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■大学芋はなんで「大学芋」という名前?「大学」+「芋」=「大学芋」と単純にはいえない。そう考えると、ことばには不思議がいっぱい。「大学芋」をきっかけにことばについて考えるブログです!
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2010年12月28日

英語の複数形と日本語の「-たち」

( ) bag is this? - It's Tom's.

先日、塾で中学生に英語を教えていると、上記の空欄を埋める問題があった(who, what, whoseから選択)。答えはwhoseだが、その答えを導くには、It's Tom's.の意味がわかっている必要がある。生徒にIt's Tom's.の意味をたずねてみると、自信なさそうに「トムたち?」という答えが返ってきた。

そうか、「トムたち」か。Tomの複数形か。ちょっと予想していない回答だったが、よくよく考えてみると「トムたち」という日本語の表現自体はおかしくない気がする。英語の複数形と日本語の「-たち」は必ずしも対応しないのではないかと気づいた。

そもそも、英語では名前が複数形になることはない(ただし、the Staurtsのように名字を複数形にして「スチュアート夫妻」などの意味をあらわすことはできる)。一方、日本語では(1)のように「名前+たち」という表現は可能である。

(1)桃太郎たちは鬼を退治するために鬼が島へ向かいました。

しかし、この場合「桃太郎たち」は桃太郎という人物が複数いることは表さず、桃太郎とその仲間といった意味になるだろう。『明鏡国語辞典』(大修館書店、2002)には次のような定義が載っている。

(2)人・動物の複数を表す。また、〜を代表とする一団の意を表す。

つまり、「男たち」「学生たち」のように、一般的な名詞がきた場合は前者の複数の意味を、「桃太郎たち」「トムたち」のように名前がきたときには後者の「〜を代表とする一団」の意味を表すのだといえる。ただし、次のような場合は、解釈が揺れるだろう。

(3)弟たちは公園で遊んでいた。

(3)は「弟とその友達」のような解釈をする人が多いかもしれないが、二人以上の弟がいる兄の発言だと想定すれば、複数の解釈も可能である。これは、「弟」などの親族を表す名詞が普通名詞と固有名詞の中間的な存在であることによるのだろう。

こんな具合に思考をめぐらせることができたのも、生徒の回答がきっかけ。英語を教えていると自分では気づかなかった意外な発見をすることがあり、とてもおもしろい。
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2010年12月27日

言語学と文学の関係を考えるにあたって

多くの大学の「英文科」や「英語英米文学コース」などと呼ばれるところでは、英語の言語学的研究と英語圏の文学研究を守備範囲としている。うちの大学でもそうだ。

しかし、ひとつの学科やコースにまとまっているわりには、言語学と文学の研究方法はかなり異なっており、統一感はあまりない。「昔の名残りでそういう学科編成になっている」と言う人がいるかもしれないが、だとしたら逆に昔はどのように両者が統合されていたかが気になる。

というわけで、言語研究と文学研究がどのように分化していったかを知るために、ここ数日言語研究の歴史について調べている。一般的に、言語学(linguistics)は20世紀になって成立した学問分野だと言われている。この言語学の独立が、言語と文学が別々に論じられるきっかけになったと思うが、それ以前の言語研究がどのようなものだったかを知ることは、言語学と文学の関係について考える上でも、そもそも言語学とは何であるのかを考える上でも参考になる点が多い。

ぼく自身は、言語学と文学が互いのアプローチを知ることは重要だと感じるし、今後言語学をやっていく上で(直接的ではないにしても)文学研究に携わっている人たちの知見を取り入れていきたいと考えている。言語研究の歴史を調べることは、その第一歩になると思う。
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2010年12月24日

Metaphors We Live By 第11章

Metaphors We Live Byの第11章。これまで日常的な表現にみられるメタファーについて扱ってきた本書だが、この章ではいわゆる比喩的な表現との連続性についても指摘される。文学では、想像力によるメタファーをいかに使うかがひとつのポイントになるだろう。

また、本書のタイトルが明らかになる点でも印象的な章だった。

*****

11. The Partial Nature of Metaphorical Structuring
They are “alive” in the most fundamental sense: they are metaphors we live by. (p. 55)


これまでは、メタファーによって定義される概念の体系性があることを説明してきた。概念はメタファー(THEORIES ARE BUILDINGS)によって体系的に構造を与えられるので、ある領域(buildings)に含まれる表現(construct, foundation)を使って、メタファーによって定義される領域(theories)内の対応する概念に言及できる。

「理論」という概念に構造を与えるために使われる「建造物」の概念の部分は基礎と外郭(がいかく)だけであって、屋根、部屋、階段、廊下などの部分は「理論」という概念のためには使われない。したがって、THEORIES ARE BUILDINGSには「使われる」部分と「使われない」部分があるわけである。constructやfoundationはメタファーによって構造を与えられているそうした概念の使われる部分の例であり、理論について日常的に使う文字通りのことばである。

しかし、使われない部分を用いた表現もありうる。たとえば、His theory has thousands of little rooms and long, winding corridors.(彼の理論にはいくつもの部屋と曲がりくねった廊下がある)。こうした文は、通常の文字通りのことばの領域外にあり、比喩的(figurative)、あるいは想像力による(imaginative)表現と呼ばれているものの一部である。文字通りの表現(He has constructed a theory.)も想像力による表現(His theory is covered with gargoyles.)も同じメタファー(THEORIES ARE BUILDINGS)の例でありうる。

想像力によるメタファーをさらに3つに分類してみよう。
1. あるメタファーの使われる部分を拡張したもの。The facts are the bricks and mortar of my theory.〈これらの事実は私の理論のレンガとモルタル(レンガやタイルの接合に用いるもの)である〉は、建造物の外郭について言及しているが、THEORIES ARE BUILDINGSでは用いられない使用材料にまで言及している。
2. 文字通りのメタファーの使われない部分を使った例。His theory has thousands of little rooms and long, winding corridors.
3. 新規なメタファー、つまり、私たちの通常の概念体系の一部に構造を与えるために使われるメタファーではなく、新しいものの考え方を表すメタファー。Classical theories are patriarchs who father many children, most of whom fight incessantly.〈古典的理論というのは、その子どもたちの大部分が絶えずけんかをしている子沢山の父親である。〉

ここまで述べてきたメタファー的表現はどれも、メタファーによって成り立つ概念の全体的な体系の中で使われている。そうした例に加えて、体系的な使われ方をせず孤立している特異なメタファーもある。たとえば、the foot of the mountain、the leg of a tableなどである。こうしたメタファーは、メタファーによって成り立つ概念の中でも他からは孤立しており、使われる部分はその例にしかないのである。したがって、the foot of the mountainは、MOUNTAIN IS A PERSONというメタファーの唯一の使われる部分の例である。とはいっても、使われない部分を用いて新しいメタファー的表現をつくることはありうる(conquer, fight and even be killed by a mountain)。

The foot of the mountainのような例は特異であって、体系をなさない、孤立した例である。他のメタファーと相互に関連することもなく、私たちの概念体系の中で特に興味深い役割を果たすこともない。したがって、それらは生活の基盤となるメタファーではない。使われていない部分がわずかに拡張される可能性があるだけである。もし、メタファー的表現が「死んでいる」と称するに値するとすれば、これらがまさにそうである。

それとはちがって、本書で扱ってきた例は私たちの行動や思考を成り立たせているメタファーによって成り立つ概念の存在を反映している。これらの表現は根本的な意味で「生きている」。つまり、私たちが生活の基盤としているメタファー(metaphors we live by)である。


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Metaphors We Live By 第6
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認知言語学キーワード紹介(3):メタファーと経験基盤主義
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2010年12月23日

Metaphors We Live By 第9章

高校生のころ、「先週提出したレポートが返却された」の「先」は過去のこと、「これから先のことはまだ考えてません」の「先」は未来のことを指すと気づいて、なんでだろうと疑問に思ったことがあった。Metaphrs We Live byの第9章では、このような時間表現をどう扱うかが議論されている。日本語にも同じ議論が当てはまるのかも気になるところ。

*****

9. Challenges to Metaphorical Coherence
We have found that the connections between metaphors are more likely to involve coherence than consistency. (p.44)


メタファーやメトニミーは一貫した体系をなしており、それに基づいて私たちは自分たちの経験を概念化している。一見したところ一貫性がないようにみえるところにも一貫性があることを示してみたい。

An Apparent Metaphorical Contradiction

英語には時間を二つの矛盾したやり方で表現しているように思える。ひとつは、未来は前方にあり、過去は後方にあるとするやり方である。

In the weeks ahead of us… (future)
That’s all behind us now. (past)

もうひとつは、未来は後方にあり、過去は前方にあるとするやり方である。

In the following weeks… (future)
In the preceding weeks… (past)

一見矛盾したメタファーが共存することもある。

We’re looking ahead to the following week.〈翌週のことを先立って考えている。〉

前―後の方向性がいかに系統立てられているかを知れば、この矛盾は解消する。
人間や車のようなものはもともと前後の方向性がそなわっているが、動いている物体は、進行方向が前方となるよう方向づけがなされる。人工衛星は静止している間は前方がないが、軌道に乗って進んでいる間はその進む方向が前方となる。
英語における時間はTIME IS A MOVING OBJECTというメタファーによって構造が与えられており、未来は私たちのほうに向かって動いている。そのため、未来はわれわれのほうに前面を向けていることになる。

The time will come when…
I look forward to the arrival of Christmas.
I can’t face the future.〈未来に向き合う〉

Ahead of us、I look forward、before usという表現は人間との関連で時間を方向づけるのに対して、precedeやfollowは時間との関連で時間を方向づけている。したがって、Next week and the week following it.とは言うが、The next week following me…とは言わない。未来の時間は私たちに前面を向けており、その後に続いている時間はさらに遠い未来となると考えれば、weeks to followとweeks ahead of usは同じ意味になる。(以下の図は内容整理のため、自分で作成)

Metaphors_we_live_by_9_1.jpg

ここで示したかったのは、単に矛盾がないことだけでなく、TIME IS A MOVING OBJECTというメタファーがあり、動く物体であるために前後の方向づけがなされ、follow、precede、faceという語も時間において使われる場合はその用法に一致性(consistency)があるということだ。

Coherence versus Consistency

時間の経過を概念化するには別の方法もある。

TIME IS STATIONARY AND WE MOVE THROUGH IT
As we go through the year,…〈年の中を通り過ぎるにつれて=年を経るにつれて〉
We’re approaching the end of the year.〈年の終わりに近づく=もうすぐ年末〉

TIME PASSES US〈時間が私たちを通り過ぎる〉とき、私たちが動いて時間が静止している場合と、時間が動いて私たちが静止している場合があるのだ。共通しているのは、動きは相対的で未来が前方に、過去は後方にあるということだ。つまり、二つのメタファーが大きな共通の意味を含意している。(以下の図は、本文のものを利用)

Metaphors_we_live_by_9_2.jpg

この二つのメタファーには一致性(consistent)がない(ひとつのイメージを形成しない)が、二つとも大きなカテゴリーの下位範疇でありそのため中心となる意味を共有しているので、つじつまが合う(fit together)。メタファー間の関係は一致性(consistency)よりも一貫性(coherence)をもちやすいといえる。


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Metaphors We Live By 第8章

「Metaphors We Live By」と検索して訪れる方が多いので、第8章以降の内容も少しまとめ直して掲載します。

ここで、Metaphors We Live Byという本について改めて紹介する。本書は、それまで文学や修辞学で扱われてきたメタファーが、実は人間の認知の基本的な営みであり日常の表現に遍在していることを明らかにしたもので、現在「認知言語学」と呼ばれている分野が発展するきっかけにもなった。著者のG・レイコフは言語学、M・ジョンソンは哲学の研究者。

第8章では、メタファーではなくメトニミー(換喩)が扱われている。メトニミーは隣接性に基づく比喩とされている。日本語でも、「今日は鍋を食べよう」と言った場合、「鍋」が指しているのは容器そのものではなく、その容器の中の食べ物であってこれもメトニミーの一種とされる。このように考えると、メトニミーもメタファー同様、あらゆるところで見つけることができる。

*****

8. Metonymy
Metonimic concepts allow us to comceptualize one thing by means of its relation to something else. (p. 39)


存在のメタファーのひとつに擬人法(personification)がある(たとえば、Inflation robbed me of my savings. )。これは次のような例とは区別すべきである。

The ham sandwich is waiting for his check.
〈ハム・サンドイッチが勘定を待っている。〉

この例では擬人法のときとはちがって、ham sandwichが具体的な人間、つまりハム・サンドイッチを注文した人間を指している。このように、ある存在物(ハム・サンドイッチ)を利用して、それに関係する他のもの(ハム・サンドイッチを注文した人間)に言及する方法はメトニミー(metonymy)とよばれている。

メタファーとメトニミーは異なる種類のプロセスを経てできたものである。メタファーは原則的にあるものを他のものを通して理解する方法であり、その第一の機能は理解することである。一方、メトニミーの主な機能は指し示すことである。メトニミーによって、ある存在物を他のものを表すために使うことができる。しかし、メトニミーは単に指し示すだけでなく、理解させる機能も果たしている。たとえば、THE PART FOR THE WHOLE〈部分は全体を表す〉というメトニミーの例では、全体を代表できる部分はたくさんある。その中のどの部分を選ぶかで、全体のどの側面に焦点を当てるかが決まる。あるプロジェクトにおいて、good headsが必要だといった場合、good headsという表現でintelligent peopleを指している。重要なのは部分(head)を使って全体(person)を指しているというよりも、headに関連したひとつの特徴、つまりintelligentを取り上げているとうことだ。メトニミーはメタファーと同じ目的を、いくぶん似ているやり方で果たしている。しかし、メトニミーは、メタファーよりも指し示されるものの特定の側面に焦点を当てるのだ。メトニミーもメタファーと同様、単なることばづかいの問題ではない。メトニミーによって成り立つ概念も、ことばはもちろんのこと、日常の思考や行動の仕方の一部をなしているのだ。

THE FACE FOR THE PERSONというメトニミーがあるが(We need some new faces around here.など)、これは私たちの文化において大きな役割を果たしている。ある人が、息子の写真を見せてくれと頼んで、息子の顔写真を見せてもらえれば満足するだろうが、顔から下の体だけが写った写真を見せられたら満足しないだろう。顔から人を判断し、それに基づいて行動する場合、私たちはメトニミーに基づいて行動していることになる。

メトニミーによって成り立つ概念にも以下に見るように体系性がある。
THE PART FOR THE WHOLE
We don’t hire longhair. 〈長髪=長髪の人〉
The Giants need a stronger arm in right field.〈強い肩=強い肩をもった選手〉

PRODUCER FOR PRODUCT
He bought a Ford.〈フォード(社名)=フォードの作った車〉
He’s got a Picasso in his den.〈ピカソ=ピカソの絵〉

OBJECT USED FOR USER
The sax has the flu today.〈サックス=サックス奏者〉
The buses are on strike.〈バス=バスの運転手〉

CONTROLLER FOR CONTROLLED
Nixon bombed Hanoi.〈ニクソン=ニクソンが命令した軍〉
Ozawa gave a terrible concert last night.〈小澤(指揮者)=小澤が率いる楽団〉

INSTITUTION FOR PEOPLE RESPONSIBLE
You’ll never get the university to agree to that.〈大学=大学の責任者〉
The Army wants to reinstitute the draft.〈軍=軍の責任者〉

THE PLACE FOR THE INSTITUTION
The White House isn’t saying anything.〈ホワイト・ハウス=米国政府〉
Wall Street is in a panic.〈ウォール街=米国金融業界〉

THE PLACE FOR THE EVENT
Let’s not let Thailand become another Vietnam.〈ベトナム=ベトナム戦争〉
Pearl Harbor still has an effect on our foreign policy.〈真珠湾=真珠湾攻撃〉


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2010年12月03日

共感

初めて会う人や、久しぶりに会う人に自己紹介するとき、大学院で英語の文法を勉強していると言うと、「そんなに勉強するなんてすごいね、おれなんて全然勉強できなかったし」「文法って難しそう」みたいな反応が返ってくる多い。

そんな中で、小学校時代の同窓会にいらっしゃった先生(12年ぶりぐらいにお会いした)の一言は印象的だった。笑顔で「そうなんだ、それじゃあ、今楽しくてしょうがないでしょう」と。

そうなんだ。自分は今、言語学が楽しくてしょうがない。あれはどうなっているんだろう、こういう言い方をするのはなんでかな、と疑問はつきないし、それを考えるのがとてもおもしろい。大学院に行って本当によかったなと思う。

言語学が何だかわからなくても、楽しいという気持ちに共感してもらったのは、うれしかった。なんだか自分を安心させてくれるような一言だった。

人とな話していて、仕事の話だとか趣味の話では、何の話だかわからないとつい自分とは関係のないものだと思いがちだが、話をしている人はどんな気持ちでそれに関わっているのかというのは、細部がわからなくても伝わってくるものがある。そこにその人らしさがあるんだと思う。自分も、相手の話から「相手の存在」を感じ取れるようでありたいなと思う。
タグ:日記
posted by ダイスケ at 04:04| Comment(0) | 日々の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする