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■大学芋はなんで「大学芋」という名前?「大学」+「芋」=「大学芋」と単純にはいえない。そう考えると、ことばには不思議がいっぱい。「大学芋」をきっかけにことばについて考えるブログです!
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2010年03月28日

「お湯を沸かす」から「水を沸かす」へ ― 結果目的語の話2

ひとつの動詞で2種類の目的語をとるケースがある。
「水を沸かす」と「お湯を沸かす」では、前者の目的語は行為の〈対象〉、後者は行為の〈結果〉を表す。
後者は結果目的語と呼ばれる、というのが前回の話。
目的語いろいろ ― 結果目的語の話1

さて、「水を沸かす」という表現を聞いて、「お湯を沸かす」に比べるとあまり使わないのではと感じた人はいないだろうか。
実は、「沸かす」の目的語を歴史的にみると、近代まではもっぱら「湯」を目的語としており、「水」を目的語とするのは比較的新しい用法だというのがわかる(栗栖佳美「結果の目的語を取る動詞についての通時的考察」参照)。
つまり、「作る」や「建てる」のように行為の結果だけを目的語としていた「沸かす」が、働きかける対象も目的語に取るように変化したのだといえる。

「水を沸かす」と言う場合、話し手にとっての最大の関心事は結果としてできる「湯」ではなく、働きかける対象である「水」にあるということになる。
対象の「水」に関心があるということを反映してか、「沸かす」の目的語としての「水」はなんらかの修飾語を伴うのが普通である。

(1)
a. いつも新鮮な水を沸かす
b. 美味しい水を沸かす
c. お風呂の水を沸かす
d. やかんの水を沸かす
e. 2リットルの水を沸かす
(栗栖佳美 前掲書p. 36、下線は原文ママ)


このため、「水を沸かす」だけを聞くと、やや不自然に感じることがあるのだろう。
なお、「お湯を沸かす」と「水を沸かす」の意味のちがいは、あとに沸いたことを否定する文を続けた場合の許容度のちがいとして顕在化するというのは、前回見たとおり。

このことから、もともと結果目的語専用の動詞だったとしても、結果よりもその過程、どのように働きかけるかに注意が向けられれば、対象を目的語にとることもありえることがわかる。
ことばは、私たちの関心に合わせて変化する可能性があるのだ。
次回に続く。
(参考文献は最後にまとめて)
続編:「紙を印刷する」ことはできるか? ― 結果目的語の話3
posted by ダイスケ at 03:23| Comment(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月27日

目的語いろいろ ― 結果目的語の話1

前回の記事で、結果目的語について触れた。
あのときの自分、今の自分、これからの自分
今回から3回にわたって、さらに結果目的語の話をしよう。
ちなみに、これは卒論のテーマを決める過程に考えたものだ。

目的語といえば、多くは動詞が示す行為の対象であり、その行為によって何らかの影響を受ける。
「花瓶を割る」「ボールを蹴る」などの場合もそうである。
一方、「お弁当を作る」「家を建てる」といった場合、動詞の目的語は、行為の対象ではなく、行為の結果としてできるものである。
こうした目的語を結果目的語という。

「作る」や「建てる」のような動詞は結果目的語専用の動詞だが、2種類の目的語を両方取れる動詞も存在する。
国広哲弥『日本語の多義動詞』と以前紹介した『明鏡国語辞典』を見てみると、次のような例が見つかる。
(こういうとき、『明鏡』は非常に便利)

(1)沸かす
a. 水を沸かす
b. お湯を沸かす

(2)掘る
a. 地面を掘る
b. 穴を掘る

(3)焼く
a. 粘土を焼く
b. 茶碗を焼く

(4)折る
a. 紙を折る
b. 千羽鶴を折る

(5)炊く
a. 米を炊く
b. ご飯を炊く

(6)紡ぐ
a. 綿花を紡ぐ
b. 糸を紡ぐ

(7)煮る
a. 野菜を煮る
b. シチューを煮る

(1)から(7)までのbが結果目的語である。
aとbのちがいが顕著になるのは、次のような場合である。

(8)
a. 水をわかしたけど、わかなかったよ。
b. お湯をわかしたけど、わかなかったよ。
(池上嘉彦『〈英文法〉を考える』p. 147)


(8b)は前半で沸かした結果できる「お湯」をはっきりと示しているのに、後半でそれが否定されるために矛盾した印象を与えるが、(8a)はそれほどではないと感じないだろうか。
このように、bはaよりも行為の結果に着目した表現だといえる。
借りたのか、借りていないのか? ― 言語ごとの微妙なちがい」の記事も参照)

普段は意識しないが、私たちは表現したい内容に応じて巧みに目的語を使い分けているようだ。
次回に続く。
(参考文献は最後にまとめて)
続編:「お湯を沸かす」から「水を沸かす」へ ― 結果目的語の話2「紙を印刷する」ことはできるか? ― 結果目的語の話3
posted by ダイスケ at 03:13| Comment(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月06日

あのときの自分、今の自分、これからの自分

中学のころから英語は好きだった。
英語を話すことに憧れたというより、英語の文法が好きだった。

中学3年生のとき、英語の先生と話をしていたら「『ロイヤル英文法』という本には文法のことは何でも載っている」というのを聞いて、さっそく購入した。
その項目の多さにびっくりしたが、わからないところがあると辞書のようにたびたび引いていた。

この『ロイヤル英文法』にはQ&Aというコラムがあり、そこで読者が思いつきそうな素朴な疑問が取り上げられていた。
その中のひとつに「『穴を掘る』はdig a holeでよいか?」というQがあった。

それまであまり考えたことはなかったが、目的語というのは動詞が示す行為の〈対象〉であることが多い。
言われてみればdig a holeは目的語が対象ではないので、日本語と同じように表現できるのかという疑問をもつ人もいる、と著者は考えたのだろう。

『ロイヤル英文法』の回答は次のようになっていた。
よい。「道路に穴を掘る」というとき、直接掘るのは道路で、その結果できるのが穴だが、英語でも日本語と同じようにhole(穴)を目的語にして、The men dug a hole in the road.(男たちは道路に穴を掘った)という。write a letterなども同じ例で、これを結果の目的語という(p. 23)。
これを読んで、目的語にもいろいろあるのだなと感動した。
(「結果の目的語」は「結果目的語」ともいう)

あれから9年。
卒論では、英語で「穴をあける」ことを意味する表現をひたすら集めて分析した。
中学のときに何気なく読んだこのコラムは、結局卒論のきっかけになったのだ。
卒論を書いて、まだまだ知らないことだらけなのがわかり、もっと勉強したいという思いを強くした。

というわけで、無事に大学院に合格しました。
これで勉強を続けることができます。
中学のときの感動を忘れずに、これからもことばの不思議に迫っていきたいと思います。

参考文献
宮川久幸ほか(編). 1993. 『ロイヤル英文法』 旺文社.
posted by ダイスケ at 01:41| Comment(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月05日

ことば、意味、ピアノ

次のような文を見たら、どのように思うだろうか。

(1)
a. Colorless green ideas sleep furiously.
b. Furiously sleep ideas green colorless.

(1)はチョムスキーという言語学者が考えた有名な例文である。
チョムスキーはどちらも同じく意味をなさない(nonsensical)と述べている。
それにも関わらず、文法的なのは(1a)だという。
つまり、(1a)は主語と動詞があり、形容詞や副詞の修飾の仕方も間違っていない。
これに対して、(1b)はそもそも文法的に認めることができない。
そのため、言語学の対象とする文法は、意味からは独立しているというのが彼の主張である。

このように言われると、意味を切り離した言語研究の手法を追求してみる価値はありそうだと思えてくる。
ただ、(1a)を最初に見たときの感想は、それは本当に意味がないのだろうかというものだった。

たしかに「無色の緑」や「考えが眠る」は通常考えられない組み合わせであり、意味があるとは言いがたい。
しかし、人間は意味のないところに意味を読み込む動物でもある。
たとえば、鳥のさえずりから「今日はいい一日になりそうだ」と思ったり、一枚の葉が落ちるのを見て人生のはかなさを感じたりすることがありうる。
鳥はただ鳴いただけで、風はいつもより強かっただけかもしれないのに。

そのように考えてみると、意味は客観的に存在するものというより、むしろ人間が見出すものだとも言える。
(1a)から何か意味を読み取ってもいいはずだ。

実際、「無色の緑」のように対立することばを組み合わせる語法は、レトリックの分野では対義結合(oxymoron)として知られている(撞着語法ともいう)。
「慇懃無礼」、「ただより高いものはない」などふだんあまり気づかずに使っているものも多い。

では、「歌詞のない歌」と聞いたら、どんなものを想像するだろう。
歌詞がなければ歌とはいえないはずで、これも対義結合のひとつだといえる。

実は、これはメンデルスゾーンが作った一連の曲のことを指している。
彼は「無言歌集」(ドイツ語でLieder ohne Worte)というピアノの作品を49曲も作っている。
ここに紹介するのは、その中でも「デュエット」とよばれるもの。


その名前が、曲にふくらみをもたせていているようで、とても好きな曲。
みなさんなりに、思い思いの歌詞を思い浮かべて聴いてみてはいかがでしょうか。

参考文献
Chomsky, Noam. 1957. Syntactic Structures. Mouton.
池上嘉彦. 1984. 『記号論への招待』 岩波新書.
 (意味を読み取る主体としての人間について)
佐藤信夫. 1992. 『レトリック認識』 講談社学術文庫.
 (対義結合について)
ふき出しのレトリック
 (マンガに出てくるレトリックを扱ったサイト。おすすめ!)
posted by ダイスケ at 03:11| Comment(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする