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2011年02月04日

言語の美的機能

韻文の作文に思う存分時間配分
たぶん幾分悪文だけど、気分は十分ラッキーセブン

言語は伝達の手段であると言われることがある。何か言いたい内容がまずあって、それを表現するためにちょうどよいことばを当てはめる。たとえば、年賀状を書いている人が「去年はお世話になりました」と「昨年はお世話になりました」のどっちにするか悩んでいたら、意味は同じだからどっちでもいいのにと思うかもしれない。そのようなときには、伝える内容に対して、たまたまふたつの手段(「昨年」と「去年」)があると捉えられている。何かを伝える手段としての言語の側面は「実用的」機能と呼ばれる。実用的機能に着目すると、表現方法は内容に従属しているように思える。

一方、表現方法が内容よりも重要になることもある。早口ことばの「隣の客はよく柿食う客だ」は「隣の客は頻繁に柿を食べる客だ」などと言い換えてしまったら、まったくおもしろくなくなってしまう。実際にそんな客がいるかどうかはあまり問題にされない。その響きが大切なのだ。ことば自体のおもしろさや美しさを担う側面は、言語の「美的」(あるいは「詩的」)機能と呼ばれる。

このように書くと、実用的機能と美的機能はかけ離れたものだと思うかもしれない。たしかに新聞や報告書などの文書で美的機能を見つけるのは難しいだろうし、ことば遊びやナンセンス詩の価値は実用的機能を犠牲にした結果だといえる場合もあるだろう。

しかし、実用的機能を果たそうとして生み出した文が偶然美的機能を備えていることもある。「きのう、めっちゃ抹茶飲んだ」などと言われたら、言った本人は何とも思ってなくてもツッコミを入れたくなる。奇抜さはなくても「この構文の論文の例文の半分は英文です」は心躍る響きがある。美的機能は、コピーライターや詩人だけのものではなく、もっと身近なものである。

読まなきゃいけない論文あるのに、つい30分も時間をかけて冒頭の文を作ってしまったけど、そんな美的機能を楽しむ余裕があってもいいんじゃないかな、なんて思ったり。

参考文献
池上嘉彦. 1984. 『記号論への招待』 岩波新書.
posted by ダイスケ at 05:23| Comment(2) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする