学と英文学の専門分化と新しい相互交流の可能性について書いた。

新しい協力関係を模索する上でのヒントは、『英語青年』の中にも見出すことができる。『英語青年』は「英語」の総合雑誌であることを反映した、英語学と英文学の接点となるような特集や英文科そのものを考える特集が組まれることがたびたびあった。たとえば、今世紀に組まれた特集だけでも、以下のようなものがある(英語学寄りではあるが)。

2001年4月号「特集:英語学のこれから」
2003年7月号「特集:英文読解と英語学」
2005年12月号「特集:認知とレトリック」

これらを読むと、ただ「英語だから」という理由だけで英語学と英文学が結びつくのは難しいにしても、新しい形の統合や学際的視点を追求していた方々がいることがわかる。紙媒体が休刊となり『Web英語青年』に移行した現在は特集が組まれなくなったので、もう新しい特集を目にすることはできないかもしれないが、上記のような特集から学ぶことは多いように思う。

また、文体論は、まさに言語学と文学研究を再び結びつけるために発展してきた学問である。言語学そのものでも文学研究そのものでもない間分野的な(interdisciplinary)学問のため、英語学の講義でも英文学の講義でも取り上げられる機会が少ないのかもしれないが、そのような実践をしている方もいるということだ。

文体論の論文も読んでいきたいし、学際的な研究の可能性は追求していきたいが、とりあえずは、すぐにそのようなことをしようとは思っていない。自分にもっとも相性が良いのは言語学だと思うし、それが自分にとってのホームのような気がするからだ。そのため、はじめに目指す協力関係は、言語学と文学を融合させた研究をするというよりは、この100年の間に両者が専門性を高め、発展させてきたことによる成果を尊重し、それを語り合うことにある。自分の分野の専門用語や問題意識が通じない相手との対話は大変なこともあるが、そうした交流の中で、両者は自分たちの専門が暗黙のうちに前提としてきた価値観に気づいたり、研究の範囲を絞るうちに抜け落ちてしまった視点を取り返すことができるのだと思う。それは、すぐに自分の研究に生かすことができなくても、10年後、20年後の自分に大きな力を与えてくれると信じている。

関連記事:
英語学・英文学の新しい交流を目指して3:実践者のことば
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2011年04月08日

英語学・英文学の新しい交流を目指して:『英語青年』をきっかけに

今回は、『英語青年』という雑誌をきっかけに、英語をめぐる諸学問の関係について考えてみたい。

『英語青年』とは、英語学、英文学、英語教育などの話題を扱った英語に関する総合雑誌である。1898年創刊、2009年休刊。現在はウェブに移行し、『Web英語青年』として残っている。

100年以上続いた『英語青年』の休刊に対する反響は大きく、朝日新聞の朝刊にも取り上げられた。休刊については、学生のころ『英語青年』を読んでいたという方々からの休刊を惜しむ声や出版業界の不況、あるいは学術誌の電子化といった話題が取り上げられることが多かったように思うが、ここで少し別の側面に注目したい。

そもそも休刊するほどに販売部数が落ち込んでいたのはなぜだろうか。その理由のひとつは、英語学、英文学の専門分化にあると思う。

かつて、それら研究分野は「英語」の名のもとにゆるやかにつながっていたが、だいぶ前からそのつながりを実感するのは難しい状況になっていたように感じる。いわゆる英文科と呼ばれるころでは、英語に関わる言語学と文学を学ぶことになっているが、その関心やアプローチはかなりの程度に異なる。実際に両者の教授が研究上の交流をしていることも少ないような印象を受ける。ある時期までは、英語の語法的・文法的研究は文学作品を読む上でも重要であるという認識があったようだが、言語学の独立がはっきりして、文法のメカニズムを探求したり、言語の普遍性の解明を射程に入れるにつれて、言語学と文学の距離は離れていった。

今、英文科は英語をめぐって言語学と文学を学ぶと簡単に説明したが、実は英語学、英文学というのもそれぞれ一枚岩ではない。英語学では、現代英語と英語の歴史を対象とするのでは、扱うべきものが異なるし、現代英語の諸現象を説明するための文法理論も様々である。英文学にしても、数々の批評理論と中世における写本の研究では方法論が違うし、イギリス文学研究とアメリカ文学研究の雰囲気もだいぶ違う。

見方によっては、それぞれの分野が互いに依存しなくてもいいような独立した地位を獲得したともいえるのかもしれない。日本英文学会、日本英語学会といった全国規模の学会がある一方で、最近は分野ごとの個別の学会が設立されている。英文科でも必修の枠が減り、選択科目の英語史を受講することなく英文学や英語学の道に進むことも可能な大学だってあるし、そもそも英文科という看板自体が以前よりも少なくなってしまった。

このような状況からもわかるように、「英語」という共通項だけではそれぞれの領域をつなぎとめることができなっていたのだと思う。『英語青年』の休刊は、その象徴ではないだろうか。英語学の記事だけでも、必ずしもすべての英語学者に共有できるものではないのに、英語学も英文学もすべての記事に目を通すという人がもはやいなくなっていたとしても不思議ではない。昔に比べて、「英語」の総合雑誌を必要とする人が少なくなってしまったのだろう。

しかし、それは英語をめぐる諸学問が相互に交流できないことを意味するわけではない。むしろ、お互いに協力できることをもっと知るべきだと思う。たとえば、文学研究にとって、言語学で明らかにされる言語の一般的な仕組みは、あるテクストの特異性やテクスト間の比較をする上での指標となるだろう。言語学にとって、文学研究の対象となるテクストは、これまでに議論されてきた言語現象(構文など)がどのような形態として実現されているか、あるいは言語の創造性が生まれる可能性を知る上でも得るものが大きいはずだ。

そのような可能性が追求されているとは必ずしも言い切れない状況は、お互いがお互いのことをあまりにも知らない(知る機会が少ない)ことからくるのだろう。知らなければ、お互いが協力できるという発想も生まれない。英語学と英文学がどのような形で影響し合うにせよ、互いの関心・アプローチの違いを知ること、そして、それぞれ自分の専門分野にしか通じない方法ではなくて、互いに分かりあえることばで自分たちの研究成果を語り合うことが必要だ。それは英語を扱う諸学問の新しい協力関係を模索するための出発点となるだろう。

関連記事:
『英語青年』と『web英語青年』
言語学と文学の関係を考えるにあたって
英語学・英文学の新しい交流を目指して2:尊重、そして対話
英語学・英文学の新しい交流を目指して3:実践者のことば
posted by ダイスケ at 14:35| Comment(0) | 日々の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月06日

Verbs and Times その3

Vendlerの論文"Verbs and Times"の紹介も3回目。今回はthinkとknowの用法を説明している部分。おそらく学校では、knowの意味は、「知る」ではなく「知っている」と習うと思うけれど、Now, I know it!という言い方もあると知って、新鮮だった。

論文中では、他にseeの用法や、これまでに示した分類方法と助動詞canの関係なども扱われているが、とりあえず論文紹介はこれで一区切りつけることに。

最後になったが、著者の紹介を。Zeno Vendlerは、1921年ハンガリーに生まれる。ハーヴァード大学で哲学を学び、のちにカルガリー大学(カナダ)の哲学の教授となり活躍する。同大学退職後もいくつかの大学で教えていたが、2004年にこの世を去る。享年83歳。言語学では広く知られた古典的な論文の著者だが、意外と最近まで生きていたと知ってちょっと驚いた。

*****

Suppose someone is trying to solve a problem in mathematics. Suddenly he cries out "Now I know it!" [...] Now I know it! indicates that he did not know it before. (p.112)

Thinkの用法(pp. 109-111)
ここまでに見たように、多くのactivity(活動)とaccomplishment(達成)、achievement(到達)は派生的なstate(状態)の意味がある。今度はthinkを見てみよう。

Thinkには二つの基本的な意味がある。He is thinking about Jones. とHe thinks that Jones is a rascal. では、thinkの機能が異なる。前者はactivity(活動)であり、後者はstate(状態)である。後者の文は寝ている人物について言ったとしても正しいが、前者の文ではそれは当てはまらない。He was thinking about Jones for half an hour. では、その期間のすべての部分において〈thinking about Jones ジョーンズについて考えてい〉たといえる。しかし、He thought that Jones was a rascal for a year. では、必ずしもその時間のどの瞬間でも〈thinking about Jones, a rascal いたずら好きのジョーンズについて考えてい〉たとはいえない。

Think thatとthink aboutの関係は、habit(習慣)の意味のsmokeとactivity(活動)の意味のsmokeの関係と同じではない。Think thatは様々な種類の活動に基づいている点で、どちらかといえばruleに似ている。つまり、generic state(一般的状態)である。一方、thinkerの状態はspecific state(特定的状態)である。Thinkerは〈thinking about ponderous matters 重々しいことを考えること〉にたびたびたずさわっている人のことである。
(以下の図は、本文をもとに自分で作成)
Verbs_and_times_3.jpg

Knowの用法(pp. 111-112)
Believe thatは容易にgeneric state(一般的状態)だとわかる。同じようにknow thatもgeneric state(一般的状態)である。だが、And then suddenly I knew it! やNow I know it! の場合はどうだろうか。これはachievement(到達)のように思える。たしかに、この洞察的な意味のknowはachievement(到達)のカテゴリーに入るだろう。しかし、knowにachievement(到達)とstate(状態)の意味があるのは、それはcatch a dogにachievement(到達)とstate(状態、dogcatcherにおけるspecific state特定的状態)の意味があるのとは関係ない。それはむしろget married(achievement到達)とbe married(generic state一般的状態)の関係に近い。

ある人が数学の問題を解いていたとする。突然、その人がNow, I know it!と叫ぶ。その十分後にその人はその解法を私に教えてくれた。もちろんHe still knows it.であり、それは彼が解法を説明するのにひらめきが必要でないことを意味する。He knows it.(state状態の意味で)である限り、論理的にはHe will know it.(achievement到達の意味で)は起こりえない。つまり、achievement(到達)のknowはstate(状態)のknowの始まりを意味している。このことと、〈start running走り始める(achievement到達)〉が〈run走ること(activity活動)〉の開始であることとは区別しなければならない。なお、understandについても同様のことがいえる。
(以下の図は、本文をもとに自分で作成)
Verbs_and_times_4.jpg


関連記事:
Verbs and Times その1
Verbs and Times その2
posted by ダイスケ at 04:39| Comment(2) | 言語学の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月03日

Verbs and Times その2

前回に引き続き、Vendlerの"Verbs and Times"という論文の紹介。

前回にも少し言及したが、高校では英語の授業で「動作動詞」と「状態動詞」というのが紹介されることがある。前者が進行形になる動詞、後者が進行形にならない動詞だ。だが、この両者は必ずしもはっきりと区別できないのではないかと、授業で習ったときに思った。たとえば、playは動作動詞、beは状態動詞だと分類できるが、その一方でHe plays tennis well. をHe is a good tennis player. と書き換える問題を思い出し、なぜ動作動詞と状態動詞をつかった文が書き換え関係にあるのかと不思議に感じた記憶がある(当時は疑問をそこまで明確な形で表現できなかったけど)。

Vendlerは、そうした用法を「習慣」という用語を用いて説明している。高校のときの疑問に対する手掛かりを得てわくわくしながら読んだ個所です。

*****

Habits (in a broader sense including occupations, dispositions, abilities, and so forth) are also states in our sense. Compare Are you smoking? and Do you smoke? (p. 108)


分類の精密化(pp. 103-107)
It took him three hours to reach the summit. やHe found it in five minutes. を見るとachievement(到達)とaccomplishment(達成)を混同してしまうかもしれない。しかし、少し考えれば誤解が明らかになる。It took me an hour to write a letter.(これはaccomplishment(達成))は、その時間の間〈writing of a letter手紙を書く行為〉が続いていたことを意味する。しかし、It took three hours to reach the summit.(これはachievement(到達))は、その時間の間〈reaching of the summit頂上に着く行為〉が続いていたことを意味しない。意味するのはIt took three hours of climbing to reach the top.である。〈I write a letter in an hour. 1時間で手紙を書く〉のであれば、その間のどの時間でも〈I am writing a letter. 手紙を書いている〉といえる。しかし、〈It takes three hours to reach the top.頂上に着くのに3時間かかる〉のであれば、その間のどの時点でも〈I am reaching the top. (無理やり日本語にすると)頂上に着いている〉とはいえない。

時間スキーマを別の観点から見てみよう。Activity(活動)はひとつに限定されていない時間が必要である。これに対して、accomplishment(達成)はひとつの限定された時間を含意する。achievement(到達)はひとつの限定された瞬間を必要とし、state(状態)はひとつに限定されていない瞬間を含んでいる。

主な用法(pp. 107-108)
これまで概念的な道具をつくり洗練させてきたので、実際にそれがどのように使えるかを示してみることにする。非常に多くの動詞は完全に、あるいは少なくとも主要な用法については今まで見てきたうちのひとつのカテゴリーに入る。以下はその例である。

■activity(活動)
run, walk, push or pull something
■accomplishment(達成)
paint a picture, make a chair, write or read a novel
■achievement(到達)
recognize, realize, lose or find an object, reach the summit
■state(状態)
have something, like somebody, know or believe things


習慣を表す用法(pp. 108-109)
Habit(習慣、広い意味で、保有、位置、能力などを含む)は、ここでの意味にしたがえばstate(状態)である。Are you smoking? とDo you smoke? を比較してみよう。前者はactivity(活動)について尋ねているのに対して、後者はstate(状態)についてである。このちがいがわかれば、なぜ、a worker for the General Electric Company.〈General Electric Companyに勤める人〉がビーチで肌を焼いているときでもHe works for General Electric. といえるのかがわかる。

習慣の意味をもつのはactivity(活動)だけではない。Writer は〈write a book本を書く(accomplishment達成)〉人であり、dogcatcherは〈catch a dog 犬を捕まえる(achievement到達)〉人である。

ここで、cabdriverとrulerについて考えてみよう。Cabdriverは実際に〈drive a cabタクシーを運転する〉ことがあるが、rulerは実際には〈rule a country国を統治し〉てはいない。つまり、〈drive a cabタクシーを運転する〉のに相当するような特定の行動としての〈rule a country国の統治〉をしてはいない。〈Drive a cabタクシーの運転〉はひとつの行動といえるが、rulerが行うはずの行動はたくさんありさまざまなものである。Smoker、painter、dogcatcherの状態をspecific state(特定的状態)と呼び、ruler、servant、educatorの状態をgeneric state(一般的状態)と呼ぶことにする。
(以下の図は、本文をもとに自分で作成)
Verbs_and_times_2.jpg


関連記事:
Verbs and Times その1
Verbs and Times その3
posted by ダイスケ at 00:22| Comment(6) | 言語学の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月02日

Verbs and Times その1

今回は、以前サークルの読書会で使った文献の紹介。読んだのは以下の文献。
Vendler, Zeno. 1967. Linguistics in Philosophy. Cornell University Press.
これの第4章“Verbs and Times”を扱った。

本論文は、動詞が示す時間関係から動詞を4つに分類している。ここで重要なのは、動詞の分類基準が動詞そのものに備わっているわけではなく、その使用法にあるところだ。したがって、同じrunという動詞でも目的語の有無などによって分類され方が異なる。高校で「動作動詞」「状態動詞」という用語を習ったことのある人は、それをもっと踏み込んで考えたものだと思ってもらえればイメージはつかめると思う。なお、レジュメにまとめるにあたっては、内容を網羅するというよりは特に興味があることを中心に取捨選択をしたことをお断りしておきます。

*****

There are a few such schemata of very wide application. Once they have been discovered in some typical examples, they may be used as models of comparison in exploring and clarifying the behavior of any verb whatever. (p. 98)


動詞と時間(pp.97-98)
動詞には時制がある。これは、時間概念を考えることは動詞の使用法にも関わることを示している。時間の考察は過去、現在、未来といった明らかな区別に限ったことではない。時間の概念には、もっとつかみがたい別の依存関係がある。動詞には時間スキーマ(time schema)があり、それに注目することで、これまで不明瞭だったことが明らかになる。ここでは、時間スキーマという用語の使用を記述する方法を提案してみたい。

進行形による分類(pp.98-100)
まず必要なのは、英語の動詞が含意するもっとも一般的な時間スキーマを位置づけ、記述することである。はじめに、進行形になる動詞とならない動詞のちがいから手をつけることにする。What are you doing? の答えとして適切なのは、I am running (or writing, working, and so on)であり、I am knowing (or loving, recognizing, and so on)ではない。一方、Do you know…? Yes, I do. という問答は適切であるが、Do you run? Yes, I do.はそれには対応していない。

このちがいは次のことを示唆している。run、writeなどは時間内に進むプロセスであり、それらは時間内に次から次へと連続する段階性を構成している。実際、〈running走っている〉人は、ある瞬間に右足を上げ、次の瞬間にその足を下げ、それから左足を上げたのちにその足を下げている。しかし、knowなどの動詞は時間内に進むプロセスを表してはいない。I know geography now. といっても、〈know geography 地理を知る〉というプロセスが現在進行しているわけではない。

進行形になる動詞(pp.100-102)
まず、進行形になる動詞に焦点を当てよう。このグループはさらに二つに分けられる。ある人が〈running 走ってい〉たり〈pushing a cart カートを押してい〉たとして、次の瞬間にやめたとしてもその人はたしかに〈run走った〉、〈push a cartカートをした〉と言うことができる。その一方で、だれかが〈drawing a circle 円を描いてい〉たり、〈running a mile 1マイル走ってい〉たとしても、次の瞬間にやめてしまったら、〈draw a circle円を描いた〉、〈run a mile 1マイル走った〉とは言えない。つまり、runやpush a cartには終了点が設定されていないが、run a mileやdraw a circleには到達すべき終了点があるのである。

そう考えると、For how long did he push the cart? という質問は意味があるが、How long did it take to push the cart? というのはおかしい。これに対して、How long did it take to draw the circle? というのは適切な質問だが、For how long did he draw the circle? というのは奇妙である。対応する答えはHe was pushing it for half an hour. とIt took him twenty seconds to draw the circle. またはHe did it in twenty seconds.であって、その逆ではない。だれかが〈have been running for half an hour 30分間走っている〉としたら、それはその30分間のうちのどの間をとってもその人が〈have been running走っている〉といえる。しかし、〈have run a mile in four minutes 4分で1マイル走った〉としても、それはその人がその時間のどの間をとっても〈have run a mile 1マイル走った〉とはいえない。たしかにその人は〈running走ってい〉て、その4分という一続きの時間に〈run a mile 1マイル走る〉という行為に関わっているのだが。つまり、runやその仲間は、時間内に均質的に進行し、そのプロセスのどの部分も全体として等しい性質をもっている。一方、run a mileやwrite a letterは、終点に向かって進む。どうも終了点が鍵をにぎっているようだ。

これで、重要な動詞の種類の二つについて時間スキーマを見つけることができた。第一のタイプ、つまりrun、push a cartなどをactivity(活動) terms、第二のタイプ、つまりrun a mile、draw a circleなどをaccomplishment(達成) termsと呼ぼう。

進行形にならない動詞(pp. 102-103)
進行形にならない動詞に目を向けると、ここにも特別な違いを見ることができる。これらはプロセスではなく、ある主題がある時点で正しいかまちがいかを表している。ひとつは、一瞬の時間を表すもので、reach the hilltop、win the race、spot or recognize somethingなどがある。もうひとつは、短いか長いかの期間をあらわすもので、believe something、love or dominate somebodyなどがある。これらの適切な問いと答えは次のようになる。

At what time did you reach the top? At noon sharp.
At what moment did you spot the plane? At 10:53.

For how long did you love her? For three years.
How long did you believe in stork? Till I was seven.

第一のreach the topと同様のものをachievement(到達) terms、第二のloveに相当するものをstate(状態) termsと呼ぼう。Achievement(到達)は一瞬で起こるもので、state(状態)はある期間続くものである。
(以下の図は、本文をもとに自分で作成)
Verbs_and_times_1.jpg


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Verbs and Times その3
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